十七話~「ヤダ」~
それ以降の約一週間は、日曜日にひまりちゃんの買い物に付き合ったり、しおりに小説の参考にしたいと『壁ドン』と『顎クイ』なるものを要求され、悶え死にそうになりながらも敢行したりしたこと以外は特筆する事柄も無く、日々が過ぎた。
朝、ひまりちゃんと二人きりで登校し、昼にひまりちゃんと二人きりでお弁当を食べ、放課後にしおりと二人きりで楽しくお喋りするという、まるで二股最低男のような日々を楽しく過ごした。
ひまりちゃんと恋人のフリを始めたあの日以降、村上先輩とは何度か廊下ですれ違ったりしたものの、声をかける間もなくギロッと睨まれて、先輩がどこかへ行ってしまうと結果に終わっている。
正直、村上先輩もひまりちゃんのこと諦めてるっぽいし、だから、もう恋人のフリしなくてもよくない? とひまりちゃんに先日提案したのだが「まだダメ、そんなにすぐ別れたりしたら怪しまれるでしょ」と怒られた。怪しまれるらしい。
また、ひまりちゃんやしおりと会話する中で、どうにか二人が仲直りするための糸口を掴もうとはしているのだが、そうそう都合良く事が運ぶ訳もない。
とまぁ、そんな感じだ。この一週間で好転した事と言えば、しおりが俺相手なら普通に会話してくれるようになったこと、くらいかな。かおりさんから聞いたしおりの依存云々の話を踏まえると、果てしてこれでいいのかと疑問が残る部分もあるが、とりあえず良しとしておく。
かおりさんも別に俺を急かしている訳ではなさそうだし、長い目で見ていこうと思いつつ、本日、木曜日の放課後のこと。
しおりが衝撃の言葉を口にした。
「ねぇ、晴斗……、わたしと一緒に、学校に行って、欲しいの」
場所はしおりの部屋、しおりはベッドに腰掛けて、パーカーの裾を握りしめながら、床に座り込んでいる俺を見つめた。その表情は何かを決意したようであり、瞳には自ら前に踏み出そうとする意志が宿っていた。
俺は猛烈に感動していた。
実の所、いきなり学校に行くとまでは言わずとも、そろそろ俺と一緒に外に行く程度のことはできるんじゃない? とは思っていたのだ。だから今日あたりにそのことを提案しようとは思っていたのだが、まさかしおりの方から、しかも登校を希望してくるとは。
やっぱりしおりはやればできる子なのだ。俺は知っていたぞ。
これはこの一週間、しおりと接している中で感じたことなのだが、彼女も彼女でこの状況を何とかしたいとは思っているようだった。かおりさんに迷惑をかけている自覚も、ずっと引きこもっている現状を打破したいとい気持ちも、しおりはちゃんと持っている。
ただ、引きこもっているというこの状況が当たり前になってしまい、その上引っ込み思案なしおりは、現状を打破するための一歩を踏み出せずにいた。少なくとも俺はそんな風に思っている。
俺はしおりのことを見つめ返して頷いた。
「よし、じゃあ明日学校に行こう」
「あ、明日……っ?」
しおりは目を見開いて動揺を示す。
「そう、明日。せっかく決心したなら行動は早い方がいい」
「で、でも……その、心の準備が……」
「いや、明日行こう」
この機会を逃せば、しおりはまた色々理由を付けて引きこもり続ける気がした。
「いつやるか!? 今でしょ!?」
「…………」
リアクションが皆無だった。虚無といってもいい。
流石に古かったか……。エグイほど滑ったな今。死にたい。
とまぁ、その後も勢いで押し切って、しおりと明日一緒に学校に行く約束をした。
よしよし、良い感じ。……ただ一つ、問題がある。
ここ最近、俺は毎朝ひまりちゃんと一緒に登校している訳だが、ここにしおりが加わることを考えると、ほぼ間違いなく面倒なことになる。
本来なら、しおりとひまりちゃんの不仲がある程度緩和されてから学校へ行くのを提案しようと思っていたんだけどな。
しかしながら、せっかくしおりがやる気になっているのだから、この機会を逃したくはない。
しおりとのお喋りタイムを終え、帰宅する前に一階のリビングを覗いてみると、そこにはソファに寝転んでスマホをいじっているひまりちゃんがいた。丁度いいと思って話しかける。
「ひまりちゃんおかえり」
「あ、ハルくん。もしかしてずっとあの引きこもりの相手してたの? 大変だねー」
ひまりちゃんがちょこっと顔を上げて俺を見た。
「いやまぁそこまで大変でもないけどな、しおりと話すのも昔に戻ったみたいで楽しいし」
「ふーん? ハルくんもよくやるよね。ひまりならあんなのの相手なんか絶対ムリ」
うへぇとイヤそうに舌を出しながらひまりちゃんは言った。
「まぁそう言うなって」
「ふん」
ひまりちゃんは気に入らないとでも言いたげに鼻を鳴らして、スカートを押さえながらソファに座りなおす。そして自分のふとももに肘を置いて頬杖をつくと、何かを見定めるように視線を俺に向けた。
「どしたの、ひまりちゃん」
「ハルくん、ってさ」
「なんでしょうか」
「マゾだよね」
「なにゆえ?」
極めて心外である。
「だってハルくん、進んであんなめんどくさい引きこもりの相手してるし、ひまりにいじめられてる時すごい嬉しそうだし、ひまりと一緒に居る時楽しそうだし?」
最後のはマゾでは無くないか?
「どう考えてもマゾじゃん」
「別にいじめられて嬉しいとは思ってない」
ただし俺の周りにいる女性陣が強すぎるせいで、いじめられ慣れているかもしれないという事に関しては否定ができない。おかげで女の子の頼み事は基本的に断れない気質。ここでいう女の子とは歳下から歳上までの幅広い異性の意。
「思ってないの?」
「思ってないよ?」
「じゃあ自分では気づいてないってことだ。余計キモいね」
楽しげに言ってクスクスと笑みをこぼすひまりちゃん。そう言うひまりちゃんこそSっ気あるよね。
「ところでひまりちゃん、少し話があるんだけど」
「ヤダ」
さっきまで笑っていたひまりちゃんの顔が、一瞬にして不満そうなものに変わる。
「まだ何も言ってないが」
「でもなんか嫌なことをハルくんが言おうとしてるのは分かる」
「そんなことはない……かもしれない、という可能性が少なからずあり得るような」
「……なに?」
「しおりが少し学校に行く気になったみたいだから、俺が明日それに付き添おうかと」
「ヤダ」
ひまりちゃんの頬がふくれる。
「どーせお姉ちゃんと二人で行くから、ひまりが邪魔って言うんでしょ」
「別に邪魔って訳ではないよ? でも、できればしおりと二人の方がいいかなー……と」
「なんで?」
「えーと、何と言いますか、ひまりちゃんしおりと顔合わせると、多分しおりのことめっちゃ挑発するじゃん? 俺からするとそれが恐ろしく胃が痛いので」
「じゃあ、ひまりがお姉ちゃんに何も言わなかったらいいの?」
「大人しくしててくれます……?」
すると、ひまりちゃんは一瞬逡巡するような仕草を見せた後、口を開く。
「うーん、無理」
断言された。
「そこをなんとか」
「…………わかった」
その幼さが残る面差しにこれ以上ないってくらい不服の意を示し、さらにいじけの色を混ぜ込んで、ひまりちゃんが俺をにらむ。
「ハルくんは明日お姉ちゃんと二人で仲良くイチャイチャしながら登校すればいいんじゃないの? ひまりはひとりで行くもん」
ふんと鼻を鳴らしてそっぽを向くと、ひまりちゃんはソファから立ち上がって走り去っていく。その途中で立ち止まって、俺の方に振り返ったかと思うと、
「ハルくんのばか! もうハルくんになんか構ってあげないんだから! ばーか!」
べ、と桜色の小さな舌を突き出して、ひまりちゃんはリビングを飛び出して行く。
「………………怒らせちゃったなぁ」
ぽつんと取り残された俺は、やり切れない心持ちで呟いた。
今度ひまりちゃんに目一杯優しくしてあげよう。そう心に誓いつつ、俺は玄関へと向かう。
玄関で靴を履いていると、ガチャリと扉が開いて買い物袋を提げたかおりさんが入って来た。
「あれハルちゃん、まだいたの?」
「お邪魔してました」
「どうせなら今日ウチでご飯食べてく?」
一瞬どうするか迷ったが、ひまりちゃんのさっきの顔を思い出して俺は首を横に振った。
「いえ、ウチの母親がもう準備してると思うので、今日は遠慮させていただきます」
「じゃあ仕方ないか」
「はい。あ、そうだ、かおりさん」
靴を履いて立ち上がりながら俺は言った。
「なに?」
「明日、しおりと一緒に学校に行こうと思うので」
「え、マジ?」
かおりさんの目が丸くなる。
「ええ、でもしおりが自分で行くって言い出しましたよ?」
「そっかぁ、さっすがハルちゃん」
かおりさんにバンバン肩を叩かれる。かおりさんは嬉しそうだったが、少し複雑そうでもあった。
「でもハルちゃん、最近ひまりと一緒に学校行ってるんでしょ? 大丈夫なの? あの子拗ねたりしない?」
流石、よく分かっていらっしゃる。
「まぁ、なんとか」
まるっきり大丈夫って訳でもなさそうだけど、とりあえずは。
「そ、なら頼んだぞ」
バシンと音が響くほど背中を叩かれる。いってぇ……。この人加減を知らねえな?
「任せてください」とかおりさんに告げ、ヒリヒリする背中を押さえながら俺は帰宅した。
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