二十二話~妹のことが好きではない。~
――――妹のことが好きではない。
妹は昔からずっとワガママばかりで、いつもわたしが持っているものを欲しがった。
それでもやっぱり妹は妹で、かわいかったから、わたしは妹に優しくしてあげたし、色んなことを譲ってあげた。わたしはお姉ちゃんなんだからと、そう言われたことも多い。
妹はわたしと違って器用な子で、要領がよかった。
誰とでもすぐに仲良くなれるし、多くの人から好かれてもいた。
人によって態度を変えて、かわいい自分を見せて気に入られるのが上手かった。そういうのを嫌いだという人もいるだろうけど、そんな妹のことをわたしは凄いと思う。
だって、わたしには出来ないことだから。
わたしは人と仲良くするのが、そもそも人と接するのが下手くそだ。昔から誰かと顔を合わせる度に、お腹が痛くなって吐きそうになるし、この人はきっとわたしのことを良く思ってないんだと被害的な妄想ばかりが頭に浮かんだ。
けど、家族以外にも気を置かずに接することができる人も数人いて、その中でも一番わたしが安心して側に居られるのが、隣の家に住んでいる男の子だった。
その男の子と一緒にいるのが、たまらなく好きだった。
彼は口下手なわたしの話を楽しそうに聞いてくれたし、要領の悪いわたしをいつも助けてくれた。
内向的で出不精なわたしは、家の中で本を読んでいるのが好きだったけれど、その男の子の側にいられるなら、どこに行っても楽しかった。
わたしは彼のことが好きなのだ。好きで好きで、たまらないのだ。
いつだったか、わたしとその男の子の二人きりで、近所のお祭りに行ったことがある。
まるでデートみたいだと、幼心ながらにそう思って、強く胸を高鳴らせていたことをよく覚えている。
その男の子は、別にこれが男と女のデートだなんて思っていなかったみたいで、そのことは少し残念だったけれど、彼と二人で色んな出店を回るのは楽しかった。ドキドキした。
その日の記憶の中でも一番ハッキリと心に残っているのは、くじ引きの出店での出来事。
彼は、くじ引きで当てたオモチャの指輪を、わたしに手渡してくれたのだ。
分かっていた。彼は男の子で、その可愛らしい指輪を持っていても仕方ないと思ったから、隣にいたわたしにくれたのだと。彼に、わたしが期待しているような意図はなかったのだと。
分かってた。それでも、本当に嬉しかった。嬉しくて、幸せで、この指輪を一生の宝物にしようと思っていた。
指輪をぎゅっと握りしめると胸が熱くなって、その男の子を好きである自分自身をひしひしと自覚した。
あぁ、彼さえいればわたしは幸せでいられるのだと確信した。
でも、妹はそんなわたしの気持ちを邪魔する。ワガママな妹は、わたしの一番大切で、わたしがそれさえあればいいと思う唯一のものまで、奪おうとしてくる。
取らないで。
要領が悪くて、不器用で、まともに人とも関われないわたしから、要領が良くて、器用で、かわいい妹が、何も持ってないわたしから、持ってるあなたが取らないで。
わたしには、その男の子しかいないのに、取らないで。
その男の子――晴斗がいないと、わたしはダメになってしまうから。
実際、ダメになった。一度、晴斗の側から離れてしまったわたしは本当にダメで、何もできなくて、ずっと息苦しかった。晴斗から離れてしまったのを後悔した。
わたしが晴斗から離れたのは、恥ずかしくて、悲しくて、悔しかったから。
中学生になったばかりの頃、わたしと晴斗は別々のクラスになってしまった。
それでもわたしは晴斗の側に居たかったから、授業と授業の間にある少しの休憩時間にも、晴斗に会いに行った。周りからどんなにからかわれても、晴斗は笑ってそれを受け流して、何とも思ってないみたいだった。
でも、でも、晴斗の近くにいた女の子にある日、晴斗のいない所でこう言われた。
――あんたが晴斗の周りウロチョロしてるの、正直ウザいよ。情けないと思わないの?
たぶん、あの子は晴斗のことが好きだったんだろうけど、わたしは勝てないと思った。
恥ずかしくて、悲しくて、悔しくて、怖かったから。
だから離れてしまった。
けど、一度離れてしまって、自分は晴斗が居ないとダメなんだと気付いた後も、もう自分がどうやって晴斗と接していたのかも分からなくて、どうやって顔を合わせればいいのか分からなくて、こんな自分が嫌になった。
でも、晴斗はまた戻って来てくれた。優しい晴斗は、わたしのために、わたしの所に来てくれた。
けれど、わたしよりかわいくて魅力的で、小狡いひまりに迫られたら、きっと優しい晴斗はわたしよりひまりの所へ行ってしまう。
ひまりは卑怯だ。卑怯だ。
だからひまりのことは好きじゃない。
……でも、嫌いにはなれない。だって、それでもやっぱり、ひまりはわたしの妹だから。
〇
ひまりが晴斗にキスした瞬間、世界が止まったかと思った。
何が起こったのか理解したくなくて、胸の中がおかしくなって。ぐちゃぐちゃになっている。
頭の中が真っ白になって、思考がまとまらない。
気付けば、走り出していた。
教室を飛び出して、廊下を走った。目元が燃えるように熱くて、涙が溢れた。
どうしてもさっき見たアレを思い出してしまって、思い出したくないから、昔のことを思い返した。
中学生の頃、わたしは吹奏楽部にいた時期がある。
晴斗から離れてしまった後、わたしは吹奏楽部に入った。直近に読んだ小説の中に、吹奏楽部の物語があって、元々気になっていたし、こんな自分を変えなきゃと思っていたから。
吹奏楽部に入って、仲の良い友達はできなかったけど、わたしは相変わらず晴斗から離れてしまったことに後悔ばかりしていたけれど、みんな優しかった。
口下手で、要領が悪いわたしでも、居心地は悪くないと思えるくらいに。
そして、二年生になって、同じ吹奏楽部に妹のひまりが入ってきた時、わたしは嬉しかった。
ひまりは、生意気でワガママな妹だったけれど、わたしの妹で、わたしが安心して接することのできる数少ない内の一人だったから。
ひまりはオーボエという木管楽器をやることになった。
わたしとは違うパートだったけれど、ひまりが同じ部活に居てくれるだけで、今までより少しだけ、部活をするのが楽しくなった気がした。
ひまりが選んだオーボエという楽器はあまり人気がなくて、ひまりの他に同じ楽器を練習している人は一人しかいなかった。
ひまりと同じパートだったもう一人の人物は、村上という三年生の男の先輩だった。
この村上先輩という人が、わたしはとても苦手だった。基本的に他人のことは苦手なわたしだけど、その人のことは特に苦手だったのだ。
なんかチャラチャラしてるし、言動は軽々しくてたまに荒くて、怖かった。
でも、そんな村上先輩のことを、カッコよくて演奏も上手くて好きだと言っている子もそこそこいた。
村上先輩と二人きりで同じパートだったひまりのことを、少し心配したりもしたけど、ひまりは器用で要領もいいから、村上先輩とも仲良くやっているみたいだった。
そう、ひまりはわたしよりずっと器用で、要領で、周りと上手くやっていける子だと分かっていたはずなのに。
だんだんと夏休みが近付いてきていた初夏の日のことだ。わたしは偶然、村上先輩が、吹奏楽の練習に使っている教室の一つで、同じ吹奏楽部の男子と話しているのを聞いてしまった。
話の内容は、ひまりのこと。
村上先輩は、隣にいる男子に、どこか自慢げに話していた。
ひまりは、色んな男に媚びを売りまくっている尻軽だとか。
ちょっと良い男に迫られたら、簡単に体を許すビッチで、チョロい女だとか。
夏休みになったら俺もひまりに手を出すつもりだとか。
その後も、村上先輩は、ひまりに対して男の情欲をぶつけるようなことを、偉そうに、軽々しく、ニヤけながら話していた。
そんな訳ない。ひまりは、そんな子じゃない。だってひまりは――。
気付けばわたしはその場に飛び出して、村上先輩に叫び散らしていた。
頭の中が熱くなって、自分でも何を言ったのかよく覚えてないけど、結構興奮してしまって、普段から村上先輩のことを良く思っていなかったのもあって、村上先輩の人格を否定するような、割とストレートな罵詈雑言をぶつけてしまったのような気がする。
ひまりのために、やったつもりだった。
けど、そんな風にわたしが珍しく大声を出して騒いでいた所に、運悪くひまりがやって来てしまって。わたしが村上先輩に汚い言葉をぶつけてしまっているのを、聞かれてしまった。
村上先輩も、わたしとひまりが姉妹であることは知っていたから、酷く気まずそうな顔をしていて、もう一人の男と一緒に逃げるようにその場から去って行った。
ひまりは信じられないというようにわたしのことを見ていて、どうして村上先輩にあんなことを言ったのかと問いかけた。
わたしは、その場でちゃんと説明出来たらよかったのに、体が震えて口が上手く動かなくて、動悸がおかしくなって、その場から逃げ出してしまった。まるで、後ろめたい事でもあったみたいに。
その日から、わたしはひまりとも上手く話すことができなくなって、ひまりと村上先輩の仲も気まずくなっていたようだった。
全部、わたしのせいだと思った。ひまりは要領がいいから、わたしが余計なことをしなくても、上手くやっていたはずなのに。
ある日、わたしの元に村上先輩からラインでメッセージが届いた。吹奏楽部のグループからわたしの連絡先を見つけたのだろう。
メッセージの内容は、俺がひまりに対して言っていたことを、誰にも話すんじゃないぞ、と脅すような内容だった。
それを見て、吹奏楽部に居るのが無性に苦しくなって、怖くなって、わたしは吹奏楽部を辞めた。
わたしが辞めてから、ひまりも部活を辞めてしまったみたいだった。
その後、わたしは学校に行かなくなった。ずっと部屋に引きこもって、色んなことを後悔していた。お母さんや先生に迷惑をかけてしまっているのは分かっていたけど、どうしても部屋の外に出ることができなかった。
小説を書き始めたのはこの頃で、自分の妄想を形にして、その世界に逃げるようにして、心を落ち着かせていたのだ。
わたしはほとんど学校に行かないまま中学三年生になって、その頃からお母さんに説得されて、どうにか学校に復帰した。あの村上先輩が卒業して、居なくなっていたからというのも大きいと思う。
学校には行っていたけれど、わたしは誰とも関わらないようにして、目立たないようにして、ひっそりと卒業した。
高校は、晴斗と同じところに入学した。もしかしたら、また晴斗と喋れるようになるかもしれないと、淡い期待を込めて。
自分から動かないくせに、晴斗の方からまたわたしの所に来てくれる奇跡ばかり願って、その奇跡だけにすがって、わたしは高校に通っていたのだけれど、そんなわたしの気持ちが切れるのは早かった。
とある日、わたしは廊下と歩いている時に、村上先輩とばったり顔を合わせた。
その時、わたしは、同じ高校に村上先輩も進学していたという事実を知ったのだ。その場で、村上先輩はわたしに何かを言いかけたけど、わたしは逃げた。
逃げて、学校から逃げた。
怖くて、体が震えて、動悸が激しくなって、本当に怖くて、わたしはまた引きこもりになったのだ。――――晴斗が、わたしの部屋の扉をノックしてくれたあの日まで。
そんなことを思い返しながら、廊下を走っていたわたしは、前を見ずに向かい側から歩いて来た誰かとぶつかってしまった。
背の高い人だった。咄嗟に後ずさって、謝ろうとしたけど言葉がつっかえて上手く出てこなくて、恐る恐るその人の顔を確認した瞬間、息が止まった。
不快そうにわたしのことを見下ろしていたのは、村上先輩だった。しかし、村上先輩の眼が、何かに気付いたように見開かれる。
「あれ? お前……」
村上先輩が口を開いて、何かを言おうとした。でもその前に、わたしはまた逃げた。今度は誰にもぶつからないように走って逃げて、まだ昼休みなのに、学校を飛び出して家に帰った。
靴だけ脱いで階段を駆け上がって、自分の部屋にこもる。引きこもる。
もう嫌だ。全部嫌だ。こんな情けないわたしが嫌だ。助けて晴斗……。
布団をかぶってうずくまり、ジッとしていたら、いつの間にか眠っていた。わたしが起きたのは、ポケットに入れていたスマホが震えたからだ。着信だ。誰かがわたしに電話をかけてきた。
きっと晴斗だと思った。
優しい晴斗が、わたしのことを心配して、電話をしてくれたのだと。勝手に期待して、都合のいい妄想をして、バカなわたしは、相手の名前も確認せずにその着信に応答してしまった。
『――お、繋がった』
晴斗の声ではなかった。ハスキーな低音のその声が誰のものなのか、すぐに分かった。
これは、村上先輩の声だ。
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