八話~「……そうか、じゃあ、やるか」~
消え入るような声で言われた衝撃の要求に、俺はどういう反応を示していいか分からず、しばらく固まっていた。
いや、学校復帰のために人と会話する練習を手伝って欲しいとか、外に一緒に行って欲しいとか、そうでなくても毎日部屋にずっとこもってると寂しいから話し相手なって欲しいとかなら、まだ「任せとけ」って即答できたし、その流れで徐々に小山さんとか光希とか、俺が信頼してる友達にも会って貰って、徐々に学校に行けるようになる的な展開を期待してたんだけど……、え? ……お、お姫さま抱っこ……?
聞き間違いじゃないよね……?
お姫さま抱っこ……? お姫さま抱っこか……、そうか……。
「お姫さま抱っこか……」と俺がシリアスに呟いていると、しおりがバッと俺から離れて距離を取った。
「あ、あ、……あ、あの……っ、そ、そういうこと、じゃ、なくて……っ」
顔から耳と首元に至るまで真っ赤になったまま、しおりがブンブンと両腕を振って言う。
「そういう、ことじゃ……っ、なくて……っ」
そういうことじゃないも何も、そもそもがどういうことなの……。
どんな顔をしていいか分からなかったので、とりあえずクールシリアスなキメ顔を保っておく。風呂上がりに鏡の前で練習してたら姉ちゃんに「うわキモ」って言われた顔である。カッコいいと思うんだけどな……。
焦って言葉に詰まってるしおりに「ゆっくりでいいよ」と声をかけ、待つことしばらく。何度か深呼吸を繰り返して落ち着いたしおりが、再び口を開いた。
「……私、しょ、小説、書いてて」
「ほう?」
小説? 小説ってあれでしょ、本屋で売ってるマンガじゃないやつのことでしょ? あの文字いっぱいのやつ。え、すごくね?
文字列ばかりの物語というものを国語の教科書以外で読んだことはないが、あれが小説の一部であることは知ってる。ああいうのを自分で書いてるってこと?
「すげぇ! え、じゃあ、もしかしてこれってしおりが書いた小説ってこと?」
しおりが倒れそうになった拍子に、また床に散ったコピー用紙の束を見下ろして俺が言うと、しおりが恥ずかしそうに頷いた。
「すごくない? しおり小説とか書けるんだ。そういえば本好きだったしな」
昔からしおりは本の類いをよく読んでいた覚えがある。
過去に何度かしおりに本を読むように勧められたことはあるけど、俺には無理だった。ああいうのマジ読めないの。だから国語の授業はいつも死んでる。
まぁ、しおりが楽しそうに読んだ本の話をするのを聞くことは好きだったけど。
どうしよう、しおりのこと先生って呼んだ方がいいかな。
「んで、それがお姫さま抱っこと何の関係が?」
「…………そ、その……、参考、に……」
「参考?」
「小説で……、お姫さま抱っこのシーンを、上手く書くために……」
「俺がお姫さま抱っこすると、小説が上手く書けるってこと?」
しおりがコクコクと頷いた。
「なるほど」
しおりが引きこもってる事の解決に直接つながる感じではないが、何にせよまず俺がしおりと仲良くなってしまえば、色々やりやすくはなる。
よし、いいだろう。不安やら恥ずかしさやらが無いわけじゃないが、一度協力すると言った以上やるしかない。まぁしおり細いし小さいし大丈夫でしょ。
毎日寝る前に腹筋と腕立てを十回ずつだけしてる俺ならいける! ……いけるか?
「今やる?」
「…………」
停止したロボットみたいに三十秒くらい反応が無かったけど、やがてしおりはおずおずと頷いた。またしおりの顔は前髪に隠れていて、今どんな顔してるか分からない。
「……そうか、じゃあ、やるか」
気合を入れる。
……………大丈夫だよね、なんか不安になってきた。ここでしおりを持ち上げようとして無理だったらダサすぎるぞ俺?
よーし、よーし、さぁ来い。いつでも来い。いや俺が行くのか。
とりあえずお姫さま抱っこをするにしても、しおりに近づかないといけない。いつのまにか三歩分くらい俺と距離を置いているしおりには、流石にここからじゃ手が届かない。なんかこの距離感、どこかで見た覚えがあるな。
……これ、不審者と対面した時にあけとけって言われてる距離感じゃね?
そんなことを考えつつ、俺はしおりに向かって一歩踏み出す。
「ひぃ」
息が抜けるような変な声を上げてしおりが後ずさった。今「ひぃ」って言った?
もう一歩近づくと、同じタイミングでしおりが一歩下がる。
「……」
「…………」
さらにもう一歩近前進。しおりが一歩後退。
「…………」
「………………あの、しおりさん?」
「は、はぃ……」
「近づかないと、お姫さま抱っこはできませんよ?」
「………………」
なんだろう、やっぱり俺嫌われてるのかな……。いやでも嫌ってる相手にお姫様抱っこは要求しないでしょう、ねぇ?
その後も一進一退の攻防を繰り広げている内に、しおりを部屋の隅に追い詰めることに成功する。
ぐへへ、もう逃げられないぞ。
部屋の隅の壁に張り付くようにしてプルプル震えてるしおりを見て、俺は一体何をやっているんだろうとシリアスに悩む。
「あの、しおりさん、今日はやめときます?」
「や、やめない、で……っ」
「ほんとに触っても通報とかしないよね?」
「…………し、しない、から、……一思いに……」
一思いにってなんだよ。なんか俺が無理やりやってるみたいじゃん。君が頼んだんですよ? いやしおりを追いかけてる間にちょっと楽しくなってきちゃったのは事実だけども。
なんだかいけないことをしてる気分になりながら、俺は腰を落としてしおりの背中と膝の少し上あたりにそれぞれ手を添える。
「よし、いくぞ」
「……ぅっ」
「よっ」と、息を吐き出しながらしおりを持ち上げ――あっぶねぇ!? 今落としかけたぞ!?
マジで危なかったやばいやばい思ったより腰にくるこれ。
まぁでもしおりくらいの身長と細さだと、重さ的には四〇キロちょっとってとこだろ?
流石に五〇はない。なら全然いけるはず! と、心の中で思ったわけだが、ふと俺は思い直す。四〇キロって結構重くね……? と。
いや、一人の人間の重さ的には、かなり軽い部類だと思うのだが、よくよく考えると四〇ってそんなほいほい簡単に持ち上げて走ったりできる重さじゃない。
よく漫画の中で、主人公がヒロインをお姫さま抱っこして敵から逃げたりしてるけど、あれバケモンだろ。
ただでさえ帰宅部で運動不足気味の俺には文字通り荷が重すぎる。やめろ俺、余計なこと考えるな。しおりを落とさず華麗に持ち上げることだけ考えろ。
クールに行こう、そうクールに。俺は紳士だ。
俺は静かに深呼吸して、ゆっくりとしおりを持ち上げていく。腰超辛い。やばい! 腕が! あ、ふとももにもきてますね。
しかし紳士な俺は内心で叫んでいても、表情には出さない。あくまでこういうのは何気なく軽々とやってのけるのがカッコいいのだ。だから耐えるのよ俺。もう無理(泣)。
「……お、おもく、ない?」
プルプル震えまくってる俺の腕を見てか、しおりが心配そうに言った。
「いや軽いから大丈夫」
俺よりは軽いし俺は俺の事を大丈夫だと信じてるから大丈夫。
「……ほ、ほんと?」
「ほんとホント」
クールに言うと、しおりが恐る恐る両腕を俺の首に回してくる。すると結構マシになった。あ、いけるかも。……歩けるか?
少しずつ歩いてみて、このしおり姫をどこに連れて行けばいいのか悩む。このまま外行っちゃう? そう思った瞬間、俺は自分の体に限界が来たことを悟った。
マジで落としそうになる二秒前、俺は側にあったベッドにしおりを下ろす。そのつもりだったんだけど、しおりが俺の首に腕を回したままなのを忘れていたため、そのまま引き寄せられるように俺もベッドにダイブしてしまった。
ボフンとベッドが沈んで埃が舞う。
「……ぅっっ!」
一瞬の衝撃の後、恐る恐る瞼を開けると、目と鼻の先にしおりの顔があった。
押し倒されたような体勢で、小さく縮こまっているしおりは、潤んだ瞳で俺を見上げて、パクパクと口を開けたり閉じたりしている。
そのやけになめらかな白い肌と、薄桃色の唇から目が離せない。
「…………」
あー……、えっと……、これは、ですね……。その、事故、なんです……。
とりあえず落ち着きを保ってしおりの上から離れ、俺はコホンと大きく咳払いする。
やっべー、顔あっつ。あっつぅ!? 恥ずかしすぎる。何今の。バカなの俺? いや待て落ち着け俺。そう、事故だ。俺に悪気はなかった。俺は悪くない。俺の筋肉が悪い。いやそれ俺の一部じゃん……。今日から寝る前の腕立てと腹筋十五回ずつにしよ。
……よし落ち着いた。
「あの、しおりさん……?」
とりあえず弁解しておこうと思ってしおりの方を見ると、そこにはこんもりと盛り上がった布団の小山があった。あれれー、しおりちゃんはどこいっちゃったんだろう?
と、とぼけようと思ったけど、どう考えてもこの布団の中にいますよね。
布団に包まって姿が見えなくなったしおりに、俺は声をかける。
「いや、すまん。わざとじゃなかった。変な意味はないから。そう、決してしおりが重かったからとか、俺に変な気があったからとかではない、OK?」
「…………」
反応はない。聞こえてはいるはずだけどな……。
しおりin掛け布団の様子をしばらくうかがっていると、はぁはぁという荒い息遣いが聞こえ、急にふるふると震え始めた。
え? 大丈夫?
そのままもぞもぞと、盛り上がった布団がベッドの端から端を行ったり来たりし始める。
なんだろう、こういう新手の生き物かな。
一体何が目的の行動なのかと思ってしばらく観察していると、布団の中からニュッと腕が出てきて、ベッドの隅にあったスマホを手に取った。スマホは布団の中に吸い込まれていく。
あぁ、スマホを探してたのね。
するとその三秒後、俺のスマホが震えた。
ポケットからスマホを取り出すと、しおりからラインが来ていた。トーク履歴を見ると、およそ三年ぶりのメッセージであることが分かる。
『申し訳ございませんでした』
……なんで謝ってるの?
『ごめんなさい』
『調子に乗りました』
『すみません』
『すみません』
『ごめんんなさい』
『すみませ』
『ん』
次々にメッセージが送られてくる。めっちゃ謝るじゃん……。しおり的には、俺の首を掴んで引き倒したのを悪く思ってるのかな。
「よし、じゃあお互い気にしないようにしよう。今のは無し」
パンと手を打ち鳴らして言う。
これで万事解決。お互い悪いと思ってるなら、そこで話は終わりだ。余計な時間やエネルギーを使う必要はない。
クールに行こう。
『怒ってないですか?』
またメッセージが飛んでくる。
「怒ってないよ?」
むしろどこに俺が怒る要素があったのか。
ていうかメッセージでもしおりに敬語使われると変な感じになるな。昔はもっと気軽な感じだったじゃん? 時の流れというのはここまで人や人との関係を変えてしまうのか。時間さんパネェ。
その後、しおりが入った布団がピクリとも動かなくなり、メッセージも送られてこなくなった。
「……」
んー、今日はこんなところか。しおりもあんま俺に居座られると困るだろうし、そろそろ帰るか。ゲームしたいし(本音)。
「じゃ、今日は帰るわ」
そう言って俺が部屋から出ようとすると、またスマホが震えた。画面を見ると、しおりからのメッセージが届いている。その内容は……、
『また来てくれますか?』
それを見て、思わず笑ってしまった。
なんだ、しおりもまた俺と仲良くなりたいと思ってるのか、と安心してしまった。嬉しくもあった。この数年で、俺としおりの距離は離れてしまったことに違いはない。でも過去にその何倍もの時間を一緒に過ごしたこともまた事実。
結局、俺たちが幼なじみであることに変わりはなくて、俺としおりの繋がりがそう簡単に千切れることはないのだと、そう思った。
「明日の放課後も来るよ、またな」
しおりにそう告げて、扉を開ける。その瞬間、扉の向こうで何者かが慌てる気配があった。
「……ひまりちゃん?」
しおりの部屋の前の廊下でしりもちをついて、ちょっと気まずそうな表情で俺を見上げているのはひまりちゃんだった。
しかしひまりちゃんはすぐに立ち上がって、俺の手を引く。
「ハルくんこっち来て」
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