砂漠に眠る都
砂に沈んだ、呪われた都。
「もちろん」
知っている。だって王は、その滅びた都を目指して行ったのだから。
「かつて砂漠の只中には、水辺の都が存在していたそうです。領主は豊かな水源と緑地を押さえていて、その資源をもって富を成し、民を統治していたと」
「道理だな」
水のある所に文明は生まれる。人が集まれば、上に立つ者が生まれる。単純な理だ。
「ある時代、数百年は遡ると言います。その頃権威をふるった領主は、豊かな恵みを独り占めにしたそうです。民に十分は分け与えず、少ない糧を情けで恵んでやるような顔をして、人々を支配した」
「腐ってるわよね」
懸命に語る少年をよそに、あっさりと切り捨てた少女におおむね同意する。妹の振る舞いに辟易した様子の少年の手前、口にはしなかったが。
「そんな領主の横暴に、天がお怒りになったのか。ある時、一夜にして泉の水は尽きた。緑は枯れ、砂嵐は起こり地は沈み。朝日が昇る頃には、都は砂に飲み込まれて地上から消え去っていた」
「一夜にして都市は滅んだ、と」
少年は神妙な顔をして頷く。
本当に一晩で都が滅亡したのかはわからない。水や草木が枯れ果てたのだって。
けれど現在、砂漠に泉も緑地も存在しないのは確かなようだし、かつては都市文明が築かれていたのも記録には残っている。
「天の鉄槌が、本当に下ったのかはわかりません。けれど滅亡した都があったのは間違いないんです」
だから王は、この何もない地まで遥々やってきたのだ。砂の下に眠る滅んだ都の、財宝が埋まっていると信じて。
「都ひとつが滅んだというなら、領主の、そこに暮らしていた人たちの、恨みはさぞ深かろうと思いませんか」
「それは、そうだろうな」
「砂漠に進行していった王様たちは、滅んだ都の財宝を探しあててやるのだと息まいておりました。僕はそんなことは、罰当たりだと思うんです」
「正しいな、坊主は。それに賢い」
お世辞でなくそう思う。正しくて、王者になれる性分ではないだろう。
「旦那様は、王様を追いかけてきたということでしたよね。王様たちが呪われてしまうのを、見過ごせないんじゃないですか」
あまりにも心根の真っすぐな問いに、男が答えることはできない。
人のものを奪い取るのが得意な王だ。略奪した物資や宝物が国庫を潤していることだって知っているから、蔑みはしない。墓荒らしのようなやり方だとしても、日の目を見ず埋まり続けているだけの財宝なら、その価値がないも同然。
死者の眠りを乱暴に叩き起こし、それこそ呪いでも浴びようという覚悟ならば、存分に宝を掘り起こせばいい。
「さあて、そろそろ出発したいな。駱駝はいくらだ」
話を切り上げるようにして、声を張る。
よく言えば愛嬌のある、悪く言えば珍妙な駱駝の顔。駱駝に美しさなど求めていない。足腰が強くて、灼熱に耐えられればそれで良かろう。
「ビタ一文だって、まけないわよ」
少女は手をかざして、指を立てた数で銅貨の枚数を示した。
「はいよ」
小袋に分けたものを手渡してやる。少年は駱駝を座らせて、鞍の準備を始めた。
「……あれ。ねえ、枚数が少ないじゃない」
小袋をのぞき込んだ少女が声を上げる。
「ちょっと! 勘定をごまかそうっていうんなら、ただじゃ……」
おかない、と言いかけたであろう少女は、小袋から手のひらに取り出した硬貨を確認して言葉を飲み込んだ。
「……銀貨」
「銀貨で払えないわけじゃ、ないだろう?」
「そりゃ、価格が同等なら……」
銅貨より銀貨の方が一枚の価格が高額だから、枚数が少なくても釣り合う。少女は指折り数えた。
「金貨の方がよかったか?」
「……ちょっと待ってよ。これ、多すぎじゃなっ、い、ですか!」
ここに来て、言葉を取り繕うとした少女がおかしかった。見くびっていたわけでもないのだろうが、素直で可愛らしいものだ。
「いけません、旦那様。余剰はお返しいたします」
少女が紅を返そうとしたときのように、少年も銀貨を男の手に渡そうとする。
「良いんだ、紅はもらってくれなかったしな」
銀器に詰まった紅が収まった懐を叩く。
「王子様は気前がいいんだよ」
「……本当に、王子様?」
少女のつぶやきには答えずに。男は駱駝を共に、呪われた砂漠へ向かうのだった。
真昼の暴君であった太陽は身を隠し、代わって空には、夜の女王のごとし満月が昇っていた。
昼の容赦ない暑さは嘘のように、夜の空気は体の熱を奪っていくくらいに冷たい。砂漠地帯の寒暖差が激しいということを、今身をもって知るのだった。
「しかし月ってのは、こんなに明るいもんなんだな」
足元に濃く落ちる、己と駱駝の影。遮るものの何もない砂漠で、月明かりが広くあたりを照らすからだ。こんなにも眩い月の光を見られることなど、日常ではない。
月光も霧散させるほど明るいのだ、一晩中明かりを絶やさない王城は。
男は王城で生まれ育った。駱駝売りの兄妹がどこまで信じたかはわからないが、正真正銘、国王の子である。
王城から眺める城下も、商いの賑わいを反映するように夜遅くまで明るかった。
父の国は力がある。武力、土地。発展する商業、たくましく日々を生きる民。
悪い国ではない。悪い王ではない。名君と呼ばれる日も近いかもしれない。
「……休むか」
男は駱駝をなだめて座らせると、荷物は降ろさないで必要なものだけを取り出した。
火を起こし、簡単な食事を摂る。パンと
そのまま寝そべったら、砂の柔らかな感触が背中を包んだ。旅路に疲れた体を受け止めてくれるようで、悪くない。
懐から紅を取り出す。夜空の月と並べてみたら、銀色の容器は満月によく似ていた。
この中に詰まった艶やかな赤が、母親の唇を美しく彩っていただろうか。あまり記憶には、ない。
それに思い出す母親の顔は精彩を欠いていて、真っ赤な紅など似合うような気がしなかった。
火の始末をして、寝支度に入る。改めて毛織物を敷いた砂の上に寝転び直した。冷たい空気を遮断できるまで毛織物を被って、目を閉じる。冷たい月の光は、瞼を突き抜けるほど強くなく、慎み深いけれど。
明るいところは、得意ではない。
明かりを絶やさない王城の、薄暗がりの中で生きてきた王子は、そんなことを思いながら眠りについた。
これは迷子になったのだろうか。
朝は日の上る位置と、昼には羅針盤を頼りに進んだ。日が落ちてからは夜空に瞬く星の座標を確認して、翌日進む方向を定める。
男は武術を磨くには不向きな人間だという自覚があったので、知性を磨くことには貪欲だった。王城は豊富な書物と、学を極めた賢人が幾人もいた。それらを活用するにはうまく立ち回らなければならなかったが、もたらされる知識という財産を蓄えていった。
けれど書物と聴講だけで世界を知るには、限界があったのだろうか。
砂漠に入って七日目、道を失った。
砂漠にもともと道などない。砂漠都市が存在したという記録からおおよその場所を読み解いて、その場所を目指す。
途中、大掛かりな野営が行われていたのだろうと思わせる跡を、いくつか見つけた。規模からいって王の隊が遺したものと思われて、男は自分が確実に王の後を追って来ていると確信できた。
ところがここに来て、野営の跡を一切見なくなったのだ。
大規模な軍隊を引き連れているはずの、王の痕跡がまるで見当たらない。
方角を誤ったのかと考える。荷物の中から書き物の道具を引っ張り出して、天体や影の落ちる方角など、あらゆるものを記録した。記録をもとにいくつかの進路を探って、進んでは戻りを繰り返す。
進むべき方向を間違えたのは自分なのか、それとも王一行なのか。考えても解らない。進軍の跡を見失って三日、進路に加えて水と食料の計算にまで頭を使うことに疲れ果て、いよいよ途方に暮れる。
とるべき道は二つ、進むか、戻るか。
今ならまだ、戻ることはできる。
戻る場所が王城なのか、あの場所はもう捨ててしまって、別の地を探すのかはわからないが。どちらにせよ生きて文明社会に戻るなら、今が最後の機会だ。
愚かな父とその一行が、どこかで乾き死んでいるのなら、それはそれで。
照り付ける容赦ない太陽の熱が、思考を奪っていく。まるで暑さに血液が沸騰でもしたかのように、身の内でざわざわと水分が煮える音がした。とりわけ耳元で、大きくざあざあと。
「な……」
男は愕然と頭上を見上げた。
周囲の砂が、壁のようにそそり立っている。
(砂嵐!)
咄嗟に思った。道しるべのない砂漠の地で、視界を塞ぎ、光すら奪っていく恐るべき現象。風に巻き上げられた砂が、すべてを飲み込もうと荒れ狂う。
ざざざざと音を立てながら男を囲む砂の壁は、まるで意思を持つようだ。暴れる高波のようであり、すべてを焼きつくさんとする炎のようでもあった。
書物に描かれた図説と比べると、なにかが砂嵐とは違う気がした。けれど絵は、しょせん絵だ。そして今まさに砂に飲み込まれようという時には、書物の知識は全く役に立たない。
分厚い砂の壁の向こうで、駱駝のいななく声が聞こえた。
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