二十六話~その後。~


 その後。


 まず、姉ズにシメられた俺と村上先輩は、抵抗する気力もなく事情徴収のため、我が河合家に連行された。しおりとひまりちゃんはその後ろをちょっと引き気味に付いてきていた。


 そして今、皆がなぜだか俺の部屋にいる。

 

 なぜ俺の部屋? ちょっと早香さん、さりげなくベッドの下とか確認しないでくれます? エロ本とかないから。最近はネットの時代だから。チッ面白くねぇなぁ、みたいな顔しなくていいから。何しに来たんだよあんた。


「しおりちゃん本当に久しぶりだね。元気にしてた?」


「は、はい……、お久しぶりです……夏海、さん」


 姉ちゃんに笑いかけられて、俺の背中に張り付いているしおりが、ビクビクしながら挨拶を返す。これは姉ちゃんに会うのが久しぶりすぎてビビってるのか、さっきの暴力ゴリラ(姉)を目撃してしまって怯えているのか、どっちだろうか。たぶん後者だな。


 姉ちゃんは、しおりに背中から抱き着かれながら、ひまりちゃんにも右腕をギュウと抱かれている俺を見て何か殺意めいたものを向けてきたが、この場ではひとまず不問にしてくれるらしく何も言われなかった。


 しおりは、知らない人も含めて多くの人がいるこの空間に緊張してしまっているのだろう。

 俺にしがみついて、俺の体を自分に向けられる視線のガードに使っている。落ち着くためなのか、背後から深呼吸してるみたいな音が聞こえてるけど、これ俺のにおい嗅いでない……? 気のせいかな……。めっちゃ鼻先押し付けてくるし。おっぱいも当たってるし……。


 姉ちゃんに睨まれてるのが怖すぎて、変な気なんて起こりそうにもないんだけど、気になるものは気になる。


 一方、ひまりちゃんは、俺の背中に抱き着いているしおりを見て、凄く不満そうな表情を浮かべていたが、今までのように挑発めいたことは言わない。複雑な感情が、ひまりちゃんの胸中に渦巻いているのが分かった。


 その時、背筋にゾクッと寒気が走った。本能的に、敵意を向けている者がいる方向に視線をやると、村上先輩が物凄い形相で俺を睨んでいた。もう、怖い……。こわぃぃ……。よく俺こんな人にビビらず立ち向かっていけたな。よくやったわホント。


 姉ちゃんも言ってたけど、小さい頃にも何度か、しおりとかひまりちゃんが何か酷いことされた時にキレて手を出してその主犯たちと喧嘩になったことがあった気がする。

 しおりとひまりちゃんは昔からかわいかったから、気になっていじめたくなる男子も多かったのだ。小学生にありがち。


 俺は生まれた時から姉にいじめられ、逆らうと大変なことになっていたので、女だけには何があっても手を出してはいけないという精神が染みついていた。だから、ソイツらの気持ちはあまり理解できなかったけど……。


 しかしながら最近、ひまりちゃんが俺にちょっとからかわれた時に見せる恥じらうような表情が、とてもかわいいということに気付きました! これで仲間だね! あの時殴ってごめんよ……。そうか、小学生は好きな子のかわいい姿を見たくて、好きな子にちょっかいかけていたのか……。でもやり過ぎはダメだよ! 何事もほどほどしないと。


「それで、晴斗あんた、早香んとこの弟くんと、なんであんなとこで喧嘩してたの? 私に送ってきたあのラインはなに? 関係ない訳がないよね?」


 俺が思考の海で遊んでいると、ついに姉ちゃんが本題を切り出した。皆の視線が俺に集まる。


「……あー、なんと言いますか……」


 俺は言葉を濁す。ハッキリ言って、姉ちゃんと早香さんは今回の事に無関係だ。いや、無関係だったという方が正しいか。


 俺が巻き込んでしまった。俺があのメッセージを姉ちゃんに送って、そして姉ちゃんも早香さんも、村上先輩を捜すことに協力してくれたからには、もう無関係とは言ってられない。協力してくれていなかったらとしたら、あのタイミングであの公園にやってくるはずがないのだ。


 ならば、全てとはいかずとも、俺はある程度の事情を姉ちゃんと早香さんに説明するのが筋だ。筋なんだが、でもなぁ……。


 俺は側にいるしおりとひまりちゃんに、確認を取る意味で、視線を向けた。二人とも、困ったような表情を浮かべていた。うーん、あんまり言いふらしてほしくなさそう。まぁ俺だって全部知ってる訳じゃないし、結局しおりと村上先輩の間に何があったのか把握してないし。


 …………よし。


 俺は姉ちゃんと早香さんを見ながら、静かに口を開く。


「ほんとにすみません、一旦俺たちだけで話をさせてもらっていいですか? あとで話せることはちゃんと話すんで」


 俺がそう言った後、数秒の沈黙があった。そして、俺と目が合った姉ちゃんが頷く。


「……わかった。早香行くよ」


「ほーい。でも俊、テメェからは後でアタシが個人的に話を聞くからな」


 姉ちゃんと早香さんが立ち上がって部屋を出て行く。

 去り際、早香さんが村上先輩に視線を突き立てていった。怖すぎる。村上先輩明らかに怯えてるし。


 割と肝心な所では話が通じる姉で助かった。普段は理不尽の塊みたいなゴリラだけど。


 改めて、俺はひまりちゃん、しおり、村上先輩の三人を見渡す。


「まず村上先輩」


「…………」


「蹴り上げてすみませんでした。潰れてません?」


「…………チッ」


 舌打ちで返事があった。

 よかった、大丈夫みたい。


「ただ、あなたを蹴り上げたのは謝りますけど、俺は先輩に言いたいことがいくつかあるんですよね。だからこそ、あの場に居た訳ですが」


「…………」


 村上先輩は苛立たしげな顔をしていたが、横目で俺のことはしっかり見ていた。話は聞いてくれるらしい。


「俺は、村上先輩が過去、しおりとひまりちゃんに何をしたのか知ってます」


「……っ」


 村上先輩が動揺したのが分かった。ホントは詳しいことは知らないんだけど、ひまりちゃんから聞いた話から、何となく予想がついているからこそ、こう言った。


「ひまりちゃんの事で、村上先輩としおりが言い争い? 的なことをして、そのことをひまりちゃんに知られると困るから、しおりを脅して口止めしたんですよね」


「………………」


 否定は無かった。俺の背後にいたしおりが、驚いたような息遣いをする。


「は、晴斗、なんでそのこと……」


「あぁ、ごめん。しおりスマホを部屋に忘れていっただろ? その中身をひまりちゃんと俺で見ちゃったから。しおりと村上先輩のやりとりを」


「え、……えっ、え!? えぇッっ!」


 しおりは酷く動揺していた。尋常じゃない反応。


「い、いや、より正確に言えばひまりちゃんから口で聞いただけで、それ以外は何も見てないから」


「……ほ、ほんと?」


「ほんとホント」


 しおりがホッと安堵の息を吐いた。そんなに見られたくないものでもあったのかな……。まぁ、年頃の女の子だもんね。俺も年頃の男の子ですが。

 でもエロいやつを見た時の履歴はしっかり消してるからスマホを見られても安心安全の俺です。

 パソコンは見られるとマズイ。


 俺は村上先輩に視線を戻して、続ける。


「『あのことを誰かに言いふらすんじゃねーぞ。特にひまりには絶対言うなよ。もし言ったらお前、分かってるな』——でしたっけ? 〝あのこと〟ってのが何か深く問い詰めるつもりはないですけど、こんなメッセージを送られたしおりがどれだけ怖かったか分かるか? あんたは軽い気持ちで送ったのかもしれないけど、しおりがどんなに傷ついたか分かるか? あんたがこれを送った後、しおりがしばらく学校に行ってなかった事実を知ってんのか? 部活を辞めたのを知ってんのか? どんな気持ちでしおりが部屋にこもってたのか知ってんのか? なぁ」


 当時、しおりと疎遠になっていて、無関係だった俺が言えた義理じゃないのかもしれない。でも言わずにはいられなかった。


「………………」


 村上先輩は酷く気まずそうな表情を浮かべて、俺から目を逸らした。流石にイラッとくる。


「おいアンタ、何か言ったら――」


 そう言って、俺が立ち上がろうとした時、しおりとひまりちゃんが俺を引き留めた。グイと引き戻されて、俺は深呼吸してからまた床に座りなおす。そうだクールに行こう。


 自分の心を落ち着かせていると、しおりが俺に言った。


「晴斗、違うの」


「違うって何が」


「む、村上……先輩は、わたしにもう、謝ってくれた……から」


「……え?」

 

 …………………え? 予想外の事実だった。えー、なるほど? ってことは、つまり……。


「む、村上先輩は、わたしにも、ひまりにも、あの時、ひ、酷いことしたって……。ずっと、言おうと思ってたけど、言えなくて……、今日、わたしを学校で見て……言おうと、思ったって……。それで、直接謝りたいから……って。わ、わたしも……あの時、村上先輩に、酷い事言っちゃったと思う、から……、わたしもずっと、あの時のこと気にしてた……から、わたし、がんばって、行かなきゃって……、それで……」


 それでしおりは部屋を飛び出して行ったのか……。それにしても不用心すぎる。もし村上先輩がしおりを騙すつもりでそんなこと言ってたとしたらどうしてたんだ。まぁ、村上先輩の反応を見る限り、全部マジっぽいけど。


 ひまりちゃんも、少し意外そうにしおりと村上先輩を見やっている。


「じゃあ、あれは? 俺があの公園に行った時、しおり、村上先輩に詰め寄られてたよな。どう見ても謝られてるって感じじゃなかったけど」


「あ、あれは……その……」


 しおりが、言いにくそうに言葉を詰まらせる。そして、村上先輩とひまりちゃんを交互にチラリと見た。 


 なんだ……? 


 しおりは、ばつが悪そうにしている村上先輩が何も口を挟まないのを確認してから、俺に耳打ちする。ひまりちゃんに抱き着かれていない左側から、顔を赤くして囁いてくる。


 そのしおりの言葉を少し聞いて、俺は全てを察した。完全に理解した。


 村上先輩、あんた……。


 まぁでもこれはこの場で言って何の問題ないだろう。ひまりちゃんはもう察してるし。何か悪い事があるとすれば、村上先輩が恥をかくだけ。要するに問題がないってことだ。


「村上先輩は、しおりに謝った後、自分が好きなひまりちゃんを俺から奪って付き合うために、しおりに協力してもらおうとしたんですね」


 つーかたぶん、あんたこれをお願いするためにしおりに謝ったろ。村上先輩はしおりとひまりちゃんの仲があまり良くないの知らなかっただろうし。そして、しおりがそれに難色を示したから、必死に詰め寄っていた、と。


 俺がハッキリとそれを口にした瞬間、村上先輩の顔が赤くなった。

 いいから、そういうギャップ的なのいいから。

 チラチラとひまりちゃんの方見なくていいから。乙女か。


 あんたヤンキーみたいな見た目で言動が荒っぽくて軽率なくせに、吹奏楽部に入ったり、何年もの間ひまりちゃんのこと想ってて、それでひまりちゃんに自分の好意がバレて純情乙女みたいに顔赤らめるとか何なの? かわいいなの? バレバレだから、そのひまりちゃんへの好意もう本人にバレてるから。


「村上先輩……」


 ひまりちゃんがそんな村上先輩を見て、呆れたように呟いた。


 村上先輩はさらに顔を赤くして、「な、なんだよ……」と素っ気なく言った。ちょっとキモい。ここまであからさまだとむしろ感心するな。もしや狙ってんのか……? キモい。


「お姉ちゃんには、ちゃんと謝ったんですか?」


「……あ、あぁ……。あの時は、ほんとに悪かった。ひまり、お前にも俺は……」


「あ、そういうのいいです。何となく分かるんで。ひまりも聞きたくないですし」


「…………」


 村上先輩が絶句していた。好きな子に無関心向けられると心死ぬよね。分かる。しかもひまりちゃん俺の腕に抱き着いたまんまだし、村上先輩からすればたまったもんじゃないだろう。ちょっと可哀そうかなと思う。でも同情はしない。さっきから俺だけに殺意向けられてるし。


「じゃ、ひまりからも一つ。村上先輩、すみませんでした」


 ひまりちゃんが本当に、本当に少しだけ頭を下げた。そんなひまりちゃんを見て、村上先輩は何のことを謝られているのか分からないように困惑していた。


「この際もう言っておきますけど、ひまりとこのハルくんが付き合っているっていうの、あれウソです。村上先輩のひまりへの迫り方がウザかったので、ハルくんに協力して彼氏のフリやってもらってました」


 その時、村上先輩が俺に向けている殺意がちょっとだけ和らいだ気がした。


「でも、ひまりが村上先輩の気持ちに応えることはないです。そもそもタイプじゃないですし、ひまりが好きなのは、ハルくんなので……」


 ひまりちゃんが、頬を赤らめて俺を見る。近い。距離が近い。かわいい。


 村上先輩の俺へ向ける殺意が、激しく増した。明日から夜道に気を付けよう。


「それと、お姉ちゃんに無理なお願いをするのもやめてください。お姉ちゃんは不器用で情けなくて一人じゃ何もできないので、そんなこと頼んでも無駄です。そもそもお姉ちゃんに手伝ってもらったくらいで、村上先輩がひまりを落とせる訳ないので」


 すっげぇひまりちゃん、ここまで言うか……。怖い。


「…………うぅ」


 しおりの口から情けない声がこぼれ落ちた。


「…………」


 村上先輩はしばらく項垂れていたが、やがてのっそり立ち上がると、フラフラした足取りで、部屋の扉の方へ向かう。俺とのすれ違いざま、村上先輩はしおりのことを見下ろして、小さな声で言った。


「無理なこと言って、悪かったな」


「……い、いえ……、だ、大丈夫です……」


 次に村上先輩は俺を見て、凄まじく不本意そうな表情を浮かべながら、ボソリと言った。


「お前も……悪かった。……邪魔したな」


 そう言い残して、村上先輩は部屋を出て行った。



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