第3話

 毎朝私は比較的早めの時間に登校しているので、ホームルームまではまだ余裕がある。今は運動部など朝練がある人たちは校庭や体育館にいる時間帯だ。

 人のいない下駄箱で靴を履きかえ、がらんとした廊下を歩く。

 自分の教室に入ると、数人だがもう登校している子がいた。

 今の時間に登校している面子はだいたい決まっていて、仲が良い子たちは集まって朝から楽しそうに話をしている。彼女たちから漏れ聞こえてくるのは最近人気だとかいうアイドルについての話だ。

 話している子たちや、参考書を開いて一人で予習している子を横目に、私はいつも通り無言で自分の席に向かう。

 鞄を机に置き、今日使う教科書を鞄から出し机の中に入れた。

 桜台中では机の中やロッカーに、教科書やノートを置いていくこと――置き勉が基本的に禁止されている。

 教科書やノートを持ち返ったって、勉強しない子はしないし、する子は何を言われなくても自主的にするのだから無駄な決まりだと思う。思うが、だからなんだというのだろう。

 決まりは決まりだ。

 反発したところでルールは変わらない。

 「皆が守っていることだから」なんてしょうもない理由で教師から怒られるくらいなら、ルールを守った方がずっと楽だ。

 教科書やノートをを机に仕舞い終えると、教室の後方にあるロッカーに鞄を入れ、また席に戻った。

 最低限の朝の準備の一連の流れはこれで終わりだ。

 ホームルームが始まるまではあと三十分ほどの時間があるが、残りの時間を私は授業の予習に費やしている。

 かしましい笑い声が、席に着いて問題集を解く私の背中にぶつかった。

 中学生になってから、私は彼女たちのように友達と朝の時間を過ごしたことがない。

 毎朝、登校して準備を終えると席に座り、ノートを開く。問題を読み数式を解く。

 勉強に時間を費やす。必要だから私は勉強をする。

 クラスメイトと雑談するよりも私にとってはそれが大事だから。

 きりのいいところまで問題集を解き、集中力がふっとほどけると、朝練が終わった生徒が教室にやって来る時間になっていた。

 人が増えた教室の中は沢山の話し声でいっぱいになっている。

 その中に、ぽつりぽつりと今朝出会った彼のことを話している声が混じっていた。

 見たことないイケメンがいた。転入生かな? 何年生だろう。そんなに格好良いの? 同じクラスだといいな。でも中途半端な時期だよね。――ああ、確かに。朝はいきなりのことでそこまで考えが及ばなかったが、言われてみれば転入してくるにしてはとても中途半端な時期だ。

 今日は五月最終週の月曜日。

 学年が変わる四月でもなく、夏休み明けの九月でもなく、月が変わるタイミングでもなく、五月終わりの転入生。

 イケメンで、不思議なタイミングでやって来た転入生。生徒の話題にのぼるには充分すぎるほどの要素だ。まるでドラマの主人公のよう。

 ホームルームが始まる合図のチャイムが鳴ると、先程まで賑やかだった教室内が静まり出した。

 皆が席に戻るのと同時に私もノートや参考書を机の中に仕舞う。

 全員が席に着いたちょうど良いタイミングで担任が今日ものっそりと教室に入ってきた。

「はい、おはよう。突然だが今日からこのクラスに転入生がやって来ます」

 担任の言葉で教室中がざわつく。期待が充満するのがひそひそと聞こえてくる声から伝わる。

「じゃあ、村上君入って」

 現れた転入生は――やはり彼だった。

 もしかしたら、また後で。と言った彼の言葉が頭を過る。

 私たちが同じクラスだということを彼は最初から知っていたのだろうか。

 彼の顔を一目見ると、女子生徒たちは一気に色めき立った。

 やばい、とか何とか言いながら、目がハートになっていそうなくらいに熱心に彼を見つめている。

「静かに、気持ちは少しわかるけどな」

 苦笑しながら担任がチョークで黒板に字を書いていく。

 カツカツカツとリズミカルに綴られたそれは、転入生の紹介をする時によくあるお約束のものだ。

 ――村上透。むらかみ、と、お、る。

 彼の名前を黒板に書き終えた担任は、彼に自己紹介するように声をかけた。それまでうろうろとクラスを見回していた視線を全体を見渡すような位置で止めると、彼は感じのいい笑顔を浮かべた。

「村上透です。中途半端な時期の転入で、友達できるか不安なので、どうか仲良くしてください。よろしくお願いします」

 頼りなさげな雰囲気をかもしながらも、キラキラとした笑顔を教室に振り撒いている。それを浴びてしまえば先程よりも女子の熱視線は強まった。

 ……彼は誰だろう。

 先程まで私が一緒にいたはずの、顔をしかめたり眉間に皺を寄せていたりしていた彼との落差に呆然としてしまう。

 よっぽど間抜けな顔を私はしていたのだろうか、教室全体を見渡すようにしていた彼と視線が合った。

 私の存在を認識した彼はすいと眉をあげ、それからイタズラが成功した子どものような顔で笑った。

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