二十三話~本当にバカだ。~



 昼休み、ひまりちゃんとしおりが教室を飛び出して行った後、俺はしばらく突っ立ったまま呆然としていたが、やがてハッとなって、俺も教室を出た。

 しかし、学校中を探しても全然二人は見つからなかった。


 もしかしたらと思って、昼休み終了間際、昇降口のしおりとひまりちゃんの下駄箱を覗いてみると、二人とも靴が無かった。しおりもひまりちゃんも、たぶん家に帰ってしまったのだろう。


 午後の授業が始まる直前に教室に戻って、俺は机に突っ伏しながらグルグルとまとまらない思考を捏ね繰り回していた。


 ひまりちゃんは本当に俺のことが好きだったのか、とか。

 なら、あの時の告白も、冗談に見せかけたけど実は本気だったのかな、とか。

 しおりは一人でちゃんと家に帰れたのだろうか、とか。

 しおりとひまりちゃんが二人とも家に帰ったのだとしたら、顔を合わせてしまって何か大変なことにならないだろうか、とか。

 あれがひまりちゃんの俺に対する告白なんだとしたら、やっぱりちゃんと返事をしないといけないけど、どうしよう、とか。

 つーか、さっきのアレをクラスメイトたちに直で見られてたんだよな? 死にてえとか。


 そんなことをグダグダ考えていたら、授業は終わっていた。


 小休憩の時間になって、隣を見ると、小山さんが複雑そうな表情でこっちを見ていた。呆れているようでもあった。光希も、同情するようでありながら、むしろ感心するような表情を俺に向けている。


「河合くんたちにどういう事情があってあんなことになってたのか、私は知らないけど……」


 小山さんがジトッとした半眼で俺を見る。


「なんか、河合くんが悪い気がする……」


「…………」


 これは、女の敵を見る女の子の目……っ。


 俺は冷や汗を流しながら、小山さんの視線から逃れるべく、光希の方を見た。


「いや、さっきはすごいものを見たよ。晴斗も隅に置けないよね」


「お前、他人事だと思って……」


「でも晴斗、なるべく早くハッキリさせといた方が良いと思うよ。なんだか色々複雑な事情がみたいだし、僕が言えた義理じゃないのかもしれないけど、晴斗が思ってること、ちゃんとハッキリ伝えておいた方が良い、どんどんこじれていく前に」


 イケメンに正論を言われた。しかも何か実感がこもった言い方だった。隣で小山さんも頷いている。


 ……まぁ、分かっちゃいる。ひとりでグダグダ考え込んで、答えを引き延ばしても何も良い事がないってことは。


 だから、お腹が痛いけど、本当にお腹が痛いし逃げ出したいけど、行動するしかない。俺が行動するしかない。


「分かってるよ。放課後、あの二人には話をしにいく」


 放課後にもなれば、しおりもひまりちゃんもある程度落ち着いているだろう。そこでとりあえず、気持ちを言葉にしよう。俺の気持ちを言葉にして、ひまりちゃんとしおりにも、気持ちを言葉にしてもらおう。全てはそこからだ。


「うん、応援だけしてる」


 光希は爽やかに笑って、そう言った。このくそイケメンめ……っ。

 

 〇

 

 放課後、俺はキリキリと痛むお腹を押さえながら、相川家に向かっていた。ここの所毎日のように訪れていた場所だが、やけに気が重い。まず二人に会ったらなんて言おう。


 あー……、なんて言おう。辛いよ……苦しいよ……。う、吐きそう……。


 なるべく歩調を遅くして、相川家に辿り着くのを遅らせていたものの、ちゃんと前に進んでいる以上いつかは到着してしまう。

 相川家前にやってきた俺は、いつものように郵便受けから合鍵を取り出そうとしたが、寸での所で踏みとどまる。


 ……とりあえず、インターホンを押してみるか。かおりさんが出てきて殺されたりしないかな……。しないよね?


 そう思った次の瞬間、突然玄関の扉が開いて、ひまりちゃんが飛び出してきた。


 死ぬほどビビった。


 俺が心臓をバクバク震わせていると、ひまりちゃんが俺の胸に飛び込んで来る。ひまりちゃん、積極的過ぎる……と一瞬思ったが、どうにもそんな甘い雰囲気ではない。


 ふるふると震えているひまりちゃんに、「どうしたの?」と聞いてみると、ひまりちゃんが顔を上げてこちらを見た。

 その時、ひまりちゃんの表情にあった感情は、不安、怯え、後悔といったような、嫌な予感を誘うものだった。


「は、ハルくん……」


「うん」


「お姉ちゃんが……、お姉ちゃんが。……ひ、ひまりが悪いの。ひまりが、ひまりの、せいで」


 ひまりちゃんはポロポロ涙を流して、嗚咽を漏らしていた。しゃくりあげるようにしながら、ひまりちゃんが必死に何かを言葉にしようとしている。


 思わず彼女の頭に手を乗せて撫でそうになったけど、一つ思い直して手を引っ込めた。そして、なるべくひまりちゃんを落ち着かせるように言う。


「ゆっくりでいいから、俺に聞かせてくれ。できることなら協力するから、しおりがどうした?」


 〇


 本当は分かっていた。


 あの日、お姉ちゃんが、ひまりのためを思って、村上先輩に何かを言ってくれたんだろうな、って。


 村上先輩が何となくひまりのことを狙ってるなってのも分かってたし、村上先輩がそこそこモテている自分に調子に乗っていて、女にだらしない性格というのも何となく察していた。


 それでもひまりは村上先輩を上手くあしらっていたし、ちょうど良い距離感を保って仲良くやっていけるという自信もあった。


 なのに、お姉ちゃんが余計なことをして、めんどくさいことになった。村上先輩と気まずくなってしまった。


 ひまりはお母さんに頼まれて、お姉ちゃんが困っている時でも助けやすいように、吹奏楽部に入ってあげたのに。

 人見知りで不器用なお姉ちゃんにも友達ができるように、それとなくサポートしてあげてたのに。

 なのに、不器用なくせに。ハルくんやひまりが側にいないと、まともに人と顔を合わせて喋ることもできないくせに。お姉ちゃんのくせに。 


 お姉ちゃんのくせに、ひまりが何も言ってないのに、ひまりのために勝手な事をしないでよ。


 それに、なんで勝手に吹奏楽部をやめちゃうの? 何かひまりに言いたいことがあるなら言えばいいのに。

 お姉ちゃんが居るからひまりはこの部活に入ったのに。こうなったらもう、ひまりがここにいる意味なんてないじゃん。


 だからひまりも、部活をやめた。


 今になって思うのは、お姉ちゃんがひまりのために行動してくれたことに、あの人見知りのお姉ちゃんが勇気を出して行動してくれたことに、少しでもお礼を言えばよかったかな、ってこと。


 でもあの時のひまりは、お姉ちゃん、本当に余計な事をしてくれたな、としか思っていなくて、お姉ちゃんが引きこもりになった後も、バカなお姉ちゃんなんてもう知らないと思っていた。

 もうめんどくさい姉の相手をしなくていいと、気が楽になった。


 もとから姉のことは嫌いだったし、ハルくんのことも独り占めできるし、良い事しかない。そう思っていた。


 今日、昼休みに鈍感でバカなハルくんに大勢の人が見てる中でキスしてやって、でも思った以上に恥ずかしくて、胸の中がグチャグチャになってしまって、落ち着かなくて、先生に今日は早退すると告げて家に帰った後。


 ずっとベッドに寝転んで、ハルくんにキスした瞬間のことを思い出して噛み締めたり、お姉ちゃんめざまぁみろって思ったり、ハルくんに嫌われたりしないかなとか、悶々と考え事をしたりしていた。


 気付けば窓から差し込む光が茜色になっていて、あぁもう夕方なんだと思った。

 その時、隣の部屋からバンと扉が開く音、そして誰かが部屋の外に飛び出して行く足音が聞こえた。誰かと言っても、ひまりの隣の部屋にいる人物なんて、一人しか心当たりがない。

 玄関にあった靴から、お姉ちゃんも学校を早退してひまりより早く家に帰ってきていたのは分かっていた。


 お姉ちゃん、どこに行ったんだろう。トイレに行くような感じじゃなかった。もしかして放課後になったから、ハルくんの所に向かったんだろうか。それは……ダメだ。


 不安と焦燥感に煽られるようにして、ひまりも部屋を出た。

 隣を見ると、お姉ちゃんの部屋の扉は空きっぱなしになっていて、明らかに何かおかしいなと思った。


 ダメな事だとは分かっていたけれど、ひまりはお姉ちゃんの部屋に入った。

 部屋の中はカーテンが閉まっていて薄暗く、本ばかりで、ちっとも女子らしくない部屋だった。ひまりの部屋とは違う。


 机の上には何やらA4サイズのコピー用紙が山積みになっていて、何だろうと思って近づくと、それが何かの文章の羅列――お姉ちゃんの書いた小説だと分かった。


 思わず何枚か手に取って、軽く読み流した。


 いや……これって、まさか……。


 お姉ちゃんが書いた小説の内容にドン引きしていると、ふと、視界の端にあるベッドに視線を向けた。そこに、お姉ちゃんのスマホが無造作に置かれていたから。


 慌てて飛び出して行ったみたいだし、忘れていったのかなと思って、スマホを手に取る。当たり前だがパスコードがかかっていた。


 なんとなく、お姉ちゃんが使いそうな番号を入力して見ると、まさかとは思ったが、本当にロックを解除してしまった。

 パスコードまでハルくんの誕生日なんて、どれだけハルくんのことが好きなんだか。

 待ち受けもハルくんだし。……まぁ、ひまりもお姉ちゃんのことを言えた義理じゃないんだけど。


 流石にスマホの中身を見るのはまずいと思って、電源を落とそうとしたんだけど、お姉ちゃんが直前まで開いていたらしいラインの画面を見て、驚いた。


 そこにあったのは、村上先輩とのトーク履歴だったから。


 画面に表示されているメッセージはたった二つしかなかった。


 一つは、三年前に村上先輩からお姉ちゃんに送ったメッセージ。


『あのことを誰かに言いふらすんじゃねーぞ。特にひまりには絶対言うなよ。もし言ったらお前、分かってるな』


 すぐに、お姉ちゃんと村上先輩が言い争いをしていたあの日のことだと分かった。


 お姉ちゃん、こんなことを言われていたなんて。村上先輩が色々軽くて、荒っぽいのは知っていたけど、女子相手にこんな陰湿な事をする人だとは思わなかった。

 こんなの、脅しじゃないか。

 身体が大きくて力も強い男が、あんな臆病で小さなお姉ちゃんを脅すなんて。お姉ちゃんがどれだけ怖かったか。傷ついたか。


 お姉ちゃん、もしかしてこのことを誰にも言わず、ずっと抱え込んでいたの? 本当にバカだ。バカだ。


 ひまりはこんなの……知らなかった。

 いや違う。多分見ないようにしてたんだ。卑怯なひまりは、自分のせいでお姉ちゃんが傷付いたなんて思いたくなくて、気付かないようにしていた。考えないようにしていた。


 そして、もう一つのメッセージは、つい先ほど、村上先輩が姉ちゃんに電話をかけたこと示すものだった。

 そこには、しっかりとお姉ちゃんと村上先輩が通話をしたという事実が記録されていて、通話時間は約一分。この通話が終わった後、お姉ちゃんは部屋を飛び出して行ったのだ。


 嫌な予感がした。たまらなく、嫌な予感がした。またひまりのせいで、お姉ちゃんが傷付いてしまうんじゃないかって、怖かった。


 ひまりが子供で、変な意地を張ったせいで、お姉ちゃんが酷い目に合うんじゃないかって。ひまりのせいで、ひまりのせいで……。


 お姉ちゃんのことは嫌いだけど。

 大嫌いだけど、それでもやっぱり嫌いじゃない。


 だってやっぱり、お姉ちゃんはひまりのお姉ちゃんだから。


 うんざりするほど不器用で情けなくて、ハルくんことは譲ってくれないけど、こんなひまりにも優しいたった一人のお姉ちゃんだから。


 気付けば足が動いて、家を飛び出していた。なぜか玄関先にはハルくんがいて、驚いたようにこちらを見ている。



 ……お願いハルくん、お姉ちゃんを助けて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る