十四話~「諸々の責任を取らせる」~
「…………えー、と、抱きしめればいいの?」
もはや夕焼け以上に赤くなった顔で、しおりが頷いた。その表情は真剣だ。
すごいな……。文学の事はさっぱり分からんが、ここまでしないと小説というものは書けないのか。そうだ、しおりは真剣なのだ。俺が邪な考え持つ訳にはいかない。
我が目線が勝手にしおりのおっぱいに下りていきそうになるが、何とか踏み留まる。大丈夫だ、いつものようにクールにいこう。昨日、しおりを抱きしめた時は不慮の事故だったが、あれと同じようにやればいいだけだろ? 余裕ヨユウ。
俺は煩悩を振り払いながら立ち上がって、軽く両手を広げる。
「さぁ来い」
そう言うと、しおりも胸を押さえながらゆっくり立ち上がり、俺を見た。向かい合う二人。表情は真剣だ。そう、別に今から変な事をする訳じゃない。これは真剣で大切な事なのだ。
「さぁ来い」
「………………」
準備万端の俺に対して、しおりの動きは完全に停止していた。ふるふると小刻みに震えて、顔を俯かせている。
…………やっぱり俺の方から行かなきゃダメ?
「…………」
「……」
このままお互い不動だと夜が明けて年も明ける気がしたので、俺の方から歩みを進める。昨日みたいにまた逃げられるかと思ったが、そんなことはなかった。足を踏み出した分だけ、彼我の距離は縮まっていき、すぐにしおりの頭が胸元にやってくる。
その小さな体をそっと抱き寄せると、彼女の肩がビクンと跳ねた。ビクビクと体を震わせているしおりを包み込むようにしながら、ひたすら無心を貫く。
ちょっと力を込めたら折れてしまいそうなくらい華奢だな、とか。
やっぱりしおりのおっぱいってかなりデカい方だよな、とか。
あぁ、このつむじの辺りから香ってるの良い匂いはなんだろう、シャンプーかな、とか。
こうしてジッと密着してると服越しにも存外体温が伝わるもんなんだな、とか。
そういう余計なことは考えないようにする。うーん、これめちゃくちゃ考えてますね。
そのままどれくらい時間が経っただろうか。ぼうっとした頭でしおりのつむじの辺りを見つめていると、視界の端で何かが動いた気がした。ふと視線を前に向け、俺はとんでもないものを発見する。
「…………」
「…………」
階段の影から顔だけ覗かせてこちらをジッと見つめるいい歳した女性だった。というか、かおりさんだった。またの名をしおりのお母さんとも言う。
……何してんだあの人。
お願いだから見なかったことにしてUターンしてくれという念を視線に込めてかおりさんに送るが、ニヤニヤした笑顔しか返ってこない。たぶん伝わってねえなこれ。あんた小学生か?
その時、しおりが腕の中で大きく身じろぎした。
「あ、あの、わたし……そろそろ」
熱っぽい吐息を漏らして、俺の胸元に鼻先を埋めていたしおりが首を上げる。汗ばんだ額がやけに艶めかしくて、息遣いも色っぽい。しおりの力が抜けて、床に崩れていきそうになるのをさらに強く抱きしめることで押さえる。
「あ、ん……っ、は、はるとぉ……っ」
しおりが涙ぐんだ瞳で、訴えるように俺を見つめる。離してやりたいのは山々だが、
「今はダメだ」
かおりさんに見られたことがしおりにもバレてしまう。それだけは避けたい。しおりの頭を自分の胸に押し付ける。
「え、っ?」
「もう少しこのままで」
「……っ!? っ、!?!」
俺は視線の先で気持ち悪いくらいニヤニヤ笑っているかおりさんをにらむ。マジであの人一回殴っていいかな?
恥ずかしさのあまりに死にたくなる。え、幼なじみの女の子と抱き合ってる所をその母親に観察されるとかなにこれ、そういうプレイなの? え、俺は羞恥で死ぬの?
あまりにも俺が必死の形相を浮かべていたからか、しばらくしてしおりさんは仕方ないなぁとでも言いたげに引き下がっていった。姿が見えなくなる。
しかたないなぁ、じゃないんすわ。こっちは死活問題なんすわ。今のがバレて恥ずかしさのあまりしおりが二度と部屋から出てこなくなったらどうしてくれんの? あんたが俺に頼んだんだろ?
いつの日かあの人の弱みを握り返して散々からかってくれる……と心の中で誓ってから、俺は腕の中に収まっているしおりをゆっくり開放した。
「……えっと、すまんしおり、大丈夫か?」
へなへなと床に崩れ落ちてはぁはぁと息を荒げているしおり。耳が真っ赤に染まって、同じように朱に彩られたうなじには玉のような汗が浮いて光っている。
無性にもう一度抱きしめたくなって、無意識の内に手を伸ばしかけた時、しおりが顔を上げた。今にもこぼれそうなほど涙の溜まった瞳で、切なげに見上げられる。並みはずれて官能的だった。もう少し砕けていうとめっちゃエロかった。
「……ご、ごめん、ちょ、っと、待っ、て……」
肩を上下させながら、しおりが震える声で言う。
「きょ、……今日は、ここまで、にしましょう」
突然の敬語口調になったしおりに、俺もまた「そうですね」と変に裏返りそうになった敬語で応える。……今日は?
そのまましおりは危なげに立ち上がると、フラフラと倒れそうになりながら部屋の中に帰って戻っていった。ゆっくりと扉が閉じられて、俺一人が取り残される。
「…………」
果たして俺は何をやっているのだろう。当初の目的から随分と遠ざかっている気がする。いや、しおりと喋れるようにはなっている訳だからまるっきり的外れって訳でもないんだけども。
今さっきの状況を思い返して叫びたくなる気持ちを呑み込みながら、頭痛のするこめかみを押さえて階段を下りる。
一階に着いた所で、目の前にかおりさんの姿が現れる。最悪だ。
「ハルちゃんごめんねー、さっきは邪魔しちゃって」
かおりさんは俺をからかうように言った。
「申し訳ないという気持ちが少しも感じられないんですが」
「ハルちゃん、ああいうのはせめてしおりの部屋かハルちゃんの部屋でやらなきゃ」
「部屋ならやってもいいんですか?」
「ハルちゃんがやりたいと思ってるならいいんじゃない? なに? やりたいの?」
「……」
何言わせようとしてくれてんのこの人。
「あんたら何? 付き合ってるの?」
「企業秘密です」
「でもハルちゃんはひまりと付き合ってるんでしょ?」
「ぶっ!」
吹き出した。
「え? マジなの?」
「いや、マジも何も……と言いますか、え、てか何で知ってんの」
「ひまりからも聞いたし、なっちゃんからも聞いたよ?」
ひまりちゃんもウチの姉もマジで何なの。そんなに俺をイジめて楽しいの? 楽しそうだよなぁ……。
「なに? ハルちゃんはあたしの娘を二人とも手に入れようとしてるの? 二股最低男なの?」
「二股最低男だったらどうしますか?」
「とりあえず海に沈めるかな」
「とりあえず海に沈めた後で何されるんでしょうね……」
「諸々の責任を取らせる」
諸々……? 何こわい。
「いや! 違うんですよ、ほんと、違うんです」
「んー、何が違うの?」
かおりさんが少しだけ首を傾けて俺を見る。口調こそ軽いが、目が笑ってない。返答次第では俺に死が訪れる。そもそも俺はこの人に逆らえない、弱みを握られている。
ひまりちゃんには誰にも言うなと言われているが、もう無理だろこれ。
「あの、マジで他言無用でお願いしたいんですが……」
「うん」
「いやあの、マジでフリとかじゃないので、誰にも言わないで欲しいんですけど」
「大丈夫だいじょうぶ、分かってるって」
イマイチ信用できないんだよな……、基本的に俺の周りにいる女性陣は俺の手に負えないと俺の中で有名である(俺調べ)。
まぁでもしおりとひまりちゃんの母親であり、事の発端でもあるかおりさんには言うべきだろうとも思うので、しぶしぶ俺は口を開く。
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