六 鋏の話───無刃

 一週間前──

 妖狐の話

「……つじの辺りだったんですけどね。あの、冬月堂とうつきどうさんの近くの。ええ……初めは何だろうと思いましてね、ソレが何なのかよく分からなかったんですよ……。だから近寄って見てみようとしまして、そうしたら、もういきなり……。ほんとう危なかったですわ。嫌ですわね、あれ……」



 三日前──

 お寺の精霊達の話

『あのねあのね、こっちにもあったんだよ! ──ううん、中だよ中! シキチナイ!』

『あぶないからね、おそとにぺーってしようとしたらね、きゅうにうごいたの!』

『キキイッパツ、てやつでしたな、あれは……』



 昨日──

 猫又の話

「あれは危険にゃん。動いたものに反応するのかにゃん? 吾輩もこの立派な尻尾をちょん切られるところだったにゃ。これは早急に封印でもにゃんでもしにゃいと被害が出るにゃん、しとせ屋でどうにかできないかにゃん?」




 朝──春依はるいは店舗に出て直ぐ、店の戸がトントンと叩かれたことに気付いた。

「はい」

 急いで向かい、戸が叩かれたにしてはそのお客様の姿の影も見えないなと思いながらも、普段通り開けた。


 ──ズボッ! と下から白い手が出てきた。


「うわぁ!」


 とび上がるように叫んだ春依は、ドッドッと暴れる心臓をおさえつけながら戸に手をついて、深呼吸をする。

「……びっくりした、〝白法師しらほうし〟さんか……」

 地面から生えた白い手首は、ゆるりと何かを指差すような形をとった。

『もし……』

 どこか虚ろな、低い男の声。

 本来、決まった形はない。白いもやのような存在。

 影法師ならぬ白法師。

 こちら側がそう呼んでいる名だ。

『はなし…きいた… れいの… … とってきた…』

「──えっ」

 驚いていると、ズボッ、ズボッ、ズボッ! と更に三つの手が出てきた。……なんか凄い光景だったけど。

 三つの手には、アレと思しきものが握られていた。

 ……実物を見るのは初めてだな。

『あらわれたのを…つかまえた… ねんのため…ふういんしてある…』

有難ありがとう、白法師さん。助かったよ。今度またお礼──」

『いい… もうされてある…』

 すっと下に消えてしまった。

 地面から出てきて戻っていったけれども、彼(?)らは何処にでもいる。

 だから、何処からでも現れる存在なのだ。

 ……さて。

 自分の手に残ったものを見つめて。

「これをどうにかしましょうかね」



 それは、とかく断ち切ろうとしてくるモノ、の噂だった。

 しとせ屋で初めて聞いたのが一週間前。それからというもの、来店するお客皆が口を揃えて言うのだ──。

 そういったモノの回収も、しとせ屋の仕事である。……あるのだが、いかんせん春依達は出まわることができないので、回収するにもどうしたものかと困っていたのだが……本日、白法師さんのお陰で解決となった。

 そして、まだまだすることがある。

「──これか、例の物騒な〝鋏〟ってのは」

 閉め切った店舗内。腕を組んだ暁生あかつきが、テーブルの上を睨んで言った。

「これまた想像と随分違ったな……」

「うん、俺も受け取った時明らかに危ないやつだなって……」

 鋏──とはいえ、文房具のハサミとあなどるなかれ。

 鎌二つをひとつにくっつけたような、といった感じだろうか。

 ジグザグと奇怪に折れたみどりの刃には、まるで引っ掻き傷の如く無数の黒い紋様が浮かんでいる。

 全体において刀身──そう言っても間違いではないだろう。これは凶器だ。

 ……妖狐のお客が「初めは何なのかよく分からなかった」と言ったのが深く頷ける。

「えっと……詳細にはどんなものだっけ……?」

 春依が顔を向けた先。記録帳をめくっていた透雨とあは、

「一応鋏の分類みたい。……名を〈無刃むじん〉。字の通り『無にする刃』で、あやかしや人など何でも構わず斬る──また斬ろうとするモノ。斬られたら存在ごと消えてしまって、たとえば人の場合周囲の認識・記憶からも無くなってしまう。ほぼ何処にでも現れる、と」

「「……想定外に物騒過ぎる」」

 テーブルから離れる春依と暁生だった。

「斬られたらどうなるか書いてあるってことは、既に斬られたものがあるってことだよね? しかも人も!?」

「こんなもんを生み出したヤツはめちゃくちゃ反省した方が良いな……!」

 ──噂によるとそんなものが道端などに転がって待ち構えているらしいのだ。

 そりゃあ危ないわ……と溜息をく三人。

「これは慎重にらないと……」

「……今回の場合、どうする?」

 透雨が暁生を見る。

「何でもかんでも斬ろうとしてくるようじゃ、俺の能力ちからを使うしかないだろうな……」

 回収したモノは通常、封印して眠りにつかせるか、そのままの状態で、一時保管になる。

 個々の持つ特殊な力が他のことへ利用できる場合もあるからだ。

 しかし、この〝鋏〟は……

「使えれば、邪気を切るのに役立つだろうな。……でも使おうとするのにこっちの方まで向かってこられたんじゃかなわねぇし。てことはうちで収蔵しとく意味もなくなるから、」

「暁生の『断つ』能力で使しかない、……てことか」

 それは、モノの『死』を意味する。ガラクタも同然の。

「流石に野放しにはできないからなぁ……。やばい斬れ具合と自ら動いて神出鬼没なのが問題か」

「此処でどうにかするしかないよね……」

 春依と透雨は顔を見合わせる。その間に、

「まあとにかく、俺がさくっと終わらせちまえばいい訳だな。まずは白法師の封印を──」

 紐で縛るみたいに、今は両刃が閉じた状態の〈無刃〉の中央にある白い靄の円。白法師の施してくれたこの封印がなければ、今頃こちらも危ない。

 暁生がそれに手をかけていた。

「ええっ!?」

「だめだって!」

 すかさず透雨、春依が声を上げる。叫びに近かった。

「さっき慎重にって言ったばかりだろ、ほどいた途端斬りかかってくるってあれほど危険性──この、バカっ」

「バカってお前……」

 むっと睨んでくる暁生だが、こちらは全体的に真っ当な内容しか言っていない。

「封印したままじゃ難しいぞ、能力ちからの効力が……」

「分かってるよ。でもとにかく危ないだろ。──だから、三人いるんだからさ」

 春依は二人の顔を見遣みやって、

「俺と透雨で押さえてるから、その間に暁生が断って。一応鋏の分類ってことは、開いた刃先の側にいなければ大丈夫、だろ。……多分」

「……成る程……」

 二人がゆっくりと顔を見合った。


 ──まるで呪具のろいもののように。

 斬ったものの怨念が取り憑いているかのように。

 その〝鋏〟には濃いけがれがわだかまっていた。

 どす黒いといってもいい。

 これは穢れに憑かれているのではなく、この〝鋏〟の内から発せられているものだ。

「……段取りとしてはこうだ。最初からお前らが押さえつけておき、そのまま俺が封印を解いて、〝鋏〟の穢れを取る要領で〝魂〟も断つ。だな?」

 確認する暁生と、それぞれこくりと頷き返す春依、透雨。

 場は、非常に緊張に満ちていた。

 なにせ頼りが先程の春依の発言「鋏なのだから刃先側にいなければ多分大丈夫」 と、

 記録帳に載っている刃先の開いた〈無刃〉の絵図と、

「暁生……本当に素手で大丈夫?」

 透雨が彼の手元や顔に不安げな眼差しを送る。

「〝それ〟越しじゃ能力も役立たないかもしれないからな……。一発でやらねぇと俺達 みんな危ねえし」

「これからって時に言わないでほしいんだけど」

 心配げな眼差しの透雨と細目をぶつける春依の手元──

 奥から持ってきたソレ。

 ──モノの名を、〈極闇幕まくおろし〉。一見は、大きな黒い布であるが。

 一部切り取ってできたというその〝布〟は、さらつやの複雑な手触りでとても薄いくせ、一切のものを通さない。全てを包み込む闇のように。

 ものすごく簡単に言ってしまうと、めちゃくちゃ頑丈な〝布〟なのだ。

 ……念には念を。春依と透雨はソレを手に〝鋏〟の端を掴んでいた。

 ……いやほとんど賭けじゃん……。

 握りの部分にしたって、通常の鋏とは違って持ち手がある訳でもない。何度も絵図を確かめたけれど、「多分、こっちが刃先じゃない、はず」の所を持っているのだ。怖い。

 一方、誰よりも無謀に素手で挑もうというのが暁生である。既にその手は白法師の封印と、刃に。

 封印を解いた途端動きだすだろう──そうなってから触れて能力を使うのは無理がある、予め触れておく、という暁生なりの対策らしい。

「……今一度言うけど、ヤバいと思ったら合図出してくれ、暁生。とりあえず奥に逃げよう」

 ちらと、奥にかかる暖簾のれんへ視線を投げる。「了解」 と暁生は軽く応えた。

「……じゃ、いくぞ」

 暁生の右手が触れていた封印が、能力により、少しの間をおいて消える。

 フッ──と呆気なく。

 直後、グワッと〝鋏〟から圧のようなものが発せられた。

 それに怯む余裕もなく、更に暴れだす。

「──く、」

「う……っ!」

 ……想定以上の力強さ!

 封印が解かれる前から力を込めて押さえつけていたが、尋常じゃない暴れに今にもこちらの腕ごともっていかれそうだ。全体重かけようにも、もう遅い。

 ガタゴトとテーブルごと大きく揺れる。──刃先が開いても動きさえしなければ問題はない、はずだ。「くいしばれ!」と暁生も加勢しているのだが──その時だった。

 ガターン! と跳ねたテーブルですり抜けるようにして、〝鋏〟が三人の手の下から飛び出た。

 飛び出てしまった。

「ギャーーーッ!!」

 ほら言わんこっちゃない! やっぱりこうなった!

 宙に浮いた〝鋏〟が──ていうか浮けるのか──獲物を見定めるようにギラッと刃を開く。

 ア、アイツ完全に人狙いだ……!

「とと、透雨こっちに……!」

 恐れていた事態に声も出ない様子の彼女と、急いで奥へ駆け込もうとするが。

 傍らの暁生からイラッと立ち昇る気配を感じ取った。

 いやもう、プッチーンと音で明確に分かるぐらいである。

 ──さて、数々の場面から察せられる通り、暁生は短気だ。

 と思っているうちに彼は動いていた。

 壁際にあった箒を、〝鋏〟めがけぶん投げていた。

〝鋏〟は避けもせず──ズパッ! と箒を真っ二つにしてしまった。

 持ち手の方と毛先の方とで分かれるのではなく、である。そして箒は消えてしまった。

 !!? 箒が消えてしまった──!!

 ……思い出す……この〝鋏〟に斬られれば存在ごと消えてしまって……

「ひぃぃぃ──!」

 斬れ味に驚いている場合ではなかった!

 しかし、暁生は武器としての箒をそこまでアテにしてなかったようで、

 箒の末路を見ることなく、春依が放りだしていた〈極闇幕〉、今度はそれを投げつける。

 すかさず飛んだソレに、〝鋏〟の動きが僅かに鈍る。

 そこをむんずと布越しに鷲掴み、引きりおろすようにして、足下に押しつける──いやほとんど叩きつけてたけれど、そこを更に片足で押さえつけた暁生。

 足って……。

 思わず〝鋏〟ではなく暁生を凝視している間に、彼はすぐさま能力を発動させたらしい。

 ブワッと〝鋏〟の持つ穢れが立ち昇った。これほど大量の穢れを見るのは久し振りだ。

 それは、次々に消滅していく。断たれていく。

 そして、一際強く能力を込めたのだろう。〈無刃〉の〝魂〟まで届く能力を。

 ──手応えは、あったのかどうか、暁生でないと分からないけれど。

 それでも、春依も、透雨もきっと、視えた。

〝鋏〟にある光円──魂が消えたのを。

 同時、一切の穢れが無くなった。

 ……気が付くと、〝鋏〟はぴくりとも動いていなかった。

 静けさが戻ってきていた。ややぎこちない沈黙。

「……やった?」

 壁際にへばりつく春依が声を掛けると、不気味なオブジェのように鎮座するソレを見下ろして、暁生が深い息を落とした。

「おう」

 彼が手を放して、ようやく、春依達は詰めていた息を吐いた。

「……お疲れ。悪い、押さえるの数分しかもたなかった……」

「そっちもな。べつに気にしてねえよ、あの斬れ味じゃ複数人で挑むのもまずいし」

 縦に斬っただけでなく消えてしまったのまで思い出していると、

「あ、暁生、本当に大丈夫? 手切っちゃったりしてない?」

 慌てて駆け寄ってきた透雨。顔面蒼白だった彼女の肩には、〈極闇幕〉が。どうやらソレを頭から被って(あっ、その手があったか)、しゃがみ込んでいたらしい。

 ひらひら手を振る暁生は、

「おう、全然。こっちもな」

 使った〈極闇幕〉にも傷ひとつないようだ。……いや、本当に凄い、これ。

「……でも急に荒業に出るから、こっちは肝をつぶしたよ……。イラッとしてなかったか?」

「マジでイラッとしたからだ。手こずらせやがって……」

 苛々が再燃してきている……。春依は、そろりそろりと、〝鋏〟に近寄った。

 これは鋏の分類で良いのか……というか、……いきなり動きだしそうで怖い。

 まあ、そんな筈は、ないけれど。

 もうこの〝鋏〟は、〈無刃〉としての特性を持たない。あやかしや人の存在を無くすことはできない。

 どころか、普通の鋏として物を切ることもできないだろう。無論、意思も無い。

 魂を『断つ』というのはそういうことなのだ。

「──とまあ、コレいつもの危険物用の収蔵場所で良いか?」

 ひょいと、本当に軽々しく暁生が〝鋏〟を持ち上げる。もう大丈夫だとはいえ、不安になる持ち方だ。

 魂を断った場合でも、しとせ屋で保管するのに変わりない。

「閉じてても大きいから場所取るな……」

「もう動かないって分かってても、ちょっと置いとくの怖いよね……。もし何かあったら、今度は『夜な夜な動く』って噂が立ちそうだし……」

 透雨の言葉に、思わず無言になって、視線を逸らす春依と暁生だった。

 ますますお客は遠のくでしょうな、と春依は口には出さず、胸の中で呟いた。



 ……まったくどうなることかと思ったが……。

 悪いモノの回収は、本当に大変なのだ。



 後日。

「別の資料によると、あの〝鋏〟、両刃でじゃきんと斬るだけじゃなくて、全体的に触れて切れちゃっただけでも効果を発揮したみたい……」

「……」「……」




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