十三話~ウルトラバイオレンスゴリラだ。マジで動物園に引き取ってもらいたい。~


 放課後、俺は昨日約束した通りにしおりの元へ訪れていた。

 帰宅する際、ひまりちゃんと偶然会ったが、「ハルくん今日もお姉ちゃんのとこ行くんでしょ? まぁあのしょうもない引きこもりを外に出すのは無理だと思うけど、がんばってね」と言い残して、友達とどこかに遊びに行ってしまった。


 どうやらひまりちゃんは本当にしおりのことはどうでもいいというスタンスらしい。でも、とりあえず昨日や一昨日と違って、落ち着いてしおりとお喋りできると思う。


 あらかじめラインでしおりに行くことは伝えてあるので、悠々とした気持ちでしおりの部屋の扉をノックする。


 コンコン、コンコン。


「…………」


 ………………。

 …………。

 ……………………あれ?


 出てこないな……、寝てるのかな?


 しかたなくスマホを取り出してしおりに電話をかけてみる。

 とぅるるる……、とぅるるる……と無機質なコールがその場に響く。部屋の中からも着信を知らせる音が聞こえてくるので、中に居るのは間違いないと思う。


 十秒くらいコールした所で、部屋の中からガタッという音が鳴った。次いで、ドタバタと部屋の中を走り回る感じで何者かが慌てる音が聞こえた。何者かっていうかほぼ間違いなくしおりなんだけど。


 さらに待つこと三十秒、ガチャと扉が少し開いて、隙間からしおりが体を覗かせた。装いはぶかぶかの灰色パーカーに、下は……下は何も履いてないのかこれ……? 

 もしかしたら超短い短パンとか履いてるのかもしれないけど、見た感じは裾が少し長めのパーカーオンリーを身に付けているようである。

 おかげで真っ白な肉付きの良いふとももが惜しげもなく晒されている。うわえっろ……。ちょっとエロ過ぎですねこれは。犯罪的。わざとか? 俺と二人で会うのが分かっててわざとこんな格好をしておられる? それとも天然か? どっちにしろエロいんだけども。


 俺が視線を下げてしおりのふとももをガン見していると、グイとパーカーの裾を押し下げて、しおりが何かを言いたげに吐息を漏らした。


 顔を上げると、フードを目深に被ってこちらを見るしおりと目が合った。長い前髪を真っ直ぐ下げて顔を隠していた昨日までと違って、シンプルなワインレッドのヘアピンで髪を留めている。

 と言っても、ヘアピンで髪を上げているのは中途半端に左半分だけで、右半分は相変わらず真っ黒な長髪に隠されたままである。


 しおりの左目が何かを訴えるように俺を見つめ上げ、頬は朱に染まっている。


「あー、うん、元気そうでよかった」


 ふとももを凝視していたのを誤魔化すようにそう言うと、しおりが何かを言おうと口を開いたので、お口チャックして彼女の言葉を待つ。


「………………ご、ごめん……、……わ、私……、寝ちゃってて……」


 本当に申し訳なさそうな表情で言って、顔を俯かせるしおり。


「そうか、まぁ気にすんな。俺も徹夜でゲームした次の日の授業中に爆睡してても全然気にしてないから」


「……そ、それは、少しは、気にした方がいいんじゃ……」


「いやでもゲームが楽しすぎるのが悪いと思うんだ。しおりは何かゲームとかやってる?」


「げ、……ゲームは、よく分からなくて……」


「ゲームしないの? じゃあ、一人で暇なときとかは何してんの?」


「しょ、小説、読んだり……書いたり、してる……」


「ずっと?」


「う、うん……」


 おずおずと頷くしおり。人見知りの小動物みたいである。

 でもしかし、意外と普通に会話できてるな。ちょっとだけ昔に戻った感じがある。良い調子だ。


「小説読むのもそうだけど、書くってのが凄いよな。やっぱしおりがどんな話書いてるのか見せてもらうのはダメなの?」


「だ、ダメ……っ! そ、それは……ッ」


 ブンブンと小さな手を振って必死な感じで否定される。そうか、ダメかぁ……。普通の小説は無理でも、しおりの書いたやつなら読めるかもしれないと思ったんだけどな。


「じゃあしおりが読んだ本の話聞かせてくれ、昔みたいに」


 するとしおりは、何かを迷うように視線を左右へ巡らせてから、また俺を見つめなおして控えめに頷いた。


「よし、んじゃあどっか落ち着ける場所で話したいな。またしおりの部屋に入ったりしてもいい?」


「……っ」


 ブンブンと首を振って拒否された。めっちゃ嫌がるじゃん……。


「じゃあ、下に行くか」


「え、……で、でも」


 動揺したようにしおりは顔に緊張を走らせた。下の階に降りてひまりちゃんと顔を合わせることでも想像したんだろうか。


「ひまりちゃんなら今日はしばらく帰ってこないと思うから大丈夫だと思うよ?」


「え」


「ん?」


 パチクリと眼を瞬かせ、驚いたように俺を見るしおり。


「な、なんで、そんなこと、知ってるの……?」


「いや、ひまりちゃん、友達と遊びに行くって言ってたから」


「そ、そっか……」


 しおりはちょっとショックを受けたような顔をしていた。


 しまった、不用意にひまりちゃんの名前を出すべきではなかったかもしれん。絶賛姉妹喧嘩?中ですもんね。

 一瞬、二人の間に何があったのか聞こうかと思ったが、今無理に聞き出す事でもないと思いなおす。


「じゃあ、ここで話すか」


「え、……ここ?」


「そう、ここ」


 頷いてから、俺は廊下に腰を下ろして壁に背中を預ける。


「ほら、しおりも」


 扉の隙間から顔を覗かせているしおりを見て、隣に誘う。

 するとしおりはおっかなびっくり廊下に踏み出して、十五センチほどのスペースを開けて俺の横に座った。

 その様子が、まさに警戒心の強い小動物みたいで、吹き出しそうになる。漏れ出た笑い声を口の中だけに留めて、俺はクールで包容力のある男を装いながら、しおりに尋ねる。


「最近しおりが読んだ小説で面白いのとかあった? 映画とかドラマになってるやつだと俺も楽しめる可能性があるからなお良い」


「う、うん……えっと、ね」


 そうして語り始めたしおりの口調は思った以上に滑らかで、弾んでいた。その様子は、幼い時のしおりが夢中で俺に本の内容を話してくれたあの頃とまるで変わらないと感じた。ここ数年の間、俺たちが顔すら合わせていなかったのがウソのように、それは身近な光景に思えた。


 しおりは昔から、読んだ本の感想を形にするのが上手かった。毎年のように読書感想文で何かの賞を貰っていた覚えがある。


 本なんて大の苦手だった俺ですら、しおりが話して聞かせてくれる物語は楽しげに思えて興味をそそられたのだ。俺としおりがそんな風に話していると、よくひまりちゃんが間に割って入って来て、別の遊びをしようと俺やしおりの手を引いていた。特にしおりとひまりちゃんが姉妹喧嘩をしてる時なんかは、ひまりちゃんは絶対に俺をしおりに渡さないと主張するように俺をあちこちに引きずりまわしていたな――と、そんな懐かしい記憶を今更ながら思い出した。


 …………あれ、今も昔も変わらなくね?


 ただあの頃と違うのは、しおりとひまりちゃんの姉妹喧嘩のレベルが尋常じゃないという事だ。ひまりちゃん三年くらいしおりと口聞いてないって言ってたしな……。


 一体何があったのやら。甚だ疑問である。


 幼き頃、しおりとひまりちゃんが喧嘩した時は、良い感じの頃合いを見計らって俺が二人の間を取り持っていた気がするが、まさか今回は俺が関与しなかったら二人が喧嘩しっぱなしって訳でもないだろう。

 ……え、ないよね? なんか不安になってきたんだけど。俺がいないと二人がまともに仲直りもできないなんて考えは、流石に自意識過剰だゾ☆。


「――晴斗」


 不意に耳元で名前を呼ばれて、ハッとした。気付けばしおりの位置が近くなっていて、軽く身じろぎすれば肩が触れ合いそうな距離感だった。


 傾いた西日で茜色に照らされたしおりの顔が、目と鼻の先にある。彼女の息遣いがやけに耳に残った。


「わたしの話……、聞いてる?」


 不満そうに、それでいて不安そうに、少しむくれた頬と揺れる左眼でしおりは俺に問うた。


「…………」


「……」


「すみませんちょっと考え事してて聞いてませんでした」


 誤魔化せないと悟ったので誠心誠意謝る。


「…………ゆ、許す」


 許された。天使か? ウチの姉とは違う。

 姉ちゃんは俺が何かした時点で謝る前にまず絞めに来るからな。ウルトラバイオレンスゴリラだ。マジで動物園に引き取ってもらいたい。

 檻の中で開催された第五六回ゴリラバナナ大食い選手権で優勝している姉ちゃんを想像していると、しおりがグイと俺の袖を引いた。そして、振り絞るように言う。


「そ、その代わりに、また、わたしのお願い、聞いて欲しい……の」


「あぁうん、別にいいけど、何すればいい?」


 昨日がお姫さま抱っこだったから、今度は何だろう。肩車とか? 首折れたらどうしよう。


「……あの、これは、あくまで、わたしが小説を書く、参考にしたいから、なんだけど」


 一息ごとに区切って、言い聞かせるような口調。息が荒い。しおりはどこか必死だった。謎の緊張感がある。何を言われるんだろう。俺まで緊張してきた。

 交通事故のシーン書きたいからちょっと車に轢かれて来いとか言われたりしない? 

 大丈夫?


「そ、その…………」


 差し迫ったような表情でこちらを見つめるしおりが、コクリと白い喉を鳴らしたのが分かった。


「また……、だ、……抱きしめて、欲しい」

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