九話~俺ってモテるなぁ。~

ひまりちゃんに手を引かれるまま、俺は彼女の部屋にやって来る。幼なじみ姉妹の私室に続けて連れ込まれるとか、俺ってモテるなぁ。


 そんなことを考えていると、目の前のひまりちゃんが怒ったように俺をにらんでいた。


「ハルくん、お姉ちゃんと部屋で何してたの?」


「俺は何をしていたんだろう」


 果たして俺はあの部屋で何をしていたのか。よくよく思い返してみると、色々と正気ではなかった。


「とぼけないで」


 割とガチのトーンだった。ちょ、ひまりちゃん怖い……。


「お、お姫さま抱っこ……?」


 一瞬で白状する。いや、ほら、別に口止めとかされてないし……?


「お姫さま抱っこ……?」


 ひまりちゃんも困惑している。まぁ、うん、訳分かんないよね。


「それって、お姉ちゃんがハルくんに頼んだの?」


「まぁ、うん」


「お姫さま抱っこ、したの?」


「がんばった」


 うん、そこそこ頑張ってたと思うよ、俺。


「ひまりは、したかしてないかを聞いてるの♡ ハルくん日本語分かる?」


 ピシャリと言われる。いやだから怖いってひまりちゃん……。笑顔で可愛いのに怖い。『怖愛こわあい』と名付けよう。


「しました」


 いつの間にか俺は正座をしていた。ひまりちゃんはそんな俺を見下ろしている。


「ふーん……」


「…………」


 沈黙。THE・CHINMOKU。

 何この沈黙、居心地悪すぎるんだけど。小学校の時、調子に乗ってクラスの女子を泣かせちゃった日の夜に学校から電話かかって来てそれを取った母親が無言で先生の話を聞いてる時の沈黙並みに居心地が悪い。


「あの、ひまりちゃん……、一ついいでしょうか?」


 挙手して、質問する。


「なに? ハルくん」


「ひまりちゃん、もしかして怒ってる?」


「怒ってないよ♡」


 これは怒ってますね。ウチの母の「怒らないから言ってごらん」並みに信用ならない。


「んー、でも、そうだね」


 ひまりちゃんがそのスラリと伸びた指先で、自分の唇をつんつんしながら言う。


「ハルくんがひまりより、あんなキモいお姉ちゃんの方を優先してるのは気に入らないかな」


 あ、やっぱそういう感じですか……。


「とりあえずお姉ちゃんのことキモいって言うのやめない?」


「やめない」


「お姉ちゃんと仲直りしない?」


「しない♡」


 してくれぇ……! 


「ひまりちゃんも、もう子供じゃないんだからさ」


「それって子供だと思ってる相手に言う台詞だよね」


「いやいやいや、そ、そんなことないょ……? ほんとだょ?」


「それに大人にだって嫌いな人はいるし、喧嘩もするじゃん」


「ごもっともです」


 なぜ世界から争いは無くならないのだろう……。人は愚かだ。でもひまりちゃんはかわいいから愚かじゃないょ? 


 とまぁ冗談はさて置き、この現状は問題視せざるを得ない。


 目下、俺が最優先したいのは、『しおりの引きこもり問題の解決』なのだ。しかしながら、こうも俺としおりが関わる度にひまりちゃんの機嫌が悪くなるのは、今後の事も考えるとなるべく避けていきたい。

 と、なればだ。ここで少し思い切ってでも、ひまりちゃんと交渉しておいた方が良いだろう。


「あのさ、ひまりちゃん。俺はさ、しおりが部屋に引きこもってるのを、何とかしようと思ってるんだよ」


「お母さんに頼まれたんだよね」


「まぁそうなんだけど、俺は俺の気持ちとして、またしおりと仲良くなりたいとも思ってるし、しおりが何かに悩んでるなら、それを解決する手助けをしてやりたいと思ってる」


「…………」 


 ひまりちゃんがじぃっと俺を見る。少しだけ唇を尖らせて、気に入らないという瞳。昔と変わらない、ひまりちゃんが拗ねる時にする顔だ。


「だから、俺は今後しおりが部屋の外に出て学校に行けるように協力するつもりだけど、ひまりちゃんにはそれを見守ってて欲しい」


 真面目な顔で俺が言うと、ひまりちゃんは物凄く嫌そうな表情を浮かべたが、その次の瞬間、良い事を思い付いたという風に顔をパッと明るくした。


「ねぇハルくん」


「なんでしょうひまりさん」


「ひまりはね、正直お姉ちゃんに部屋から出てきて欲しくないの。だってきらいな人と家の中で顔合わせたりしたくないし」


 ひっでぇ、ひまりちゃんナチュラルにひっでぇ。何の悪気もなく毒吐くよね君。


「だから、それを何もせずに見守るってのはひまりにとって損な訳じゃん?」


 そうなのかなぁ……。しおりとひまりちゃんが仲直りしたら皆ハッピーだと思うんだけどなぁ……。


「だから、その損と釣り合うくらいの利点がひまりにもあっていいと思うの。ね? ハルくん」


「つまり、俺がひまりちゃんのためにも何かすればいいのか」


「そう! さっすがハルくん、話が早い」


 嬉しそうに小さな両手を合わせるひまりちゃん。


「それで俺はなにすればいいのん?」


 まぁかわいい可愛いひまりちゃんのためなら、大抵のことはしてあげられると思う。例えばそうだな、一緒にご飯食べる時にひまりちゃんのピーマンを食べてあげるとか、俺のからあげを一つだけあげるとか、自販機でオレンジジュースを奢ってあげるとか、それくらいなら……。


「ひまりの彼氏になって欲しいな♡」


「え? …………え?」


 ……ん?


「ごめん、もう一回言ってもらっても……」


 声が震えないように意識しながら、俺は念のため確認を取る。


「だからハルくんに、ひまりの恋人になって欲しいの」


 両手の指先をくっつけたまま、少し恥ずかしそうに頬を赤らめて、ひまりちゃんは俺を見つめていた。


 〇


 恋人になってほしい、ひまりちゃんにそう言われた俺は固まっていた。

 外見的には俺の動きは完全に停止していたが、一方で頭の中の思考が大パニックに陥っていた。まさにカオスである。


 これはつまり、いわゆる、『告白』という風に解釈してもいいのだろうか?

 ひまりちゃんが、俺に? 俺に告白……? ひまりちゃんが俺のことを大好きだと

いうのは知っていたし、俺もひまりちゃんのことは大好きだけど、それはいわゆる昔から一緒にいる兄妹の愛情のようなもので、確かに俺とひまりちゃんは兄妹ではないのだけれど、少なくとも俺はそんな風に思ってきた。ひまりちゃんは、俺に懐いてくれている妹のようにかわいい幼なじみの女の子、だと。


 しかし、だ。


 しかし、俺がそう思っているからと言って、ひまりちゃんも俺に対して同じように思っているという確証はない。

 そう、ひまりちゃんが俺に対して恋愛的な感情を抱いている可能性は誰にも否定できない!


 あり得ない話じゃない、と俺は思った。


 俺とひまりちゃんはまるで少し仲が良すぎる兄妹のように時間を過ごしてきたけれど、その中でひまりちゃんが俺に対して、恋する乙女のような視線を向けてきたことがあったような気もする(たぶん?)。

 だとしたら、俺がしおりと関わる時にひまりちゃんが怒ったようになるのは、嫉妬というやつなのかもしれない! いや知らんけど。


 俺は大きく深呼吸をして、改めて目の前にいるひまりちゃんに視線を向ける。

 ひまりちゃんの顔は照れと高揚が入り混じったように赤くなっており、うるうると潤んだつぶらな瞳が、何かを期待するように俺を見ていた。どことなく不安そうでもある。


 これは間違いない……! 

 ひまりちゃんは俺のことが好きなのだ。ライクではなくラブの方だ、結婚したいの方だ。


 だが、俺の答えは既に決まっていた。ひまりちゃんがどんなに俺のことを想ってくれていたとしても、俺がひまりちゃんを妹のように感じてしまっているのは事実なのである。こんな気持ちで、ひまりちゃんとは付き合えない。


「ごめん、ひまりちゃん……」


 俺はひまりちゃんと真っ直ぐ視線を合わせるようにして、言葉を切り出した。ひまりちゃんもきっと、目一杯の勇気を出して俺に告白してくれたのだ。だから俺は誠意を持ってそれに応えなければならない。


「ひまりちゃんの気持ちは物凄く嬉しいけど、俺は、ひまりちゃんの気持ちに応えることは――」  


 俺がそこまで言いかけた時、ひまりちゃんが耐え切れなくなったように吹き出した。


「ふっ、く……っ、ふふ、あははははっ! ふっ、ふふ……っ、くく……、は、ハルくん何その真面目な顔……っ、面白過ぎない?」


 まだ笑いをこらえ切れないというようにニヤけた口元を手で押さえながら、ひまりちゃんは未だ正座をしたままポカンと口を開けている俺を見下ろした。


「いや、流石に冗談だよハルくん。まぁ、って言っても冗談なのは半分なんだけど」


「…………???」


 どういうことん……? ひまりちゃんの意図するところが全く分からない。呆然としている俺に、ひまりちゃんは「あのねハルくん」と言い聞かせるように言う。


「ひまりの彼氏になってほしいって言うのはホント。ただ別に、本気の恋人同士って訳じゃなくて、簡単に言うと、ハルくんには、ひまりの恋人役をやって欲しいの」


「恋人……役……?」


「そう、恋人役。要するにニセの彼氏ってこと」


「……ニセ?」


 ダメだ、話が見えてこない。


 首を捻っている俺に、ひまりちゃんがさらに詳しく説明してくれた。その内容をまとめると、次のようになる。


 ひまりちゃんは今、とある人物から強引に言い寄られていて迷惑しているらしい。だから、俺がひまりちゃんの彼氏のフリをして、ソイツを諦めさせて欲しいとのことだ。

 俺の許可なくひまりちゃんに手を出すとは何たる不届き者、許せん。俺が成敗してくれる。


「ね、ハルくんいいでしょ? お願い。その人、ひまりがやんわり断っても結構しつこくて」


 ひまりちゃんが両手を合わせて小首を傾げ、潤んだ瞳で俺を見つめる。まるで健気な小動物のよう。あまりにもかわいい。


 ひまりちゃんにこんな風にお願いされて、断れるはずがない。


「よし分かった。俺に任せておけ」


 まぁ恋人のフリって言ってもソイツの前でちょっと見せつけてやればいいだけだろ? 大した事じゃないし、むしろ役得と言える。


 胸に手を当て頼れる男感を演出している俺に、ひまりちゃんは「きゃー、さすがハルくん、頼りになるー」と黄色い声を上げた。

 が、次の瞬間、ひまりちゃんは何かを思い直したかのように不満げな表情を浮かべる。


「ど、どうしたの……? ひまりちゃん」


 何やら不穏な気配を感じて、ビビる俺。


「うーん、でもショックだなぁ……」


 と、ひまりちゃんは言った。


「な、なにが?」


「ハルくん、さっきひまりの告白、断ろうとしたよね?」


「いや、でも、さっきのは冗談だったんじゃ……」


「うん、そうなんだけど、だとしてもハルくんがひまりの告白を断るっていうのは、ちょっと納得できないかも」


 いや、そんなこと言われましても……。


「じゃあ、仮に俺が本気になったらひまりちゃんは受け入れてくれるの?」


「ううん、それはない」


 即答。真顔で即答否定された。いや、俺もひまりちゃんの告白を断ったけどさ……、その反応は流石にショックだよ? は! まさかひまりちゃんもこういう気持ちなのか……? 


 告白されても断るけど、自分の告白を断られると何か嫌とか、人間ってクソめんどくさいな。

 愚かなる人類に辟易としていると、ひまりちゃんがニヤッと口角を吊り上げた。おっとこれは何か悪い悪戯を思い付いた時のひまりちゃんですね。ハルくん知ってるよ?


「じゃ、明日からハルくんとひまりは恋人同士のフリをする訳だけど、間違ってひまりに本気になっちゃ、ダメだからね♡」


 薄桃色のぷるっとした唇に指を添え、ひまりちゃんは楽しそうに言った。何かいやな予感するけど、ひまりちゃんがかわいいからまぁいいや。


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