四 人形の話───四季揺籃

 まだ、夜も深い時間だった。

 透雨とあは、いつものように自室で眠っていた。暁生あかつき春依はるいもそれぞれ別の部屋で、しん、と静かな夜だった。

 目を閉じているのに──そばに誰かが立ったのが分かった。

 障子戸の向こう、部屋の外だ。外からじっとこちらを見ている。

 その影は、子どものように思えた。

 ──ふっと、目を開けた。

 布団からゆっくりと身を起こす。見回すも、常夜灯にぼんやり照らされた室内には何かしらの変化はない。誰かがいたであろう障子戸の辺りも。

 確かに、自分以外の姿などあろう筈もなかったが。

 奇妙な夢だった。気配を、ありありと感じる程の。

 透雨は、そのまま布団をぬけ出した。

 そうっと障子を引き、廊下へと歩む。

 全く光の気のない暗闇が満ちて、静まり返っている。兄達が起きた様子もない。どころか、此処には透雨を含め三人だけなので、子どもの姿がある筈もない……。

 兄達のいる方を見つめた透雨は、反対側へと振り返った。


 ──そこに、小さな女の子が立っていた。


 ハッと見返す。彼女はじっと透雨を見ていた。

 ……いつの間に?

 艶やかで、肩に届く長さに切り揃えられた黒髪と。紅葉をあしらった着物をドレス風にアレンジされた衣服。透雨を見上げるまるく大きな瞳を縁取るまつげは長い。

 綺麗な子だ。不思議と、怖くは感じなかった。

『はぐれちゃったの』

「……え?」

 鈴が鳴るような透き通った声が聞こえた。

 それは、今目の前で発せられているというより、この空間から響くようだった。彼女の薄桃色の唇は微動だにしない。

『たいせつなこ。……いつもいっしょにいたのに、はなればなれになっちゃったの』

「……」

 そのうち、気が付いた。

 一切の瞬きの無い彼女は──人形だった。

 彼女は確かに、透雨をいた。何かを切々と伝えるような眼差し。

 そして、こう

『おねがい。どうか、みつけて?』

 その言葉を最後に。見る間に彼女の姿は消えてしまった。



 ──


「……今のは…………」




「──それで、此処か」

 暁生の言葉に、「うん」 と透雨は頷いた。

 翌朝になって。三人は揃って物置部屋にいた。

 店舗とは暖簾のれんを隔てた奥、お客様からは見えない位置にある部屋だ。透雨にとってはよく出入りする所でもある。

 春依が振り返って、

「その、女の子ってさ、〝あっち側の〟だよね。透雨は何だか予測ついてる?」

「んん……多分だけど、〈四季揺籃シキヨウラン〉シリーズの子じゃないのかなって……。昔にうちに引き取られて、保管されてあるはず……だから、昨日逢ったのは〝魂〟の方で、彼女の本体の方は何処かで収蔵されて眠っていると思う」

「透雨と暁生は、最近此処の整理してたんだよね。その時何か──彼女の『みつけて』っていうのに思い当たりそうなものはあったりした?」

「ううん……まだ、整理しきれてないところにあると思うんだよね……。彼女が伝えに来たのも、最近になって整理し始めたからだと思う」

ほど……」と頷く春依に。

「……何でお前、透雨にばっかり訊くんだよ?」

「……透雨の方が話が確実かなって」

「……異論もございません」

 暁生が口をつぐんだ。

 ──昨日のことというのは、つまりは透雨のであった訳だが。

 それについて、兄二人は問い掛けない。

 昔からよくある事なのだ、これは。

 兄達には一度も無いが、透雨には、こういう夢の中で何かから語りかけられるのはよくあった。

「でも……そうなると、捜すのは具体的には何を捜せばいいんだろう」

「大切な子……っつったか? 抽象的過ぎて見当も……」

「あ、見当はついてる」

 透雨が言うと、二人は「まじ?」と振り向いた。驚きに彩られた目が透雨を見つめて。

「〈四季揺籃〉という人形は四体あってね。それで一セットなんだ。だから同じく人形を──彼女のお仲間を捜せばいいのかなって」

「そうなのか……」

「いやぁ……透雨に話が伝わってて正解だよね……。俺達が仲介しても、今頃話がややこしくなるだけだよ……」

 下手すりゃ迷宮入りだな、と続けた暁生は眼前へと目を戻し。次に発せられた言葉は、しかしやや気の進まなそうなものだった。

「で…………この中から捜すのか」

 一方の壁一面を埋める飴色の棚。二十の仕切りの棚が三つだ。

 というと、聞こえは良いかもしれないが、棚の区切りが二十というだけで、実際にはそのひとつひとつにこれでもかと、様々なこの世ならざるモノが詰め込まれている。

 天井近くまであるその様は、そびえ立っているという光景に見えた。

 さしもの春依も億劫そうで、

「……数日前で三分の一片付いたって言ってたよな」

「……しかもひとつの棚の内の三分の一だぜ」

「……こ、こりゃあ掛かるわー」

「え? 物置ここになかったら二階の方を捜すことになると思うよ?」

 きょとんとした透雨の台詞せりふに、二人はげんなりといった空気で沈黙した。


「じゃあ、私右の方から探すね」

 指差して取りかかる透雨に、二人もそれぞれ溜息をいてから棚の前へ進んだ。

「……あー、じゃあ俺真ん中の棚からやるよ。暁生整理の進んでるところからやった方がやり易いだろ」

「了解」

 ──来客があっても、声が掛かれば分かるので、部屋の戸は開け放しておくとして。

 さて、棚の中のモノは全て箱に収められている。大なり小なりの箱をひとつひとつ開けていって中のモノを確認する訳だが……。

 中のモノは、封印などの処置が大方済んでいる筈なので、箱を開けても何かが急に起こることはない。が──箱そのものが封印の役割をしていることがあるので、

「あ──何か書いてあったり、札が貼ってあったりする箱は一応注意してね」

 兄二人が知らない筈はないと思ったが、言ってみると、「あー」「忘れてたぜ」と思い出したような声が返ってきた。

 それも無理もないかもしれない。

 此処にあるモノは「保管」なので、この部屋に立ち入る事自体がほとんどない。最近になって整理し始めるまで、しばらく手つかず状態だった。……暁生も整理をやっていた筈だけれど。

 保管する棚があるだけの部屋だから、作業はし易い。仕切りのひとつを覗き込み、透雨はまず中に詰められている箱を全て外に出すことにした。箱の外側に注意を向けながら、畳の上に置いていく。

 と、同様の作業過程だった春依が、ふと手を止めて、

「あれ? ……これ、何か順番ずつ入れられてあるとか、そういう仕舞われ方じゃないの? たとえば小物は小物でまとめられてあるとか、そういうのも なく……?」

「ないよ」

 と透雨が頷けば、思わずといったように閉口する春依。

「その辺りの記述は資料にはないから、とにかく仕舞われていった感じ」

「だから余計に何処に何があるか分からねぇんだよ……。俺もそれに気付いた時は絶句したけどな」

 そう言う暁生の周辺は、広げられたモノでごちゃごちゃとしていた。目を逸らすようにして、春依が「そうか……」とだけ返す。

 その会話に気持ちが煽られたのか、暁生の口からぽろぽろと言葉が溢れ出した。

「……大体よ、こういうところは全部適当だろ。確かに、この世ならざるもんは封印とかの処置さえちゃんとしとけば下手に脅かされることはないだろうけど、だからってこの有様じゃ、寧ろ呪われそうだろ。しかも俺達が、だぞ」

 途端に春依が振り返った。

「そんなこと言ったら暁生だって、新しく対応したモノの記録雑じゃん。何時いつだか透雨が書き直してたぞ」

 先程の同調の空気が嘘のような切り込みの良さだ。

「……記録の書き間違いのひとつやふたつ、誰にだってあるだろ」

「扱いもだよ。十分以上放置しといたら発火する〈浄龍じょうりゅうつぼ〉が置きっ放しになってるのを見た時は戦慄したけど。こいつ正気か? って。慌てて封印したから何もなかったんだぞ」

「……置きっ放しじゃねぇよ。置いといたんだよ」

「どう違うんだよ」

「二人とも、捜してる?」

 透雨からすればただの問い掛けだったのだが、妙に二人揃って「「あ、はい」」と返ってきた。

 それから、この作業とあわせて記録もつけておけば整理の続きにもなる、という話になって、三人による捜しものは黙々と続けられた。




「──一旦、休憩にする?」

 春依の問う声で、我に返るような空気が満ちた。

 透雨が顔を上げて見回すと、三人それぞれを包囲するようにモノが埋めつくしていた。……それは、未だ捜しものが見つかっていないことも表していた。

 この部屋には時計が無いので、春依が廊下へと出て行く。戻ってくると「あと十分で十二時」と告げた。

「あー……。昼飯にするか」

 埃っぽさを払うように手をはたいて、暁生が腰を上げた。

「まだかかりそうだから簡単なもんにするけど、あるもので良いか?」

「良いよ、なんでも。塩むすびでも十分だよ」

 とは春依。しとせ屋の料理番は暁生である。

 暁生が台所へ向かうと、二人は周囲を眺めて、

「……人形だったら直ぐ見つかるんじゃと思ってたけど、意外に見つからないもんだな……」

「うん……」

 兄達には目当ての人形のことがよく分からないので、それらしきモノの都度透雨へ確認するのだが、今のところ手掛かりになりそうなものさえも見つかっていない。

 ……午前を使い切ってしまった。

 透雨は、思いついたことを口にした。

「……これ、戻すの大変そうだよね」

「あ、それ……言っちゃう?」


                (続)



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