七話~……おっぱいかな。~


 部屋の中は薄暗かった。

 電灯はついておらず、カーテンも閉められていて、その隙間から差し込んだ陽光が、かろうじて視界を確保できる程度に中を照らしているという感じだ。


 俺を部屋の中に引きずり込んだしおりは、扉を閉じてはぁはぁと息を切らしている。その後すぐ、ひまりちゃんが部屋の前の廊下を歩く足音が聞こえた。


「――あれ? ハルくん?」


 まさか俺がしおりの部屋に居るとは思わなかったのか、そのままひまりちゃんの足音は通り過ぎていく。


「……あー、しおり、さん?」


 しおりは扉に背を預けたまま俯いている。装いは昨日と同じジャージ姿。薄暗いこの部屋で、長い髪を前に垂らすように俯かれるとまるで幽霊みたいだ。


 しかしまさか、しおりを部屋の外に連れ出すつもりの俺が、逆に部屋の中に引きずり込まれるとは……。この引きこもり、やりおる。


「……」


「……しおり?」


「………」


 気まずすぎる。どうしたらいいのこれ。


 しおりからの返答が得られないので、何となく部屋の中を見渡してみる。薄暗いので細かい部分まではよく分からないが、ひまりちゃんの部屋とはずいぶん印象が違う。

 部屋の端に並べられた本棚には、ずらっと様々な本が並んでいて、部屋のあちこちにも本の類いが散らばっている。ベッドの上にも本が積まれているし、その横にはノートパソコンが無造作に置かれていた。

 そしてそんな大量の本と同じくらい、A4サイズのコピー用紙があちらこちらに散乱している。よく見るとそのコピー用紙には、細かい文字列がびっしりと刻み込まれていた。


 なにこれ? 


 気になったので側にあった一枚を手に取ってみる。すると、しおりが慌てたように駆け寄って来て、俺からそれを奪い取った。


「あ、見ちゃダメなやつ?」


 コクコクと必死に頷くしおり。まぁならいいや。


 しおりが部屋中に散っているコピー用紙をあわあわと拾い集めているのを眺めながら、俺はなんだか懐かしさを感じていた。

 こんなにしっかりとしおりの姿を見たのは、いつ以来かな。


 あらかたしおりがコピー用紙を集め終えたタイミングを見計らって、俺はまた話しかける。


「あのさ」


「……っ」


 ピクンとしおりの肩が跳ねた。


「俺、ここに居ていいの?」


「…………」


 無反応。まぁ良くなかったらそもそも引きずり込まれてないだろうし、OKってことでいいんだろう。


 さて、何を話したもんかな。


「こうやって実際に顔を合わせて話すのもかなり久しぶりだよな」


 実際の所、しおりはこちらに背中を向けてるし、何なら喋ってるのは俺だけなんだけど、まぁ言葉の綾だ。


「正直なとこさ、俺がこうしてしおりの所に来てるのは、かおりさんに頼まれたからなんだよ」


「……っ」


 またしおりの肩が震えた。


「中学の時くらいから、何となくしおりと話さなくなってさ、中学の時もこんな風にしおりが学校に来なくなった時があって、心配はしてたけど、特に無理に介入しようとは思わなかった。俺がどうこうできる問題でもないだろうし、俺としおりはもう別々の場所にいて、無理に関わるのも違うよなぁって感じだったから」


 実際問題、疎遠になった幼なじみなんてそんなもんだろう。そんで、たまに会って話す程度に落ち着くのだ。


「高校も、しおりが俺と同じところに行ったのは知ってたけど、正直それだけの話だし。んで、しおりがまた部屋に引きこもってるってのを聞いて、かおりさんに言われて、ここに来ることになった。俺の意思じゃない」


 そう言った時、一際大きくしおりの肩が跳ねた。しおりは扉の方に足を伸ばし、取っ手を持ち、外に出て行こうとする気配を見せる。


 わあぁぁっ待って待って! まだ話終わってない! 引きこもりがそんな簡単に部屋から出ようとしないで! 


 俺は慌ててしおりに追いついて手を引く。そこまで強く引っ張ったつもりはないんだけど、しおりの細い体が思った以上に軽くて、そのまま引き倒してしまった。しおりが手に持ていた紙の束が舞い散る。


 勢いよくこちらに倒れ込んでくるしおりをどうにか抱き留めて、恐る恐る下を見た。


「すまん……大丈夫か?」


「…………」


 俺の腕の中でジッとしてるしおりはしばらく無言だったが、やがてコクンと頷いた。しおりが俺の胸元に顔をうずめるようにしているため、相変わらず表情はうかがえない。


「………………」


 …………ねぇ、これ、どのタイミングで腕を離したらいいの? し

 おり全然動かないし、何ならしおりの方から抱き着いてきてるから離せないし、ジャージ越しだけど何か色々やわらかい部分が当たってるのを感じるし、思ったよりしおり小さいし細いしやらかいし、つーかやわらかいな?  


 迫り来るおっぱいのイメージをどうにか思考の外に追いやって落ち着きたいんだけど、ずっと当たってるんだよな……。しかもたぶんこれノーブr――おっと、これ以上はいけない。


 このままだと男子高校生の豊か過ぎる妄想力が暴走して大変なことになる予感がしたので、とりあえずさっきの台詞の続きから口にすることにした。

 クールに行こう。


「とりあえず最後まで話を聞いて欲しいんだけどさ、確かにここに来たのは俺の意思じゃない。でも一昨日と昨日、しおりに言ったこと覚えてるか? あれも本心であることに違いはない。俺はまたしおりと仲良くなれたらいいなって思ってるし、幸せになって欲しいとも思ってるし、そのために俺に協力できることがあるなら、協力してもいい。もちろん、しおりが俺でいいならって話にはなるんだが……」


 結局、人の心というのは複雑なのだ。


 人が人に対して抱く気持ちなんてものは、一言で言い表せるもんじゃないし、言葉をいくら重ねても相手にその全てが伝わる訳じゃない。

 だから、俺が今しおりに伝えた言葉が、俺がしおりに思っていることを全て言い表している訳でもない。ただ、それが本心の一部であるということは、自信を持って言える。


 好きな相手にも嫌いな部分はあるし、嫌いな相手の意外な一面を知って好きになることもある。大好きだった人と、ちょっとしたことで喧嘩になってしまうこともある。


 こんなこと言っておきながら、こんな風に色々気を使ってまでしおりと関わるのがめんどくさいと思っている俺がほんの少しいるのも、また本心の一つなのだ。

 あぁ、家に帰ってゲームしたいな……。


 まぁ、そんなことは口にしないんだけど。基本的にウソは吐かない俺だけど、思ったことを言わない事はある。俺だって空気くらい読めるんですよ?


「俺は、しおりが何で学校に行きたくないのかとか、部屋に引きこもってるのか、とか、全然知らないけどさ、もし俺が何か協力することで、しおりが少しでも元気になるっていうなら、言って欲しい」


 そこまで言い切って、俺はしおりの返事を待つ。すると、ふとした瞬間に、しおりが顔を上げた。


 その拍子に、ハラリとしおりの前髪が顔を滑って、表情が露わになる。

 ひまりちゃんと似ている部分はあるけど、やっぱり違う顔立ち。

 記憶に残る幼いしおりの顔より確かに成長していて、何というか女らしさみたいなものを感じた。顔は真っ赤で、化粧っ気が無くて、目元には泣いた後のような跡があって、その瞳は潤んでいた。

 思わず近い距離で見つめ合って、心臓が跳ねる。


 その瞬間、しおりの薄桃色の唇が動いた。


「わ、……わたし……、は、は、晴斗、に……、お、……お、」


 お……、お……? 『お』ってなんだろう。……おっぱいかな。


「………」


 やがて、しおりが決意を秘めた表情で言う。


「お、……――お姫さま抱っこ、し、して、欲しい……」


 おおぉぅ……っ、まさかの予想斜め上過ぎる要求……。

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