一話~こんなことになるならパンツなんて被るんじゃなかった。~~


 俺の名前は、河合かわい晴斗はると

 この春、二年生に進学した男子高校生である。十六歳、身長一六八センチ(周りには一七〇センチと申告)、体重五六キロ、彼女無し、帰宅部。ちょっぴり思春期で健気でお茶目な男の子である。庭先にあったパンツをとりあえず被ってみる程度にはノリだけで生きてる。


 そんな俺は今、お隣の相川家にお邪魔して、しおりの部屋の扉とにらめっこしていた。かおりさんが言うに、この先にしおりがいるとのこと。


 子供の頃、この家に遊びに来た時は、よくこの部屋の中で遊んでいた記憶がある。最後に入ったのは小学六年生の時だっけ……?


 「今までハルちゃんには言ってなかったんだけど」という前置きと共に聞かされたかおりさんの話によると、しおりは高一のある時から引きこもっており、ほとんど学校に行っていないらしい。

 家である程度課題をやったり、学校の別室で試験を受けたりなどして、どうにか進級することはできたらしいが、それ以外はほとんど部屋の中にこもり、なぜ引きこもっているのかも話してくれないとのこと。


 恐らく学校で何かがあったのだと思われるが、依然として原因は不明。まさに〝引きこもり〟である。それを聞いて俺は驚いた。というのも、しおりが引きこもりになるのは、これが初めてじゃないからだ。


 しおりは、俺と疎遠になり始めた中学二年生の時にも、部屋にこもって学校へ行っていなかった時期がある。あの時も、しおりがそうなった理由は分からずじまいだった。中学三年生になってからは普通に学校に通い始めてたみたいだけど。


 思えば、俺と彼女の間に生まれた距離のようなものが決定的になったのは、この時からだと思う。

 というか、また引きこもっていたということなら、俺がここの所全くしおりのを見かけなかったのも当然である。なんだ避けられてた訳じゃないのかよ。よかった。


 でも廊下で声掛けようとして無視されたことがあるのは事実だしな……。泣ける。

 とまぁ、そんなこんなで、今日は日曜日。ひまりちゃんは友達と遊びにでかけているらしく、この家に居るのは今、俺とかおりさんとしおり(しおりは観測してないので本当はいないかもしれない。俗に言うシュレディンガーのしおりである)のみである。ちなみにかおりさんの旦那さん、つまりしおりやひまりちゃんのお父さんは、単身赴任でここ数年ほどこの家から離れている(月に一回くらい帰ってきてるみたいだが)。


 しおりの部屋は二階にあり、かおりさんはただ今一階で待機している。

 しおりを部屋から出すまで戻って来るなと言われた。このミッションを達成しなければ、俺は(社会的に)死ぬことになる。まさに絶体絶命である。

 誰か助けて(泣)。


 こんなことになるならパンツなんて被るんじゃなかった。そもそもパンツなんて被るなよ俺。でも俺は悪くない。思春期が悪い。思春期をつくった神が悪い。


 だが過ぎてしまったことは仕方ない。覆水盆に返らずという訳であり、俺が生き残るにはこの部屋の先にいるしおり姫を連れ出すしかないのだ。


 しかし何が悲しくてここ数年顔を合わせてすらいない上に、俺のことを避けてるっぽい引きこもり少女を外に連れ出さなきゃならんのだ。今日はひまりちゃんもいないし、マジで帰りたいんだけど。


 いやだなぁ~、こわいなぁ~と思いながら、俺はそっと扉に耳を当て、中の音を拾おうと試みる。


 ……ふむ、何も音がしないな。ほんとに中に居るのか? 寝てるのかな? 寝てるなら帰ってもいい? え、ダメ? ダメか……。


 諦めた俺は、コンコンと扉をノックしてみる。


 ……。

 …………。

 ………………。


 反応なし。もう一度コンコン♪ココン♪とリズミカルにノックしてみる。


 ……。

 …………。

 ………………。


 反応なし。

 この扉には鍵がかかっていないので、その気になれば中に入ることもできるが、流石に女の子の部屋に勝手に入るのは紳士じゃない。ので、俺はノックし続ける。


 ひたすらノックしている内に、「お母さんうるさい!」という叫び声と共に弾けるような勢いで扉が開いた。


「――ゴっ!?」


 扉の角が俺の鼻先にクリーンヒットし、俺は車に轢かれたカエルみたいな声を口から漏らしながらその場にうずくまる。あかん、社会的に死ぬ前にここで死ぬ。鼻痛すぎて死ぬ。


「……おぉぉぉ…………」


「!??!???!????!?」


 鼻を押さえて床を転がっていると、驚きに目を見開いて、口をパクパクと開閉しながら俺のことを見下ろしているしおりと目があった。


 ここ数年見ない内に、しおりは随分と変わったようだった。


 俺の過去の記憶では、肩のあたりで切りそろえていた黒髪は長く伸び、寝ぐせなのかあちこちにハネまくって背中覆っている。前髪も長く、かろうじてしおりとは分かるものの細かい表情は読めない。


 しおりが着ているのはよれよれのピンクのパジャマで、何だか小学生の時も同じようなものを着ていた気がする。しおりはあの頃からあまり身長が変わってないので、もしかしたら同じパジャマかもしれない。

 でもおっぱいはあの頃と比べて大きくなっていることが、猫背状態でなお、その薄い布地をなぞり主張しているやわらかな曲線から分かった。え、てか、おっぱい大きくない……?


 俺が確認できたのはそれまで。しおりはすぅーっと幽霊のような動きで再び自分の部屋に戻り、扉を閉じてしまった。


「…………」


 しおりのおっぱいが頭から離れなくなった俺は、おかげで鼻の痛みを忘れることに成功。荒れ狂おうとする内なる思春期を鎮めるためにその場に正座して、瞑目する。

 よし、落ち着いた。

 俺は紳士だ。

 紳士紳士紳士紳士紳士紳士紳士紳士紳士紳士。


 俺は冷静に立ち上がると、もう一度ノックする。


「あー、しおりー?」


 コンコン。


「いきなり来て、悪かった。びっくりしたよな」


 コンコンコン。


「実はしおりと話したいことがあって」


 うん、積もる話とかあるよね。昔は色んなことについて語ったよな。あの時みたいにまた話そう。昔の俺って何喋ってたっけ……? おかしいな、うんことちんちんとおっぱい以外に俺が喋ってた話題の記憶がない。


「しおりのこと、忘れられなくて。最近、学校に来てないみたいだから心配でさ」


 正確には忘れられないのは今見たしおりのおっぱいであり、何ならしおりが引きこもっていたことを知ったのはついさっきなのだが、ウソではない。しおりが出て来てくれないと俺のこれからが心配。助けてしおり。俺のためにリア充になってくれ。


「だから、頼むしおり、しおりが顔を見せてくれないと、その、俺が困る。しおりに出てきて欲しい。ここ数年、ほとんど顔を合わせてなかったけどさ、またしおりと昔みたいに、仲良くできない、かな……」


 とりあえず思い付く言葉を並べて中にいるしおりに呼びかけていると、中から身じろぎを匂わせるような衣擦れの物音がした。


 これはあともう少しか? いけるぞ俺! この調子だ。


「しおりには、幸せになって欲しいんだ」


 ここで『リア充』という言葉を使うのは何かおかしい気がしたので『幸せ』という言葉をチョイスしてみた。

 でも、なんか妙に気持ち悪い台詞になってしまった。いや俺キモ! まぁ意味的には『リア充』も『幸せ』もあんまり変わらないし、いいよね。いいよね……? 

 

 いいのか?


 うーん、これでしおりに引かれたどうしよう。ただでさえ避けられてるのに、嫌われたらこのミッションを達成するのが厳しくなってしまう上に純粋に俺の心が死ぬ。それはいけない! 俺は慌てて言葉を付け加える。


「そのために! 俺にできることなら何でもするから! しおりの幸せのために協力するから!」


 その瞬間、まだ爆発したみたいな勢いで扉が開く。だが俺は経験に学ぶ賢い男なので、首を後ろに逸らせて華麗にそれを回避する。……回避したんだけど、扉の角がギリギリの所で俺の鼻先を掠めていった。これ回避してねえな。摩擦の力が発動して鼻が燃えるように痛熱い。


「……ぉぉぉぉ」


 立ったまま鼻を押さえて涙目の俺。目の前にしおりの姿があった。

 さっきとは違い、パジャマの上にぶかぶかのジャージを羽織っている。お陰でさっきよりはおっぱいの主張が少ないが、それでも十分に刺激的である。やばい視線が吸い寄せられる。内なる男子高校生と思春期が肩を組んで暴れている。やめろ静まれ。


「……っ……と?」


「え?」


 何か、蚊の鳴くような声が聞こえた気がする。

 視線を下ろすと、耳を真っ赤にしたまま俯いているしおりが、何か言っているようだった。


「ごめん、聞こえなかった」


「……とに、……に……の?」


「…………」


 やばい、マジで何言ってるのか聞こえない。うつむいたまま俺と視線も合わせてくれないし、これでコミュニケーションを取るのは無理がある。それなのに、よく見ると、しおりの手の先が小さく俺の服の裾を掴んでいた。……それは、どういう意思表示だ?


 考えろ、考えろ俺。昔は毎日のように一緒に遊んでいた相手じゃないか。この俺にかかれば、しおりの言わんとしていることなんて、ちょっと考えれば分かる。

 俺は、俺の服の裾をつまんだままプルプルと震えているしおりを見下ろし、見つめる。


「…………」


「…………」


 うーん、分かりませんね。それが分かったら苦労しないんすわ。


「すまん、もう一回だけ、言ってもらっていいか?」


 すると、しおりは少しだけ顔を上げた。長い前髪の隙間から、今にも泣きそうなほど潤んだ瞳が覗く。ごめんね? 俺の耳が悪くてごめんね? でも君も、もうちょっと大きな声でしゃべって(泣)。


「ほ、ほん……に、……しの、……に、…………の?」


「…………」


 ………………。

 ……。


「…………」


「………………」


 ダメだ分からん。


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