砂漠の欲と罪食いの紅

いいの すけこ

呪われた砂漠と魔除けの赤

 その地は、神に見捨てられたのだという。

 見渡す限り砂の海。頭上から白く降り注ぐ太陽の光は、砂に覆われた地を炙った。呼吸をすれば喉まで焼かれるようで、男は頭から首にかけて巻いた布を引き上げ、口を覆う。

 地を覆い尽くす金色の砂粒が、黄金ならばありがたいのに。

 欲深いことを夢想して、男は覆い布の下で笑った。

 枯れ果てた砂の地は、富などもたらさない。

 与えはしないし、奪いさえする。水も緑も、人間の営みも。生けるものの命も。

 神に見捨てられたどころか、呪われた地だ。


 そんな死の砂漠を、なにゆえ男はひとり彷徨うのかといえば。

 この虚無の地に欲を抱いて、進軍した国王を探してのことである。

 欲の深さゆえに王者たる、我が国の王。

 武力をもって近隣領地を制圧し、支配下に置いた王だ。土地も宝物ほうもつも、人間をも力ずくで手中に収めてきた王は、己が望んだものはなんでも手に入れられると思っている。

 人々が、神の加護を失ったと恐れる砂の地にさえ欲を出し、宝を手に入れられると軍を引き連れて行ったのだ。

 その連れの中には自ら滅ぼした国の者も、奴隷として従える者もいるはずだ。いつか反旗を翻されるだろうと、男は思う。だが、それさえ承知の上で己の望みのままに振る舞う王の傲慢さは、国を率いる上では絶大な力になるのかもしれない。


 けれど駱駝の背に揺られながら思う。

 この慈悲の欠片もない砂漠の地で、強者などいない。

 ただひとり、駱駝だけを共に進む自分はもちろん。権力と富を恣にしている王でさえ、この地では無力なのかもしれない。

 そう思うことは、内心ひどく愉快だった。

 駱駝の背は高い。王がすべての配下に駱駝を与えたとは思えないし、徒歩で随従する者も多かったはずだ。焼けた砂に足を取られる者たちを高みから眺めるのは、さぞや気持ちのいいことだろう。

 それでも、砂漠の支配者にはなりえない。あるのは砂ばかり、振りかざす相手がいないのならば、権力など意味をなさないのだから。

 王の支配が及ぶのは、人の生活が根付くぎりぎりの町まで。そこを離れれば、あとは草すらろくに根付かない砂の世界だ。

 今、騎乗している駱駝も最後の町で買った。

 十代も始めの頃と思しき少年と少女が、市場に連れてきていた駱駝だ。





「砂漠へ行っても、何もありませんよ」

 物見遊山というわけでもないでしょうに、と少年は言った。

「砂漠を通過しなくても、いくらでも土地を移れます。目的なく入る場所ではありません」

 やんわりと、砂漠へ向かうことを引き留めるような物言い。砂漠に適した駱駝を売るのならば、見過ごしてしまえばいいのに。隊商の往来も頻繁な町で、いくらでも駱駝を売るあてはあるからこそ、男との商談にこだわらないのかもしれないが。真面目な少年で、感心なことだ。

「目的はある」

「どのような?」

「先に砂漠に入った者たちを追っている」

 乾いたまつげをぱさぱさと揺らしながら、少年は瞬く。

「あら、じゃあなあに。お兄さんも王様の関係者ってこと」

 駱駝に水を与えていた少女が顔を上げる。

「最近、砂漠に入っていった人たちと言えば、王様の軍くらいよ」

 お客様に失礼だよ、と慌てる少年を無視して、少女は続けた。

「お兄さんは、はぐれた歩兵ってところかしら」

 遠慮のない少女の言い分に、男は笑んだ。不快になるよりも、むしろ愉快だったので。

「はずれだ。俺は兵士じゃない」

「じゃあ単純に、下男かなにか。王様だもの、戦の遠征でも物見遊山でも、身の回りの世話をする人は連れてるだろうから」

「正解がずいぶん遠くなったな」

 男は胸を張り、親指で自身を指し示しながら言った。

「俺は国王が血を分けた子、つまり王子様ってことだ」

 堂々と名乗れば、二人の子どもはぽかんと口を開け。


「いやだ、そんなわけないじゃない」

 少女の方は、たまらずと言った具合に笑い出した。

「嘘だと思うか」

「だって王子様が一人でこんなところを、ほっつき歩いているわけないじゃない。はぐれてしまったって言い訳もなしよ。周りが放っておくはずないんだから」

 少女は値踏みをするように、男を眺めまわした。

「そうね。風よけを巻いているせいで目立たないけれど、身なりは悪くないのかしら。でも王様の配下だとしたら、下男だとしてもそれなりに良い衣服を与えられるものかもね」

 男の腰のあたりまでを覆う風よけを、少女は摘まんでわずかにめくる。

「すみません、旦那様!」

 少年が少女の腕を、横からひっつかんだ。

「もう、失礼なのも大概にしろよ。生意気なんだから」

「私がこんな性格なのは、兄さんが頼りないからよ。兄さんひとりだったら、とっくに騙されて丸損するか、悪ければ身ぐるみはがされてるわ」

「しっかりしたお嬢ちゃんだ」

 声を上げて笑えば少年は恐縮しきりで、少女は満足げにふんぞり返った。

「駱駝はお望み通り、お売りいたしますわ。お、う、じ、さ、ま」

 わざとらしく王子様と呼びかけた少女に、少年は額を抑える。彼の気苦労を思えば気の毒だが、男は口の達者な少女の振る舞いに気をよくした。


「お嬢ちゃん、王子様は気分がいい。これをやろう」

 男は握り拳を少女の前に差し出す。開くとそこには、小さくて平たい円柱状のものがあった。銀色のそれに反射した太陽がまぶしかったのか、少女は目を細めた。

「なあに、これ。すず? 凝った細工ね、綺麗」

 表面には絡み合った蔦と、花の模様が彫り込まれている。縁をつまんで力を加えると、円柱は上下で二つに割れた。小さな容器であったその中には、目にも鮮やかな赤色が詰まっている。

「口紅」

「お嬢ちゃん、唇が割れてるな。こんなからっからのところに住んでたんじゃ、そりゃ唇も干からびるだろうに。紅でも塗って、保護しておくといい」

「そうね……とっても綺麗で、素敵だと思うけれど」

 少女は頬を緩める。ずっと勝気だった少女の、年頃の娘らしい表情。

「でも、口紅なら何でもいいってわけでもないのよ。確かにお兄さんの言う通り、乾きから守ってくれるものもあるみたいだけど。逆に唇が荒れてしまう口紅もあるから、どんなものが入ってるかわからないし、やめておくわ」

 少女は伸ばしかけた指先を、すっと引いた。

 糸色で華やかな刺繡を施した少女の頭巾は、銀色の容器に施された花模様と同様に美しいと思う。

「じゃあ、良い男でも捕まえたら、その時に使いな。嬢ちゃん、いい女になるよ」

「……そんな風に、あちこちで女をひっかけていらっしゃいますの? 王子様」

 呆れの滲んだ口ぶりで、少女は問う。

「口紅は、女の興味を引くためのものかしら」

「そいつは心外。この紅は母親の遺したものだ」

 手の中で、外側の容器よりも輝いて見える紅色。価値があるのは、銀色に光る入れ物か、少量ずつしか作れない紅そのものか。それとも母の思い出という、形のないものか。

「やだ、そんなもの他人に簡単にあげようとしないでよ。やっぱりもらえないわ。大切にしなさいよ」

 少女は力ずくで男に紅の容器を握らせた。かさかさとした手が、男の手を包む。男は革の手袋をしていたから感触ではわからなかったが、見ただけでよく働く手なのだとわかった。


「いらんのか? 紅は、魔除けになるぞ」

「そうなの?」

「赤い色は魔除けになるから、唇に塗って口から悪いものが入ってくるのを防いでくれるらしい」

 人差し指の先で唇をなぞる。顔に張り付いた砂が、手袋を汚した。

「だったらなおのこと、旦那様が持っていた方がいいんじゃないでしょうか」

 真剣な顔をして、少年が言う。

「この砂漠は、呪われた場所です。ご存じですか、砂に飲み込まれて滅んだ都のことを」

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