五話~これで「きらい」って返ってきたら死のう。~
放課後、俺はまた相川家にやって来ていた。
俺が社会的な死を免れるためにも、しおりにはさっさとリア充になって、幸せになって貰わなければならない。そのためには行動あるのみ。
ピンポーンとインターホンを鳴らすが、特に反応はない。その後も何度かインターホンを鳴らしてみたが、一切反応がない。もしかして家に誰も居ないのか? いやしおりはいるか。
ひまりちゃんはまだ家に帰っていないとして、かおりさんは買い物にでも出かけているのだろうか。
俺はスマホを取り出して、かおりさんにラインする。
『しおり姫とお話するために、お宅の前に来たんですが、中に入れません(泣いてる絵文字)』
するとすぐに返信があった。
『郵便受けの中に鍵あるから勝手に入って。番号は0609』
言われた通り、玄関先にあるダイヤルロック式の郵便受けに近寄って、ダイヤルを0609に合わせると、確かに開いた。中には鍵と数枚の葉書が落ちている。
『じゃあ勝手にお邪魔します』
『これからは別にあたしの許可なくても好きに入っていいから』
あの人俺のこと信用し過ぎじゃね? まぁ入っていいというなら遠慮なく入るが。
俺はかおりさんにリスの絵文字(『了解です』の略だがたぶん伝わらない)を送り返すと、鍵を使って家の中に侵入する。
玄関で靴を揃えてスリッパを拝借し、階段を上りしおりの部屋の前に立つ。さて、ここからが勝負だ。
俺はコンコンと丁寧にノックをすると、声を張るようにして中に呼びかける。
「しおりーっ、俺だけど?」
「…………」
まぁこれくらいで出てこないのは想定内、今日の俺には秘策が――ガンッ! といきなり扉が開いた。
完全に想定外のタイミングでドアが開いたので、滅茶苦茶ビビった。
昨日のことがあったので、ノックした後ある程度扉から距離を取っていたのだが、それが無かったらまた死にかけてた。もうちょっと慎ましく扉を開けてくれないかしら……。
突然開いたドアの恐怖にドキドキしていると、使い古したジャージに身を包んだしおりが俺の前に立つ。長い前髪が顔を隠していて表情はよく分からない。
しおりは、一瞬だけ顔を上げて俺を見た後、またドアを閉じた。
きぃー、ばたん。
「…………えぇ」
なんですか今の。ダメだ、しおりの行動が読めない。
「あー、しおりさん?」
「……」
数秒後、今度は慎ましく少しだけドアが開いた。ほんの少し開いた隙間から、しおりの息遣いが聞こえる。姿はほとんど見えない。
「……な、なに……?」
昨日よりはギリギリ聞き取れる声量で、しおりが言った。
「なにって言うか、しおりに会いに来た」
「……な、なんで?」
なんで。なんでか。そりゃ一番の理由は俺のためだが、決してそれだけじゃない。
「しおりと話したかったから、かな」
昔仲が良かった幼なじみともう一度仲良くなりたいという気持ちが、少なからずある。じゃなきゃいくら弱みを握られたとはいえ、ここまで素直にかおりさんに従っていない。
むしろ、俺は今までずっとそのためキッカケを探していたのかもしれない。
「なんで、わたしと、話したいの……?」
「しおりとまた仲良くなりたいから、かな。昨日も言ったけど」
「…………。……なんで、わたしと仲良くなりたい……の?」
「……」
ふーむ、そう来ますか。何にでも疑問を持つその姿勢、いいですね。はっはーっ、さては研究者気質だなこいつぅ。
いいだろう。とことん付き合ってやる。
「しおりのことが気になるから」
「……………わ、わ、わ、わたしのこと、………………気になるの?」
「気になる」
「……っ!」
パタン! とドアが閉まった。
呆気なく勝負が決まったな。これは俺の勝ちでいいのか? いや勝ってどうすんだよ。お喋りしろよ。そのために来たんだよ。
にしても、しおり姫が恥ずかしがり屋さん過ぎて、まともな会話にならない。でも昨日よりはまだコミュケーションを取れているだけマシか。
とりあえずしばらく待ってみよう。
その後、部屋の前で待つこと十五分、もう一度ノックしてみる。
「生きてる?」
するとまた少しだけ扉が開いた。
「…………」
「…………」
「………………な、な、なん、で、気になる、の?」
凄まじいタイムラグを経て返事がやってくる。
うーん、何で気になるか、それに対する答えらしい答えを俺は出せそうにない。なので正直に答える。
「よく分からないけど気になる」
「……………………」
「……」
「…………」
ザ・無言。
扉は少し開いたままだし、息遣いは聞こえるのですぐそこに居るのは分かるけど、無言が続く。この場が静寂に包まれ、たぶんもう返事はないと判断した俺は、こっちから仕掛けることにした。
「しおりはさ、俺のこときらい?」
少し卑怯な聞き方であることを承知の上で、そう言った。これで「きらい」って返ってきたら死のう。
約三十秒後、しおりが言う。
「……………きらい、じゃない」
「じゃあ俺にこうやって押しかけられるの、いやか? もしいやなら、もう二度と来ない」
我ながら似合わないと思いつつ、シリアスに言ってみる。
これも卑怯な問いかけだ。しおりがこうして俺と話そうと頑張ってくれてる時点で、しおりに俺と話そうという気持ちが少しでもある証拠だ。要するに、俺と話すのを何が何でも拒絶している風じゃない。
その上で考えるなら、「もしいやなら、もう二度と来ない」という強い言葉に乗って来ることはまずないだろう。でもここで「もう二度来ないで」って言われたら死のう。
次のしおりの言葉は、思ったより早く返ってきた。
「い、いやじゃ、ない……っ」
今日の中で一番大きな声だったと思う。なんというか、予想外だ。もう少し、「別に絶対に嫌って訳じゃないけど、でも正直キモいから」みたいな感じで言われると覚悟してたのだが。どうやら感触は良好らしい。
「そっか、じゃあまた明日も放課後来るから。またな」
「……ぇっ?」
少し驚いたような声が聞こえた気がするけど、気にせずその場から離れる。とりあえずさっきの言葉を引き出せただけで今日は満点以上だ。
よかった。これで明日からはもうちょっと堂々とここに来れる。いや、いくらかおりさんから直々に頼まれたとは言え、年頃の女の子の部屋に無理やり押しかけるのとか気まずいからね? お腹痛くなるし。緊張のあまり昨日は色々奇行に走ってた覚えがあるけど気にしてはいけない。
階段を降りて、さっさとお家に帰ってゲームでもしようと玄関に向かうと、ちょうど帰宅したらしいひまりちゃんと鉢合わせた。
「あれ? ハルくん? なにしてるの?」
「ちょっとね」
そう言って、一瞬天井の方に視線を向けると、ひまりちゃんも察してくれたらしい。
「ふーん……、そ」
なんだか色々気に喰わないという表情である。あまりにそれが恐ろしかったので、「じゃ、じゃあまたね」と、ひまりちゃんの横を通り過ぎて、この家から脱出しようとしたのだが、ぎゅっとひまりちゃんに手を握られる。
やだ小さくてやわらかいおてて。なんてかわいいおててなの。にしてはそこに込められる力が全然かわいくない。絶対に逃がさないという意思を感じる。
「どしたのひまりちゃん」
「せっかくウチに来たんだから一緒に遊ばない? ハルくん」
「別にいいけど、何して遊ぶのん?」
「そうだねー。遊ぶとはちょっと違うかもしれないけど……、じゃあ、ひまりに勉強教えてくださいよー、晴斗先輩♡」
甘々なとろけるような声で言われる。上目遣い。少しの照れとお茶目さが含まれた微笑み。あざとい先輩呼びと敬語。役満ですねこれは。
「先輩に任せなさい!」
もうなんでも教えちゃう!
そして俺はひまりちゃんに手を引かれるまま、階段を上がり、さっきまで居たしおりの部屋の前を通過。やだ気まずい。
そのまま俺はひまりちゃんの部屋に案内される。
ひまりちゃんの部屋は、かわいらしい雑貨が綺麗に飾られたり、ベッドの上にぬいぐるみが並んだりしていて、いかにも女の子って感じだった。
ひまりちゃんがいつも身に纏っている匂いが、部屋の中を全体的に包み込んでいた。
たぶん棚の所に置いてあるルームフレグランスから香ってる。なんていう種類の匂いなのかは分からんけどめっちゃいい匂い。なにこれ、ドキドキするんだけど。
ひまりちゃんはクローゼットを開けてブレザーをハンガーにかけると、なんか高級そうな芳香剤っぽい何かをシュッシュと吹きかけていた。
「今日は暑かったよね~」
クローゼットを閉じながら言って、ひまりちゃんがブラウスの胸元のボタンを二つ外した。
ちょ! 色々見えるから!
昨日見たしおりのよりは控えめだけど、ひまりちゃんも女の子として色々成長しているのが見て取れる。こんな大胆なこと他の男の前でやったりしてないよね……? ハルくん心配なんだけど。
無防備なひまりちゃんの行動に色んな意味でドキドキしてると、ひまりちゃんは鞄からノートとかテキストとかプリントを取り出してデスクの上に投げるように置いた。
「今日めちゃくちゃ宿題出されたんだよね、もうめんどくさいのなんのって。だからハルくん手伝ってね」
あ、そういう感じね。
「任せろ。これでも二年生だからな」
そうしてひまりちゃんの宿題に付き合うことしばらく。始めの方はひまりちゃんがイスに座って、その隣に俺が立って色々教える感じだったのに、いつの間にか俺がイスに座って一人でひまりちゃんの宿題をやってる。
おかしいな……。
俺が首を傾げながらペンを走らせていると、俺の背中に体重を預けるようにしながらスマホをいじってたひまりちゃんが、不意に言った。
「ハルくん、お姉ちゃんと何か話したの?」
あくまで軽い口調だが、冗談で返せる雰囲気じゃなかった。
「いやマジで大したことは話してない」
「じゃあちょっとは話したの?」
意外そうな声。
「まぁ、ちょっとだけ」
「ふーん……」
興味なさげな声。あくまでただ気になったから聞いただけ、という感じ。
でも、俺にはそれだけの意味には感じられなかった。脳裏に過ぎるのは、昨日かおりさんから聞いた『第一ひまりはしおりのこと嫌ってるし』という台詞。
結構あっさり言われた感じあるけど、そこそこ深刻ですよねそれ。
「ひまりちゃんはしおりと最近どうなの?」
世間話的な感じで聞いてみる。
「うーん、三年近く口聞いてないかな」
Oh……。どうして……、昔はあんなに仲良かったじゃん……。
「も、もしかして、ひまりちゃんは、お姉ちゃんのことお嫌い?」
丁寧に聞いてみる。日本語はとりあえず『お』を付けて置けばお丁寧になるお!
「うん、だいっきらい♡」
弾んだ声で言われる。
なんていい笑顔なのひまりちゃん。笑顔だけ見れば思わず心が温かくなりそうなくらい素敵な笑顔なんだけど、なぜだろう心臓が痛い。
薄々予想していた返答だけど、実際に本人から聞かされると、こう、色々クるものがある。
「一応、なんでお嫌いなのか、お聞きしても?」
「んー……」
唇を指でつんつんしながら考えるひまりちゃん。
「まず、ずっと部屋に引きこもっててキモいでしょ? 学校にも行かなくてお母さんとかハルくんに心配かけて迷惑かけてんのも何様って感じでキモいし、あと何考えてるか分かんなくてキモいし、たまーに見かけても髪の毛ボサボサで服もボロボロのやつずっと着てて身だしなみ気にしなさすぎでキモいし、気持ち悪いし、色々あるけど全部きらいかな♡」
やめて! やめ゛て泣!
罵倒されてるのはしおりなのに何か俺の心が死んでいくからやめて!
これ隣のしおりの部屋に聞こえてないよね?
あと女の子がキモい連呼しないで!
いやそもそも男女関係なくキモいって言うのもあれなんだけど、あれじゃん?
いや俺もノリで言ったりすることあるけどさ、言い方ってあるじゃん?
これガチのやつじゃん?
はっはーん、さてはひまりちゃん、JKが放つ『キモい』の威力を理解してないな?
一説には、JKが口にする『キモい』にはおっさんを即死させる効果があるという。その昔、女子高生だった姉ちゃんに『お父さんそういうのマジキモいから、自覚ないの?』って言われてウチの親父が死んでたから間違いない。
予想以上に激しいダメージを負って瀕死になっている俺の肩に両手を置いて、ひまりちゃんが耳元で言う。
「てかハルくんは、お姉ちゃんのこと嫌いじゃないの?」
「嫌いじゃないよ?」
確かに、昔一緒に遊んでた時のしおりと、色々雰囲気が変わっててびっくりはしたけど、あれくらいで嫌いにはならない。
そもそも嫌いになるほど最近関わってない。
ていうか昨日しおりと顔を合わせたのが一年ぶりくらい? 言葉を交わしたという点に置いてなら、二年ぶりくらいかな。
「じゃ、ひまりのことはすき?」
「すきだよ?」
「それだけ?」
ひまりちゃんが俺の目の前でにっこり微笑んで首を傾げる。彼女のつぶらな瞳が試すように俺を見つめていた。
「だいすきです!」
「そっかぁ、ありがと♡ ひまりもハルくんのこと、そこそこすきぃ」
「……」
…………あっぶねぇ、かわいすぎて死ぬところだった。ちょっぴり黒いところもかわいいよねひまりちゃん。〝そこそこ〟ってのが少し腑に落ちないが、まぁいいだろう。
かわいいは正義。
「つまりハルくんは、お姉ちゃんよりひまりの方がすきってことだ!」
「いや、あの、ちょっと待ってひまりさん」
ひまりちゃん、なんだかお声が大きいですわよ? お隣さんに聞こえてしまいますわよ?
「ハルくん、好きとか嫌いに優劣を付けるのは、良くないと思うの」
「ハルくん、ステーキともやしどっちが好き?」
「…………ステーキ、かな。いや! そういうことじゃなくてさ! いいじゃんもやし! 大好きだよ俺!? 両方愛していこうよ!」
「でもステーキともやしどっちかしか食べられない状況なら、ステーキ食べるでしょ?」
「うん。――いやいやいや!? だからそういうことじゃなくて!?」
この屁理屈娘め……っ! いつの間にこんなに小賢しく育ちやがった。
「ほら、やっぱり好きに優劣あるじゃん。ひまりはハルくんに世界で一番愛して欲しいなぁ」
うーん、悪魔かな? ひまりちゃんの頭と背中にツノと黒い羽が見える気がする。小悪魔衣装のひまりちゃん。……アリだな。アリ過ぎる。
「ハルくんはひまりのことかわいいって思ってるでしょ?」
「うん」
「で、ハルくんはひまりのこと大好きなんでしょ?」
「うむ」
「でもお姉ちゃんのこと大好きって訳じゃないでしょ? 昔はそうだったかもしれないけど、今は違うでしょ?」
この小娘……っ! なんつーこと聞いてきやがる。いや、そういうことじゃないじゃん(泣)。違うじゃん(泣)。
もうこの場でおもちゃ売り場名物の子供みたいに大号泣してやろうかと考えてると、ひまりちゃんが追撃してくる。
「もういいじゃん、放っときなよ。ハルくんがあんなのに時間使う必要ないよ」
「あのな、ひまりちゃん」
小さな子供のように拗ねた感じでむくれて、俺を見ているひまりちゃんに、人生の先輩らしくビシィッと言ってやろうかと口を開いた所で、バァンッ! と背後の扉が開いた。
そこにはハァハァと全力疾走した後のように肩を上下させながら、顔をこちらに向けるしおりの姿があった。
相変わらず長い前髪のせいでどんな表情をしているのか分からないが、黒い髪の隙間から覗いている片耳は真っ赤になっている。
……もう嫌な予感しかしない。
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