第2話

 学校に到着するまでにかかった二十分の道のりはとても静かなものだった。

 先程の勢いが嘘のように彼は歩いている間、静かだった。時折口を開いたとしても「あれは何?」などと建物を指差しながら疑問を発するだけだ。

 しかし沈黙はまた別種の居心地の悪さがあり、いつもと同じ通学路でも、そわそわとした気持ちのまま歩く道は普段の倍の時間がかかっているような感覚だった。

 気を紛らわすために、私は道の先にいた散歩している犬の揺れる尻尾を無心に見つめたりした。ふわふわ揺れる触り心地のよさそうな尻尾はとても可愛らしい。

 癒されて気持ちが少し落ち着くと、学校までの道のりをもう半分以上も歩いているのに、今後彼が一人で登校するにあたって必要になるだろう目印等の説明をしていないことに気づいた。

 彼は先程から気になったことは自発的に問いかけてくるし、自分でちゃんと把握しているのかもしれないが一応私から説明をしておいた方がいいだろう。明日から一人で登校してもらうためにも。

「……あの、すみません」

「なに?」

「明日から、なんですけど。一人で登校しますよね。なら、あそこに見える神社を目印にしてください。そこの角を右に曲がるまでは、マンションの目の前にある大通りから一本道を歩けばいいです。右に曲がってからは登校する生徒の姿が増えると思うので、道が分からなくなった時でもとにかく桜台中の制服を着ている生徒の後ろを着いて行けばたどりつけると思います」

「説明どうも。思ったよりは道も分かりやすかったね。これなら一人でも何とかなりそうかも」

 最初に彼が言った通り、道案内するのは本当に今日だけのようだ。……良かった。

 彼が周囲の様子をきょろきょろ確認している隙に横顔をちらりと覗き見する。

 女の子と見間違えそうなほどに作りが繊細で、隣を歩くのを気後れしてしまうくらいに綺麗な顔だ。

 テレビで見るような恰好良い人や綺麗な人に、私はまだ会ったことはなかったのだけれど、画面越しに見るその人たちよりも更に彼は特別に見えた。

 色褪せた、元は鮮やかな朱塗りだったはずの鳥居の前を通り過ぎ、道を右に曲がる。

 曲がってからしばらく歩くと、私と同じ制服を着た桜台中の生徒の姿が増えた。すると、こちらに向けられる視線がだんだんと増えていくのを感じる。

 視線が向けられている相手は当然だけど私じゃない。興味と好奇心と色を含んだ視線は、私の隣を歩く彼に対して向けられている。

 私は、目立つのは好きじゃない。

 面倒ごとに巻き込まれるのも、ごめんだ。

 学年やクラスが同じでなければ、部活動をロクにしていない、人との関わりが薄い私を知るような子はいないだろう。今ならまだ意味のない詮索をされずに済む。

 こそこそ逃げることを決めると、堂々と歩く彼に対していっそ感嘆してしまった。

 一身に視線を集めている自覚はあるだろうに、彼は一向にそれを気にする様子はない。

 人から視線を向けられることに慣れているのだろうか。どうやっても目立ってしまうほどに容姿の整った人だから、普段からどこにいても視線が集まることになれているのかもしれない。

 ぼやぼやしていると「あれ誰?」と色めき立つ女子グループの声が聞こえてきた。学校に近付くほどに更に人も増える。離れるなら早くしなければならない。

 次の角を曲がればもう学校が見える、というところで私は話を切り出した。

「すみません、あの、ちょっとこれから用事があって、……先に行ってもいいですか? 向こうに見えるのが、桜台中なので」

 私が言うと彼は眉間に皺を寄せた。

 顔の整った人はどんな表情をしても綺麗なんだな。なんて呑気なことを私は思ったが、そんな思考を吹き飛ばすように彼は最初に出会った時の勢いを取り戻した。

「用事があるならもっと早く言ってよ。言ってくれれば僕だって急いだのに。君、お人好しなの? いつか損するよ? 初対面の相手にそんな気を遣う必要はないだろう?」

「ごめん、なさい」

 謝ると彼の眉間の皺が余計に深くなる。ああ、対応を間違えてしまったようだ。

「悪くないのに謝るのは相手を不快にさせるよ。止めた方がいい」

 ……私、彼が、苦手かも、しれない。

 急に、苦手意識が胸の内にふきあがった。

 正しさが眩しくて。そばにいたら焼け死んでしまいそう。

「偉そうなこと言ってごめん。ここまで案内してくれてありがとう。急いでいるんだろう? ほら、行きなよ」

 彼から目線をそらすためにか、返事をするためか、私は一度こくりと深く頷き、早足で学校へ向かった。しかし足を三歩進めた時「ねえ」と、妙に楽しそうな声をした彼から呼び止められた。

 立ち止まって振り返ると、すたすたと彼は離れた三歩分の距離をあっさりと詰めてきた。

「君の名前は?」

 聞かれてやっと思い至る。そういえば私たちは名乗りあってもいなかった。

「宮田です」

「宮田、何さん?」

「紗智です。宮田紗智」

 フルネームを知る必要はあるのだろうかと疑問を抱きつつも正直に彼の問いに返事をする。

「今日はありがとう。宮田紗智さん。もしかしたら、また後で」

 じゃあね。と軽く手を振って見送られる。

 私は会釈をし、今度こそ彼から離れ校門へ向かった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る