十二話~「はい、ハルくん、あーん♡」~


 村上先輩は偶然通りかかったみたいな雰囲気を醸しながら、俺たちの前に立った。

 でも中庭に男が一人で立ち寄る事なんてまぁない事だから絶対故意に近付いて来たんだろうけど。


「よぉひまり、久しぶりだな」


 ハスキーな低音で言って、村上先輩はひまりちゃんを見下ろした。 


 なんでこの人気安くひまりちゃんを呼び捨てにしてんの? そういう間柄なの? 


「村上先輩。久しぶりって言ってもこの前顔を合わせたばかりじゃないですかー」


 以外にもひまりちゃんは気安い調子で笑顔を返し、村上先輩と会話を続ける。


「だってひまりお前、遊びに誘っても全然会ってくれないだろ?」


「やだなー、村上先輩ってば。ひまりのこと暇人だと思ってません? ひまりだって色々忙しいんですよ?」


「それでもちょっとくらいはオレとの時間作ってくれてもいいじゃん?」


 いいじゃん? じゃねーんだわ。金玉ねじり取って白玉あんみつにするぞ。うーん、これだと白子あんみつですね……。我ながら酷すぎる下ネタ。


 俺は改めて村上先輩を観察する。座って見上げても俺より高いと分かる上背に、光希ほどとはいかないまでもイケメンに区分してもよさそうな整った容姿、くすんだ金髪に染めた長めのウザったい髪と緩んだ口元からうかがえる軽薄さ。


 ダメだ、こんなチャラチャラした奴にひまりちゃんはやれん。


 と、そこで俺は村上先輩の顔に既視感を覚えた。なんだろう……、俺この人とどこかで会ったことがある……?


 俺が首を傾げて過去の記憶を探っていると、俺の横腹に痛みが走った。横目で何が起こったのか確認すると、ひまりちゃんが全力で俺の腹肉をつねっていた。俺は自分が何のためにここにいるのか思い出す。


 とりあえず村上先輩の意識をこっちに寄せよう。


「あの、すみません」


「あ? なんだよお前」


 威嚇めいた視線と声音が向けられる。


「俺は二年生の河合晴斗です。先輩のお名前をお聞きしても?」


「……村上しゅん


 めちゃくちゃ不機嫌そうな顔ながらも、素直に答えてくれた。いい人。でも別に聞き覚えがある名前ってわけじゃない。


「俺と村上先輩って、どこかで会ったことありましたっけ?」


 どうにも既視感が拭えない。この人の顔どこで見たんだっけな……。


「あ? 知らねーよお前なんか」


「ですよねー」


 あははと曖昧な笑みを浮かべる俺。村上先輩が少しイラッとした顔になる。怖い。


「つーかさ」


「はい」


「お前ひまりの何なわけ?」


「彼氏です」


 なるべく声が震えないように答える。っべー、超こえぇ。


「は? 彼氏?」


 本気で驚いたように言われた。できればここにひまりちゃんと二人きりでいる時点で察して欲しかった。


「ひまりお前彼氏つくったの?」


「はい」


 弾んだ声で答えるひまりちゃん。いい笑顔だ。


 村上先輩は俺の方に視線を移して、何かを確かめるようにジッと見つめてくる。めっちゃ目を逸らしたくなったけど、振り絞った精神力で何とか視線を合わせ続ける。すると不意に、村上先輩が小さく舌打ちした。


「お前みたいな奴がひまりの彼氏? マジで言ってんの?」


「マジらしいです、びっくりですよね」


「は、お前舐めてんの?」


 その瞬間、村上先輩の目付きが変わった。グイと胸倉が引っ張り上げられ、浮遊感に包まれる。


「……」


 村上先輩に胸倉を掴まれ、至近距離で睨まれても、意外と俺は冷静だった。要因は色々考えられる。


 村上先輩の喧嘩腰の態度から、これくらいの事は覚悟していた、とか。


 胸倉を掴まれるくらいのことなら、しょっちゅう姉ちゃんとの喧嘩(姉による一方的な弟いじめともいう)の中で経験している、とか。


 ビビり過ぎて思考が止まり、逆に冷静になった、とか。いや多分これが理由ですね。


「……ちょ、ちょっと村上先輩! 何やってるんですかっ」


 隣から、めずらしくひまりちゃんの焦った声が聞こえた。その声を聞いて、村上先輩の瞳が揺れ、俺は解放される。勢いよくベンチに腰が落ちて、ギシッと軋んだ音が鳴る。


「チッ……、またな、ひまり」


 それだけ言い捨てて、村上先輩は立ち去っていった。


 村上先輩の後ろ姿が十分に離れた所で、俺はふーっと大きく息を吐き出す。

 ふー……っ、怖かった。いやまーじで怖かった。本気でキレた時の母さんと、本気でキレた時の姉ちゃんの次くらいには怖かった。

 ……そう考えるとそこまで怖くないかもしれない。


 でもこれでひまりちゃんも満足かな? と思って、隣に視線をやると、ひまりちゃんが心配そうに俺を見つめていた。


「ハルくん大丈夫……? ごめんね。ひまり、村上先輩があんなことしてくるとは思ってなくて……」


「大丈夫だいじょぶ、一発殴られる所までは覚悟してたから」


「ほんとに?」


「マジまじ」


「そっかぁ。ならよかった。まぁ、ホントはハルくんがもっとビシッと言ってくれるのを期待してたんだけどね」


 ひまりちゃんはホッとした表情を浮かべ、冗談めかして言った。


「いや、そう言われましてもですね」


 俺にはこれが限界。


「ハルくんは情けないなぁ」


 なんだか楽しげな声で言われる。自覚はしていることでも結構グサッと来た。

 心のダメージを誤魔化すために、話題を転換する。


「ひまりちゃんはあの人とどこで知り合ったの? なんかどう見てもここ最近知り合ったって感じじゃなかったけど」


「あぁ、村上先輩もひまりたちと同じ中学出身なの」


 なるほど、それで既視感があったのかな。中学の時に廊下とかですれ違っていたのかもしれない。でももっと別の場所で見たような気もするんだよな……。


「でもひまりちゃんは一年で、あの人は三年だろ? どこで仲良くなったの」


「村上先輩、中学の時は吹奏楽部でひまりと同じパートだったんだよ。オーボエっていう楽器なんだけど」


「え、似合わねえ」


 あまりにも正直な感想がこぼれてしまった。

 クスクスとひまりちゃんが笑う。


「村上先輩も昔はもう少し地味だったんだけどね。高校で再会したら結構変わってたからびっくりしちゃった。それで村上先輩、ひまりがこの高校に居るって分かってから、結構頻繁にライン送ってきたり、今みたいにひまりを見かけたら話しかけに来たりして、どう見てもひまりのことが好きだからだと思うんだけど」


「お、おう」


 ここまで言い切ってしまえるひまりちゃんのメンタルを尊敬したい。そう思っていたとしても中々口には出せないよ?


「でも村上先輩、別にひまりのタイプじゃないから、そういうのはやめて欲しいんだけど、村上先輩が直接告白してきたとかじゃないから、ハッキリ近づかないでくださいって言うのもなんか違うでしょ?」


 まぁ確かに、女の子の方からそういうのをハッキリとは言いにくいのかもしれない。モテる子も大変なんだな……。


「だからハルくん、もし次に村上先輩と会ったらビシッとお願いね? ひまりは俺の彼氏だからもう金輪際近付かないでください、くらい」


「いやでも今のでもう村上先輩は諦めたんじゃ……」


「…………」


 ジトッとした半眼で、ひまりちゃんににらまれる。何となく言いたいことは伝わる。まぁあの人ひまりちゃんに「またな」とか言ってたし、完全に諦めた訳ではなさそうだよね。あれそういうことでもない?


「よーし、分かった。次会った時はビシッと言ってやろう」


 がんばれ未来の俺。あとは任せた。

 ひまりちゃんはイマイチ信用してなさそうな顔で俺を見ていたが、すぐに表情を崩す。


「ま、いいや。一応信用しとくね? お腹空いたしご飯食べよっかハルくん。あ、その前にその襟ひまりが直して上げる」


 ひまりちゃんが俺の方に手を伸ばし、村上先輩に掴み上げられた時に崩れた襟を丁寧に直してくれた。


「助かる」


「はい、お弁当」


 ひまりちゃんが膝に乗せていたお弁当の片方を俺の膝に置く。


「わーい」


「ハルくんのために、ハルくんの好きなものいっぱい詰めたんだよ? 味わって食べてね」


 パカッと弁当箱を開いてみると、確かに俺の好物ばかりだった。もうひまりちゃん大好き。でもお弁当箱の端っこにある赤い球体を見て、俺は動揺した。これだけはどうにも受け付けない。


「ふふ、あーんしてあげましょうか? 晴斗せんぱい♡」


 そう言ってひまりちゃんが箸でつまんで俺に差し出してくるのは、プチトマト。


「い、いや……それは、あとでじっくり味わって食べるから……」


「せっかくひまりが作ったのに……」


 それに限っては多分産地直送そのままだと思うんだけど……。


「はい、ハルくん、あーん♡」


 満面の笑みのひまりちゃんに、箸ごとプチトマトを口内へと押し込まれる。なんか俺が思ってたあーんと違う。


 こうしてひまりちゃんと和やかなお昼を過ごした。

 

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