二十五話~「……………ぁいぃぃ」~
ウソです。村上先輩死んでないです。勝手に殺すな。俺の足元でビクビク震えてるからまだ生きてます。
「……あの、生きてますか」
俺はしゃがみ込んで、股間を押さえてうずくまっている村上先輩に声をかける。
「……ぅぐぅ……」
妙な声が返ってきた。妙に痛々しい。
「いや……あの、すみません、ここまでやるつもりは、その、なかったんです。ほんとすみません。一発ぐらい殴ってやろうと思ってたのはマジですが」
「………ぇひょ………ぅぃ」
「…………潰れてませんか?」
「……………ぁいぃぃ」
ダメだ意思疎通ができない。
救急車呼んだ方が良いかな。
このままじゃ村上先輩が女の子になってしまう。
俺がスマホを取り出して、救急車を呼ぼうかどうか迷っていると、ひまりちゃんが俺の元に駆け寄ってきた。
「ハルくんっ、大丈夫!?」
「いや、あぁ、うん。俺は大丈夫、俺は大丈夫なんだけど……」
俺は村上先輩に視線を落とす。
「…………」
「…………」
ひまりちゃんは、足元で股間を押さえながら死にかけの芋虫のように這いずっている村上先輩を見て、小首を傾げながら困惑していた。
…………まぁ、女の子には分からないかもね。
俺は、さっきからオロオロと慌てながら俺と村上先輩を交互に見やっているしおりに声をかける。
「しおりも大丈夫か?」
「へっ、あ、あぁ……うん、わたしは、その、大丈夫」
「何か変なことされたりしなかったか?」
「う、うん……大丈夫」
「そうか、よかった」
とりあえずしおりが無事でよかった。
これでもし、しおりが何か侮辱的なことでもされていたなら、もう一発村上先輩の股間を蹴っていたかもしれない。
いや別に、元から股間を蹴るつもりはなかったんだけども……。あれは、不可抗力というか……。いや、蹴ったのは間違いなく俺なんだけども……。
しおりが殴るのはダメなんて言うから、脚が出てしまった。
俺は悪くない。
でもしおりもちっとも悪くない。強いて言うなら、男の急所を身体の外に放り出すなんて構造を作った神様が悪い。なんてことしやがる神め。
「そ、それにしても……晴斗たちは、なんでここに……」
しおりが俺とひまりちゃんを不思議がるように見て、言う。
「あぁ、それはだな……」
俺は、お互いがお互いを気まずそうに見つめ合っている姉妹を見て、どう言ったものかと悩む。
その時、地面を這いずり回っていた村上先輩が、プルップルの震える脚を使い必死に立ち上がった。
生まれたての小鹿を思わせる光景だった。やった、立った! 村上先輩が立ったよ! 大丈夫かな? あっちもちゃんと勃つかな!? うん、そろそろ俺は怒られた方がいいな。
「……ぃ、ぁ……、テッ……メぇ……、な、ナニ、しやがる……」
村上先輩が俺にもたれかかるように迫って、力無く胸元を掴んでくる。
「いや……なんというか、割と本気で申し訳なく思ってます。すみませんでした」
誠意を持って謝ったつもりだったが、村上先輩には伝わらなかったらしい。
「ふ、ふざけてんじゃねえぞッ!? テメ゛ェ! ゛コラ゛ァ!!」
村上先輩がめちゃくちゃ怖い顔をつくって、俺を睨みつけ、全力で怒鳴り上げた。少し鼓膜が痛くなるくらい大音量の迫真の叫びだった。
その時、この小さな公園の入り口に、二つの影が現れたことを、俺は視界の端で確認した。珍しく通行人かな? と思って、注目すると、どうにも見覚えのある姿形である。
あれは……まさか……っ。
その二人に気付いていない村上先輩は、なおも俺に向かって口角泡を飛ばしながら憤っている。
「テ゛メェ! マジでぶっ殺してやるからな! 覚悟しとけよ゛お゛い!」
村上先輩が拳を振り上げた。まぁ、俺もえげつないことをやってしまったから、一発くらい仕方ない。そう思って、甘んじてその拳を受け入れようとした次の瞬間、村上先輩が吹き飛ばされた。
俺じゃない。
俺じゃなくて、村上先輩が吹き飛んで行った。
一体何が起こったのか。
公園の入り口から凄まじい勢いで駆け寄ってきた早香さんが、村上先輩に容赦のないドロップキックを喰らわせたのだ。
そう、早香さんだ。あの早香さんだ。姉ちゃんの友人で、たまにウチに遊びに来て、元々エロいけど酔っ払ったらもっとエロくなって、俺にウザ絡みしてくる早香さんだ。
実は、今さっき姉ちゃんと早香さんが公園の入り口に現れたのを見た時、二人の驚いたような顔を見て、嫌な予感はしていた。
姉ちゃんの視線は俺に向けられていたのに、早香さんの視線は村上先輩に向けられていて、しかも不穏なオーラを放っていたから。
この時、俺の中で全てが繋がった。雷のような衝撃が走った。
まず一つめ、俺は早香さんの苗字を知らない。姉ちゃんが早香と呼んでいたから名前は知っていたけど、早香さんの方からちゃんと自己紹介されたことはなかったから。
二つめ、さっきひまりちゃんは、村上先輩に姉と妹がいると言っていた。
三つめ、俺は村上先輩と初めて会った時、既視感を覚えていた。あの時は、同じ中学出身で、知らずの内に廊下ですれ違っていたことが何度かあったのだろうと納得したが、引っかかってはいたのだ。だって俺は、もっと別の場所で村上先輩の顔を見たような気がしていたから。
実際、俺と村上先輩が会っていた訳ではなかった。俺が会っていたのは早香さん――村上早香という女性で、つまり村上先輩の姉だ。よくよく見比べてみれば、二人はとても似ている。二人とも美形だし、どことなくヤンキーっぽい。
全てが繋がってしまった。間違いない。この二人は姉弟だ。
「俊てめぇ……っ! なに喧嘩なんてしょうもないことしてんだ……ッ!? それに人サマを殴っていいのは、向こうが先に手を出してきた時だけっていつも言ってんだろが……ッ!」
早香さんの完璧な腕ひしぎ腋固めが、村上先輩にキマっていた。
「あああああぁぁああああ゛あ゛あ! 痛い! 姉ちゃあああああああッ」
しかも村上先輩、ただの弟じゃない。まさかとは思ったが、この俺と同じ『姉に支配されし弟』か?
「ち、ちが……っ、違う……っ、違うって……っ」
「あぁ!? 何が違うんだよッ」
はてさて、何故こんなタイミングよく、ウチの姉ちゃんと早香さんがこの場に現れたのか?
原因は恐らく俺にある。
村上先輩を捜していた時、俺はいち早く彼を見つけるために、この時間帯に暇してそうな知り合いたちに、メッセージを送ったのだ。
村上先輩の見た目の特徴を記し、訳あってこの人を今すぐ探さないといけないから良かったら協力して欲しいという旨を送った。
その知り合いたちの中には、姉ちゃんも含まれている。
後で何でも言うこと聞くから頼む、という文面も添えた気がする。なにせあの時は必死だった。
おそらく、そのメッセージを受け取った時、姉ちゃんの隣に早香さんも居たのだろう。早香さんは、俺が記した特徴を見て、コイツもしかして……? と思ったことだろう。
その後の流れは言うまでもない。姉ちゃんと早香さんは二人で村上先輩捜索に協力してくれて――――こうなったのだ。こう、なってしまったのだ。
村上先輩が、痛みに耐えながら叫んでいる。
「ち、違うんだって姉ちゃん! こいつが先に手を出してきたんだってば!」
「………………」
一瞬、時が止まった気がした。
近くにまで歩み寄って来ていた姉ちゃんが俺を見て、静かに問う。
「何があったのかは後で詳しく聞かせてもらうけど、あんたが先に手を出したの?」
「………………」
正解は沈黙。肯定も否定もしない。
だ、だって……? 確かに先に金玉を蹴り上げたのは俺だけど、突き飛ばしてきたのは村上先輩が先だし……? ほら、文字通り村上先輩に、先に手を突き出されてるじゃん? …………あー、やっぱ俺が悪いですか?
俺の沈黙を肯定の意と受け取ったのか、姉ちゃんの体がブレる。次の瞬間、俺は姉ちゃんに引きずり倒されて、無慈悲な腕ひしぎ十字固めをキメられる。
「゛ああああぁぁぁあああああああ!? ね、姉ちゃんこれはやば――姉ちゃあああああああああああッ!?」
「晴斗あんたぁぁ……ッ、先に手を出すなんて情けない……っ! 何があったのか知んないけど、頭に来るとすぐ手を出すそれ……っ、昔と一緒。どんなに頭に来たとしても、もういい歳なんだから、いい加減に直しなさい!」
俺と村上先輩の絶叫が、茜色の綺麗な空に、高く高く響いた。
思うんだけど、この姉たち、先に手を出すな、先に手を出すなんて情けないというけれど、関節技は手を出す内に入らないんですかね……? あまりに理不尽が過ぎると思う。
でも仕方ない。この世の弟が、姉に逆らう術はないのである。むしろ弟に理不尽をぶつけるのが姉みたいなところある。もうこれ理不尽が姉だろ。
そんな感じで、俺と村上先輩の男と男のバトルは終わりを告げた。より正確に言うと、姉と姉に終わらされた。
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