二十四話~キン――ッ~

 ひまりちゃんは嗚咽混じりに、色んな事を話してくれた。


 ひまりちゃんとしおりが吹奏楽部に居た頃に起こったこと。

 しおりと村上先輩の確執についてのこと。

 しおりがひまりちゃんのために勇気を出して動いてくれて傷付いたのに、でもひまりちゃんは変な意地を張ってしまって、それを気遣うことができなかったこと。

 しおりが部屋に忘れていったスマホを見てしまって、そこに残されたメッセージが不穏だったこと。

 しおりはきっと、村上先輩に脅されて、どこかに呼び出されてしまったんだということ。

 しおりが酷いことをされるかもしれないということ。

 自分のせいで、きっとまたしおりが傷付いてしまうということ。


 ひまりちゃんは、こんな自分は最低だと自分を責めて、泣いていた。


「……お願いハルくん、お姉ちゃんを助けて」


 ひまりちゃんは、頬を涙で濡らしながら、胸が締め付けられるような必死な声で、そう言った。


 ……おーけー、事情は把握した。


「よし任された。ひまりちゃん、村上先輩の連絡先、分かる?」


 なるべく冷静を保って言う。ここで俺が冷静さを欠く訳にはいかない。余計なことは考えるな。クールにいこう。落ち着け、今はアイツの元に早く行くのが最優先だ。問題はアイツとしおりが今どこにいるのか分からないということ。


 ひまりちゃんの涙を袖で拭って落ち着かせながら、村上先輩の連絡先を教えてもらう。


 俺は自分のスマホを取り出すと、村上先輩にコールした。


 一秒、二秒、三秒……。


 ……出る気配がない。流石に知らん奴から急にスマホに着信が来ても出ないか。


 あまりやりたくなかったけど、仕方ない。


「ひまりちゃんのスマホで電話かけてもいい?」


「う、うん……」


 これをやると、ひまりちゃんにまで村上先輩の敵意が向けられるかもしれない。でも、俺がそんな事させるつもりはないし、何より今は時間が惜しい。


 しかし、ひまりちゃんのスマホからコールをしても、全く応答される気配が無かった。

 おいおいおい出ようよ。自分が気にかけている女の子からかかってきた電話くらい出ろよ。


 増々不安感が募る。


「もういいや、直接探す。ひまりちゃんは――――」


 家に戻って休んどいて、と言おうとした。しかし、ひまりちゃんはさっきまでとは打って変わって、強い意思のこもった瞳で俺を見上げていた。


「ひまりも行く」


「……わかった。でも俺と一緒に行こう」


 そうして、俺とひまりちゃんは当てもなく走り出す。


 ひまりちゃんの話では、しおりが飛び出して行ったのは五分ほど前らしいので、そこまで時間が経っている訳でもない。あまり遠い場所には居ないだろう。


 走りながら、俺はこの時間帯に暇しているであろう知り合いたちに、メッセージを送る。

 村上先輩の見た目の特徴と、訳あってこの人を今すぐ探さないといけないから良かったら協力して欲しいという旨を、相手によって適当に文面を変えながら送った。


 まぁ、あまり劇的な効果が望める気はしないが、何もしないよりはマシだろう。


 町中を走り回ってしおりと村上先輩を捜しながら、もし、しおりが村上先輩の家に呼びされたりとかしていたら最悪だなと思う。


「ひまりちゃん、村上先輩の家がどこにあるかは知ってる?」


「……ううん、知らない。でも、中学の時徒歩で通ってたはずだから、割とこの辺りだと思う」


 なるほど……。うーん、どうしたものか。そもそも、村上先輩は何のためにしおりを呼び出したりしたんだ? というか、本当に呼び出したのか?


 現状、確実に言えることは、しおりが村上先輩と約一分の短い通話を経た後、部屋を飛び出したという事。あの引きこもりのしおりが、だ。


 何か相当なことがあったと予想される。やっぱり脅されたのか? 

 だとしたら、村上先輩の目的はなんだ?


 ひまりちゃんは、しおりと村上先輩に確執があると言っていた。中学の時、ひまりちゃんに軽率に手を出そうとした村上先輩に、しおりが何か苦言を呈したのだろうと、ひまりちゃんは言っていた。


 村上先輩はひまりちゃんのことが好きで、それを以前しおりに邪魔されたから、しおりのことを恨んでいる?


 もし、今日しおりが学校に来たことで、校舎内で村上先輩がしおりのことを偶然見かけて、当時の恨みが再燃して、復習してやろうと考えたとしたら。


 うーん、なんだか無理やり感が否めないが、絶対にあり得ないとは言えない。

 否定はできない。

 言っちゃ悪いけど、俺自身村上先輩とそんなに関わりがある訳じゃないけど、あの人に対する信用はあまりない。

 村上先輩の心境としては、俺にひまりちゃんを奪われて失恋したことで、あまり穏やかじゃないだろうし。


 よし、最悪を想定しよう。


 仮に、村上先輩がしおりに復讐的なものをしようとしていたとして。それなら、どこにしおりを呼び出す?


「ひまりちゃん、村上先輩って別に一人暮らしとかじゃないよな」


「うん、違うと思う。お姉さんと妹がいるって言ってた覚えがあるし、お父さんもお母さんも一緒に住んでると思う……」


 なら、自宅に呼び出したという線は薄い。その上で考えるとすれば、だ。


 ひと気のない場所。ある程度スペースのある場所。……そういえば近くに、寂れた公園があったな。あそこなら人通りもほとんどないし。誰にも見られたくないような事をするには、ちょうどいい。


 行ってみるか。


 〇


 走って三分ほどで、その公園には辿り着いた。


 塗装がはがれた小さな滑り台と、錆び切ったボロボロのブランコがあるだけの小さな公園。町の外れに近いため、ひと気はほとんどない。


 その雑草だらけスペースの隅っこに、二つの人影があるのが見えた。


 小さな影と、大きな影。しおりと村上先輩だ。ビンゴ。


 視線の先に見える二人は向かい合っていて、村上先輩がしおりに詰め寄っているのが見えた。

 しおりは肩を震わせて一歩後ずさり、そんなしおりの肩に村上先輩が手を置く。しおりが緊張のあまり硬直したのが分かった。そんなしおりに向かって、村上先輩は表情を鋭くし、何かを喚いているようだった。


 その場面を見た瞬間、俺の中で何かがキレた。


 ひまりちゃんに助けを求められてから、ずっと抑えていた感情が溢れ狂う。無理やり押さえつけていた分、その赤い感情は限界まで縮んだバネが弾けるように爆発した。


 しおりを脅すような真似して傷つけた事実、過程はどうあれひまりちゃんを泣かせた事実。ヤツに言いたいことは色々あるが、この二つだけで十分だ。タダでは済まさない。


 頭の中が赤白くなって、走り出した瞬間、ひまりちゃんが何かを言ったような気もするが、一瞬記憶が飛んだ。気付いた時には目の前に村上先輩の軽薄そうな顔面があって、その顔が急に近づいて来た俺に驚くように歪められている。


 とりあえず一発。俺が拳を固めその高い鼻っ柱殴りつけようとした瞬間、何かが腹の辺りに飛びついて来た。


「……は、晴斗……っ」


 しおりだった。しおりが必死に俺の腹にしがみついて、制止の声を張り上げる。


「だ、ダメ……ッ。殴るのは――っ」


 その言葉と、しおりの思ったより元気そうな姿に、少し頭が冷える。


 が、その次の瞬間、目の前にいた村上先輩に胸の辺りを突き飛ばされる。

 背後によろけて、俺にしがみついていたしおりと一緒に倒れ込みそうになった。

 どうにかしおりを受け止めきって、正面に視線を戻すと、苛立たしげに髪に手やっている村上先輩の姿があった。


「いきなり何しやがる、テメェ」


 村上先輩は舌打ち混じりにそう吐き捨て、俺を睨む。


「俺がどうしてここにいるのか、分かってないんですか? 村上先輩」


「あ? 何の話だよ。テメェには関係ねぇんだから、すっこんでろ」


 胸元で震えているしおりをそっと横合いに移動させて、俺は前に出る。村上先輩と対面すると、またいつかのように胸倉を掴み上げられた。


「だからテメェは邪魔なんだよ! 消えてろッ!」


 鼻先数センチの位置で凄まれる。平時ならビビっていただろうが、頭に血が上っている今は感覚がマヒしてるのか、自分でも驚くほど冷静だった。頭に血が上った状態を冷静と言っていいのかどうかは分からないが、こんな状況でも、合理的な思考ができるくらいには平静を保っていた。


 胸倉を掴み上げられても、あの時とは違って俺は抵抗しているから、地面にしっかり足はついている。

 確かに村上先輩の方が身長は高いが、俺とそこまで大きく変わる訳でもない。

 光希よりはずっと低い。つまり、踏ん張ることができる。


 だから、今この場、この瞬間にでも、俺はこいつの横っ面を思い切り殴り飛ばすことができる。



 静かに、力を込めて、俺はまた拳を固めて腕を振るう。



「晴斗――っ! だから殴るのは、ダメ!」



 俺の拳が村上先輩にヒットする寸前、またしおりの制止が耳に届いた。

 その時の俺の思考を、どう説明したらいいだろうか。


 目の前にいるこの男が許せない。でも、しおりの嫌がることはしたくない。そんな矛盾する考えが脳内を席巻した。

 俺は僅かに残っていた理性で、自分の拳を寸止めした。


 代わりに、俺の拳に村上先輩が気を取られた瞬間、心中から溢れた赤色の感情が、勝手に俺の脚を動かした。


 キン――ッ、と耳を塞ぎたくなるような幻聴が聞こえた。


 膝先が何かやわらかくて丸っこい物を蹴り上げた感触があった。ちなみに、その小さくて丸っこい物は二つ感じた。



「…………」



 俺はなるべく見たくないと思いつつ、視界の下側を確認した。

 俺の右膝が、村上先輩の股間を抉るように、容赦なく蹴り上げていた。

 自分の下腹部がキュッと締め上げられるような錯覚をした。


 

「……………………」



「おぉぉ……ぉ……おぅおほ…………ほっぉ、ぇぃほぉ……っ、は」



 村上先輩はその顔面を蒼白にして、風船から空気が抜けるような妙な声を漏らしながら、ズルズルとその場に倒れ込んだ。



「……………………」



 静寂が、その場を支配していた。静かだった。緩やかに吹いた風が、伸び放題の雑草たちをそよそよと揺らしていた。



「……………………………」


 俺は恐る恐る振り返って、背後にいたしおりを見る。



「殴っては……、ないょ?」




 ――――こうして、村上先輩は死んだ。


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