十八話~ いやこれは反則だろう……。~


 この一週間、俺が家を出る前には必ずひまりちゃんの来訪を知らせるインターホンの音が鳴っていたのだが、今朝はそれがなかった。

 一抹の寂しさを覚えつつ、学校に行く準備を整えた俺は、お隣の相川家に向かう。


 インターホンを鳴らすことはせず、ラインでしおりに『家の前で待ってる』と送って、塀に背中を預けた。俺が送ったメッセージはすぐに既読が付き、その数分後、慌てたようにしおりが飛び出してきた。


「ご、ごめん……」


 しおりが胸を押さえて荒れた息を整えるようにしながら、俺を見上げる。


 化粧っ気のない素朴な顔立ち。澄んだ瞳に、小さく整った鼻梁、日の光に当たったことがないような白い肌はほんのり上気していて、やけに色っぽい。

 顔を隠すような長い前髪はその左半分持ち上げるようにしてヘアピンで留められており、艶やかな長い髪は背中まで届いている。

 制服は規定通りにきちんと着こなして、スカート丈もひまりちゃんより十センチは長い。いかにも真面目で清楚という印象を受ける装いであるのに、胸元のブラウスを大きく押し上げている二つの双丘がギャップ的シナジーを発揮し、爆発的なエロスを生み出していた。


 いやこれは反則だろう……。

 変な気を起こしそうになったので視線を上げてしおりと目を合わせる。


 部屋の中で顔を合わせる時と比べ、日の下で見るしおりにまた違った印象を受けた。こんな風にしおりと一緒に登校するのは、果たしていつ振りだろう。とても懐かしく感じる。


「いやそんな待ってないから気にすんな。じゃあ行くか」


「う、うん」


 コクンと控えめに頷いたしおりを横目に、俺は先導するように歩みを進めた。しおりがその後に続いてくる。

 俺の右後ろに張り付くようにして、静かな足運びで歩くしおりが緊張しまくっているというのが、そちらに顔を向けずとも分かった。


「しおり」と呼びかけると、ビクンと大きくしおりの肩が跳ねた。


「な、なに……?」


「あまり気を張らなくてもいい。たぶん、しおりが思ってるほど、みんなしおりが学校に来てなかったことは何とも思ってない。学校をサボる奴なんて全国には腐るほどいるしな。気楽にしとけばいいよ。もしまたしんどくなったら学校なんか行かなきゃいいんだから。……別に、不登校になるのは悪い事じゃない」


 そう、不登校であること自体は悪い事じゃないのだ。一番の問題は、しおりが何らかの悩みを独りで抱え込んでしまって、閉じこもりきりだったという事。だからかおりさんは最初、俺に向かってこう頼んだのだ。


『ハルちゃんには、引きこもって部屋から出てこないウチのしおりを外に連れ出してリア充にしてあげて欲しいの』


 かおりさんは一度もしおりを学校へ引きずり出せとは言っていない。


 しおりが独りで閉じこもってしまうのをやめて、幸せにさえなってくれたら、それでいいのだ、あの人は。


 その辺りの問題を解決した上で、ちゃんとした意思の元、しおりが学校に行きたくないというのなら、俺はそれ以上介入するつもりはない。


 ただ、今のしおりが、自分で自分のことを学校に行くべきだと思っているのは事実。

 なら、俺はそれの手助けをするだけだ。しおりが学校に行けるようになることで、しおりが抱えてる悩みが解決するキッカケになればいいと思う。


「うん……、ありがとう」


 しおりは少し落ち着いたようだった。花が咲いたように微笑んだ顔がかわいらしい。


「まぁ、俺もいるしな。同じクラスだし。そうそう変な事にはならんだろ。学校って基本的に椅子に座って先生のつまらない話聞いてるだけだし」


「うん……、うん……、そうだよね。ありがとう、晴斗」


 そう言って、しおりが俺の手を握ってくる。


「……えへへ」


 小さくやわらかい手の形をハッキリと感じ取ることができた。

 ちょっと、人目に付くところでいきなりそういうことされると非常に困るんですが。

 気恥ずかしく、もどかしい気持ちだった。果たしてこれでいいのか、という思いが胸に浮かぶ。


 結局、学校に着く直前まで俺はしおりに手を握られっぱなしだった。周りから俺に向けられる視線が異様に鋭い気がした。


 〇


 しおりと一緒に教室に入ると、既に登校していたクラスメイトたちの視線がこちらに向けられた。

 しおりがそんな視線を遮るように俺の陰に隠れる。


 クラスメイトたちが、横目でしおりのことを確認しながらひそひそと言葉を交わしているのが目につく。ほぼ間違いなくネガティブな意味合いを孕んだ会話ではないだろうが、しおりからすればあまり喜ばしくはないだろう。


 まぁ、この辺りは仕方ない。想定もしていた。


 とりあえず俺はしおりを連れて、教室窓際最後方の自分の席へ向かう。


「あ、晴斗おはよ」


 席に近付くと、一人のイケメンが俺に向かって手を上げてくる。まるで少女漫画のヒーローが現実世界に飛び出してきたような人物――佐々木光希だ。

 そんな光希が座っている後ろの席には、光希の彼女である小山笑瑞こと小山さんもいる。


 この二人には、昨日の時点で俺が大体の事情を電話で伝えてある。そして今日登校する途中、この二人の事もそれとなくしおりに話している。

 同じクラスの俺の友人で、気のいい人物である、と。

 まぁこれでお互いが仲良くなるためのハードルはグッと低くなっている訳だ。


 小山さんは俺に軽く挨拶をした後、改めて俺の後ろに隠れているしおりを見た。


「しおりちゃんもおはよう、ひさしぶりだね。私の事……、覚えてる?」


「う、うん……」


 しおりは、コクリと頷いた。


「よかった、忘れられてたらどうしようかと思った」


 小山さんがホッと安堵したように微笑む。


「そ、そんなことは……」


「ほんと? でも本当にひさしぶりだよね。せっかくしおりちゃんと同じクラスになれたんだから、こうして会えてよかった」


「……っ」


 小山さんの眩しさに充てられたのか、しおりが狼狽えたように肩を震わせて、俺の背中に完全に隠れた。しかし、何かを思い直したのか、しおりがまた顔を覗かせて、小山さんの方を見る。


「わ、わ、私も……、よかった」


「うん、改めてこれからよろしくね、しおりちゃん」


 すげぇ小山さん、なんて包容力だ。しおりに程よく緊張を抱かせないための声のトーンと間の取り方だった。まるで慈母のようである。さすがクラス委員長。


「晴斗」


 俺が心の中で小山さんに賞賛の念を送っていると、光希が俺に呼びかけた。


「よかったら僕の事も紹介してくれない?」


「イヤだが?」


「え、なんで」


「お前のことを紹介して、しおりがお前に惚れると困る」


 半分冗談だが、半分は本気だ。


「いやいや、そんなことにはならないでしょ」


 爽やかに笑ってみせる光希。


 こいつは自分のイケメン力を甘く見ているな?

 俺はこの光希とかいうイケメンと仲良くするようになってから、こいつがいかにモテるのかを実感させられる機会が度々あった。


 一つ例を挙げよう。俺が光希と食堂にて昼食を取っている時、光希がトイレの行くため離席したことがあった。その時、俺は初対面の後輩女子(かなりかわいい)に突然話しかけられて、告白されるのかと思ったら、光希にこのラブレターを渡してくださいとお願いされたのだ。


 いやもうあの時は本当に驚いた。結局俺は、「渡すのはいいんだけど、あいつちゃんと彼女いるよ?」と言って、その後輩女子を泣かせてしまった。どうやらその事実は知らなかったらしい。結構しっかり泣かれた。食堂中の視線が俺に集まっていて思い出しただけでお腹痛い。


 俺が腹を押さえていると、光希がしおりに微笑みかけて口を開いた。


「はじめまして、佐々木光希です。しおりちゃん、でいい? 晴斗から少しだけ話は聞いてるよ。幼なじみなんだってね。なんかいいよね、そういうのって」


「待て待て待て」


 ナチュラルに距離を詰めていこうとする光希を、俺は制止する。


「なに晴斗」


「たぶんそういうとこだぞお前」


 一つハッキリさせておくと、光希に変な気は全くないのだ。ただ純粋に、初対面の人物と仲良くなろうとしているに過ぎない。実際、男に対しても女に対してもびっくりするくらい態度変わらないし。


 しかしながら、こいつみたいな気が良く接しやすい爽やかイケメンに、親しげに笑いかけられて勘違いしてしまう女子が少なからずいるのは事実。そう、これが罪な男という奴だ。ほら、小山さんがちょっと苦笑してるし。しおりも顔を真っ赤にしてあわあわと慌ててるし。


「お前が勝手に自己紹介するくらいなら、もういい。俺が紹介してやる」


「そう?」


 微苦笑する光希。ほんと憎たらしさ通り越して感心するレベルで顔がいいなコイツ。


「いいかしおり、コイツは顔だけはびっくりするくらいイケメンだが、ついでに性格がいい、あと運動神経も抜群で勉強も意外とできる。あとこんな見た目のくせして割と誠実だ」


「晴斗にそうハッキリ褒められると照れるね」


 褒めてねえ、事実を言ってるんだ俺は。


「だがしおり、勘違いしてはいけない。惚れてはいけない。こいつにはもう彼女がいる。そう、ここにいる小山さんだ。性格のいい美男美女の完璧カップルだ? 信じられるか? 実在するんだぜこれ」


 もうカップルの見本として博物館にでも飾っとけよ。


「もう、やめてよ河合くん」


 口では嫌がってるが体は正直だった。小山さんの顔は嬉しそうにニヤけている。


「そ、そう……なんだ」


 しおりが驚いたように呟いた。


「うん、そう」


 光希が事も無げに頷いた。ちょっとは照れろよコイツ。無敵か? 


「へ、へえ……」


 なぜかしおりがちょっとだけ嬉しそうにしていた。あれかな、しおりが書いてる小説の参考になりそうだとか、そういうことかな。まあ確かに物語の中に出てきそうな二人ではある。


 その時、HRの開始を知らせるチャイムが鳴った。先生はまだやって来ていないが、教室のあちこちに散っていた生徒たちが自分の席に戻り始める。


「しおり、お前自分の席は分かるか? あそこな」


「え、え」


 しおりは俺の制服の裾を握るようにしながら、動揺していた。


「は、晴斗は?」


「俺はここ」


「え、でも」


「ほら、早くしないと先生来るぞ」


 そう言って、しおりの背中をそっと押すと、しおりはおっかなびっくり自分の席に着いて背中を丸くした。


 後方からその様子を見て、ふうと一息吐きながら俺も自席に腰を下ろした。


 隣を見ると、小山さんが何か言いたげな顔で俺のことを見ていた。

 視線だけで「どうしたの?」と問うと、小山さんはまだ先生が来ていないことを確認してから、抑えた声で言った。


「しおりちゃん、大丈夫なの?」


「大丈夫でしょ、HRや授業中なんて基本的に喋ることも動くこともないし、昨日ウチの担任にしおりの事情はある程度伝えて、配慮してもらうように言っといたから」


 昨日、小山さんや光希に連絡するついでに、学校にも電話して今日しおりが登校することは伝えておいた。学校側もしおりが不登校になっている事実は元々把握しているので、話はスムーズだった。

 少なくとも今日は、ウチで行われる授業中に、しおりが当てられたりすることはないと思う。


「そんなことまで河合くんがやってるの?」


「いや、まぁ一応」


 小山さんの表情がさらに複雑そうなものになる。

 小山さんがまた何かを言いかけた時、ガラガラと戸がスライドする音がして、ウチのクラスの担任が入って来た。


「いやー、すまんすまん、ちょっと遅れた」


 先生は教壇に立って、名簿帳を手に取ると、いつものように教室内を見渡し、欠席がいないか確認する。ふと先生の視線が、教室隅で小さくなっているしおりに向けられた。しおりの肩がビクンと跳ねる。次に先生が一瞬だけ俺を見たが、すぐに正面に視線を戻して、よく通る声で言う。


「よし、欠席はいないな。いいことだ。じゃ、連絡事項としていくつか」


 先生が話し始めたところで、横目で小山さんの方を確認してみたが、彼女は既に正面を向いて真面目に話を聞いていた。


 なんとなく、小山さんが何を言いたかったのか分かるような気もした。


 まぁでも、今俺が優先しているのは、例え俺に頼りきりだったとしても、しおりが安心して学校生活を過ごしてくれることだ。それでその内、きっと俺以外にも仲良くできる子ができる。その辺りは俺も手伝うつもりだし。


 そこまでいけば、しおりも一人で学校に行けるようになると思う。そもそも、引きこもる前はしおりも一人で学校に行ってた訳だし。しおりだって子供じゃないんだし。

 かおりさんが言ってたしおりが俺に依存している云々の話も、ちゃんとした友達さえできれば、何とかなるでしょう。大丈夫(多分)。

 

 ――なんて、いつものように楽観的に物事を考えていたこの時のアホな俺は、しおりがどれだけ俺に依存していて、ひまりちゃんがどれだけ俺に対して好意を抱いているのか、ということを分かっていなかったのだ。


 この後に起こる、いわゆる〝修羅場〟を通して、俺はそれを思い知ることになる。


 

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