三話~とてもかわいいのに、謎の恐怖を感じる。~
パンツを被ってかおりさんに弱みを握られた翌日、月曜日。
俺はいつもより四十分ほど早く家を出て、隣の相川家に向かった。
ピンポーンとインターホンを鳴らすと、即座にかわいらしい声が返ってくる。
『あれ? ハルくん? どしたの。朝からひまりの顔が見たくなっちゃったの?』
ひまりちゃんの声だ。平日の朝一番に俺が来て、驚いているらしい。
「それもあるけど、お姫様を迎えに来た」
『お姫様?』
不思議そうな声。
「うん、引きこもりのお姫様」
『……あー』
それだけでひまりちゃんは何かを察したらしい。凄まじく微妙そうな声だった。
『ちょっと待っててね』
そう言われた十分後くらいに扉が開いた。ちょっと……?
「ハルくんお待たせ~っ」
扉の隙間から身体を覗かせるのは、相川ひまり。しおりの妹だが、顔も性格もそこまで似てるという訳ではない。
ひまりちゃんはミディアムショートの明るい茶髪に編み込みを入れてお洒落さんな感じを出しており、ナチュラルメイクで惹き立てられた可憐なお顔も、軽く着崩した制服も、全部がお洒落さん。かわいくなっちゃってんもう! かわいい! 女の子らしくなっちゃって! 成長したね(泣)。
俺は娘の成長を見守る父親の気持ちで目を潤ませかけたが、「ちょっと」と言われながら十分間外に放置されたことに抗議の声を上げる。
「ねぇひまりちゃん」
「なーに? ハルくん」
「十分も何してたの?」
「髪のこととか、お化粧とか、色々だよ。いきなり来るハルくんが悪いんだよ、もう。ちょっと焦っていつもより変な感じになっちゃった」
ひまりちゃんに責めるようににらまれる。どうやら俺が悪いらしい。でもかわいいが正義のこの世界においてはひまりちゃんの言うことが絶対なので俺が悪いことに違いはない。
前髪を整えるようにくしくし手で触っているひまりちゃんに、俺は言う。
「それはすまんかった。でもひまりちゃんはいつもかわいいから問題ないよ、うん」
「む、ハルくんはいっつも調子いいよね。それを信じてひまりがクラスの男の子に変な風に思われたらどう責任取ってくれるの?」
「いや今のはあくまで俺の個人的感想なので。俺の中で、ひまりちゃんはいつもかわいいってだけの話だから」
「まったくもうハルくんは」
呆れたような表情を浮かべるひまりちゃん。その顔は、どことなくかおりさんに似ている。
「ていうか、かおりさんは?」
「お母さんならまだ寝てるよ」
あの人は……っ! 俺に任せるだけ任せただけですか。
「もしかしてハルくん、お母さんに色々押し付けられたの?」
「あー、まー、そんな感じ?」
正確には弱みを握られて脅されてるんだけど。
「……ふーん、あんなののことなんか、ほっとけばいいのに」
俺に聞こえるか聞こえないかくらいの小さい声で、ひまりちゃんが呟いた。
「……」
…………え? 怖くない? お姉ちゃんでしょ?
お姉ちゃんを『あんなの』呼ばわりは怖いよひまりちゃん。表情もいつも俺に向けてくれる甘々の感じじゃなくて、一瞬めっちゃ冷えてたし。え、こわ。
内心で恐怖していた俺に、ニパッと明るい笑顔を浮かべ直して、ひまりちゃんが言う。やだもうかわいい。ひまりちゃんったらお茶目さん。かわいいだけにさっきの冷えた顔の怖さが倍増。
「まぁいいや、せっかく来てくれたんだもんね。入って入って」
ひまりちゃんが家の中に戻っていくので、俺もそれに続く。「お邪魔しまーす」と言いながら、靴を揃えて上がり込む。
「じゃ、俺は引きこもり姫に会ってくるから」
そう言って、勝手知ったる感じに階段を上がって行こうとする俺の手を、ひまりちゃんが引く。
「ハルくん来て来て、ひまりすっごく上手に目玉焼き焼けるようになったんだよ。ハルくんにも食べて欲しいな♡」
そのままずるずるとリビングに引きずられて行く俺。ちょっと、待って、ひまりちゃん、力強くない?
「ハルくん朝ご飯はもう食べた?」
「いや、食べてない」
今日はしおりと対話をする時間を作るために、朝ご飯を食べずに家を出てきた。朝早く起きるのは無理だった。
「お腹空いてるんじゃない?」
「めっちゃ空いてる」
「じゃあひまりがつくってあげるね」
「うん。……うん?」
そうしてリビングの食卓に座らされた俺の前で、ひまりちゃんがエプロンを付ける。制服の上にエプロン。なにこれかわいすぎる。
「えへへ、どう? ハルくん? これ新しく買ったの」
「最高にかわいい。世界制服エプロン選手権で優勝できるレベル。むしろ世界征服できるレベル」
制服だけにね! ……ねぇ、こんな俺にしおりを任せてホントに大丈夫なんですかかおりさん。
「その例え意味わかんないけどありがとーっ」
褒められてご機嫌のひまりちゃんはくるくる回りながらキッチンの方へ向かう。
「すぐ作るから待っててね」
「じゃあ待ってる間俺はお姫様と」
そう言って立ち上がろうとする俺にひまりちゃんが声をかける。
「そういえばハルくん」
「なに?」
「ハルくんって何か部活入ってたっけ?」
「いや、俺は帰宅部」
ほんとは一年生の時、何かしらの部活に入ろうとしたたんだけど、色々迷ってる内に結局どこにも入らなかった。
「そっかぁ、ひまりは何かの部活やろうと思ってるんだけど、ハルくん何か良い部活知らない?」
「そうだな……。ひまりちゃん中学の時は何やってたんだっけ?」
「美術部だよー」
「ひまりちゃん絵上手いもんね、……ん、……あれ? なんかひまりちゃんって、吹奏楽部に入ってたようなイメージがあるんだけど、しおりと一緒に」
「吹奏楽部は一年生の時にやめちゃったからね」
「あ、なるほど。なんでやめたの?」
「ふふ♡ ハルくん、知りたいの?」
めっちゃいい笑顔でそう言われた。なんかひまりちゃんの笑顔が怖い。とてもかわいいのに、謎の恐怖を感じる。
「し、知りたくないです」
「ねね、それでなんかいい部活知らない? ハルくん」
そんな感じでひまりちゃんと和やかにおしゃべりした。
ひまりちゃんの質問に答えている内に、俺の前に綺麗に焼かれたハムエッグとトーストを乗せた皿が並べられる。
「ハルくんはイチゴジャムでよかったよね」
「うん」
「飲み物は牛乳でいい?」
「うん」
そんな感じで手早く朝食の準備を整えていくひまりちゃん。これは良いお嫁さんになりますね……。俺何もしてないんだけど申し訳なくなってくる。
「はい、じゃあいただきます」
気付けば俺の前には理想の朝食と、手を合わせているひまりちゃんの姿があった。
「いただきます」
そして俺も手を合わせる。合わさざるを得ない。
そしてひまりちゃんお手製のハムエッグを箸でつまんで一口。絶妙な半熟具合。
「どう? ハルくん? 美味しい? 美味しい?」
「めっちゃ美味い。天才的。毎日作って欲しいレベル」
「ほんとーっ? ハルくんだったら毎日来てくれてもいいよ。あ、でも、今日よりは遅い時間に来てよね。ひまりにも色々準備とかあるし」
「女の子の準備は大変ですね」
「大変なんだよ」
うんうんとひまりちゃんが頷いている。大変そうだ。
そんな風にひまりちゃんと楽しく朝食を食べてから、一緒に楽しく登校した。なにこの幸せ。
学校に着いてからスマホがブルッと震えたので画面を見てみると、かおりさんからラインで例の写真が送りつけられていた。無言で。
戦慄した。
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