三 狛犬の話───かくも災難なひととき

 しとせ屋の戸は、営業中は開け放たれているのが基本だ。

 よっぽどの荒天でない限り。

 昼の休憩時間なども、何時いつでも応対出来るように、開け放しになっている。

 ところが……

 よく晴れたその日。しとせ屋の戸は閉じられていた。



「──で、これが玄関先に置いてあったと」

「おう」

 店舗には三兄妹の姿があった。

 三人は、すっかり物置き場と化していたテーブルを囲んでいた。見下ろすそこには、大きな白い箱がひとつ。

 蓋は無く、中にはごちゃごちゃと様々な小物が詰め込まれている。

 この箱を、最初に発見したのは暁生あかつきだった。

昨夜ゆうべは無かったし、今朝までのうちにまたが置き逃げしてったんだろ」

 眉をひそめているものの、その表情は怒っているというより、呆れのものだ。

 春依はるいが慣れた調子で頷いた。

「ん、だろうね」

「……うん、いつものだね」

 と、透雨とあが見つめるのは、自身の持つひとつの細い枝だった。置き手紙よろしく、箱に添えられていたもの。

 しかし、それは奇妙だった。

 芳香をまとい咲きほこっているのは、桜の花だ。だが、、それはあり得ない。

 が、だからこそ、箱を置き逃げして行った者の正体を示していた。

 本当をいうと、枝が無くても誰の仕業なのか三人には見当がついているのである。

 透雨が顔を上げ、そっと呟いた。

「氏神さま。……また来たんだね」

 あやかし、人外、あるいは人が。不要になったモノを、供養の意図があってか、氏神のもとに置き去ることがある。

 習わしとして根付いているところもあるのだろう。

 ──それがこっちに回ってくる。

 はた迷惑な話だと暁生は思う。……よくあるのだ、これは。

「まあ俺達の仕事としては引き受けない訳にはいかないよ。収集の意味でも助かるし、仕分けしちゃおう」

「そうだね」

「……」

 春依の言葉に同意した透雨が、枝をテーブルに戻す。ちなみにこの桜の花は、今夜には消えているだろう。枯れるのではなく、消えるのだ。

 二人と同じく箱を囲み、中身に手を伸ばしつつも、暁生は不満げだ。

「なんか楽したいのか何なのか知らねーけど……こうやって厄介事持ってくるんだぜ」

 運び込まれたこれらは、いつもと同じ様に、ひとつひとつ状態を確かめていく。今や使われてはいないモノにも、邪気などが憑いていたりするのだ。

 中でも注意を必要とするのが、人外によるこの世ならざるモノ。邪気以前に、それそのものが何かしらの作用や効果を引き起こしてしまうことがある。

「また何か問題起こらなきゃ良いんだが……」

 警戒して、この作業中は店の戸を閉め切っているのだ。

「でも今回は物が少なめだし大丈夫じゃない?」

 作業の合間の暁生のぼやきにも慣れた様子で、春依が中の物をひとつ取り出す。「あ、透雨、これは──」

 この世ならざるモノとそうでない物の判別が難しい時、いちばん知識のある透雨に訊ねる。透雨でも分からない物は暁生と春依にはお手上げなので、一旦保留。後でありとあらゆる資料を引っ繰り返して調べる。

「暁生、仮にも貴重品だから丁寧にね」

 投げり感をつきまとわせていたら、透雨がぽそりと突っ込んできた。

「……分かってるって」

「ん? 何だろ……これ。何かの手帖てちょうかな?」

 春依の手元。

 布張りの表紙に、和紙のような紙の束が縦に長くじられている。使い込まれた古さは見受けられるものの、廃棄せねばならないという程の傷みは無い──気がした。

 春依がそれを、何の気なしにぱらぱらぱら~とめくる。──その時だった。

 紙の合間から何かがモワーンと飛び出した。

「わっ……!?」

 咄嗟に身構える三人のそばに、飛び出た何かは着地した。おいおい前にもこんな事があったな……と暁生が思ううち、ソレにまとわりついていた煙が晴れていき、その何かの姿がはっきりと見え……

 三人は、しばしの沈黙ののち、ゆっくりと声を合わせた。

「……子犬?」

 透雨が口元に手を当て、「可愛い」 と目をきらきらさせた。透雨って子犬好きだったのか。

 だが、その子犬の目がキッと吊り上がった。

『──子犬だと!? 失敬な! 我は高貴で由緒ある霊験あらたかな狛犬こまいぬであるぞ!』

 急に言葉を発したことに、三人は動じなかった。しかし暁生が別のところに反応する。

「狛犬だぁ?」

 遠慮無くじろじろと眺めてから、言った。

「お前…………ポメラニアンじゃねぇか」

 ……そう。どこからどう見てもポメラニアンなのである。

 誰が見てもそれなのだ。

 特別変わった特徴の無い、小麦色でフワッとした毛並みの。

 まあ、強いて言うなら、普通じゃないところは……その姿の輪郭りんかくが透けている辺りか。

 霊験あらたかな狛犬ってこんなだっただろうか。

『なんとぶしつけな人間か! 我のこの「ぷりちー」な姿に文句があるのか!? このモフモフフワフワな毛並みそこらの生き物とは比べものにならぬぞ……!』

「狛犬としての威厳を出したいのか、ポメラニアンを推したいのか、どっちだよ……。変なプライドだな」

 頭を振りつつ、圧に押されるように一歩下がる暁生。もしかしたらコイツは自分の姿が分かっていないんじゃないかと思ったが、そういう訳ではないらしい。

 それにしても、この狛犬 (仮) の発言、結構頭に響いてくる。実際にはキャンキャンと子犬の鳴き声で発せられ、暁生達には自動的に言語として変換されて聞こえるのだが、その鳴き声と言葉が被っているのだ。なんというか、声と同時にけたたましくベルが鳴り響いている感じ。しかも変換された声の方も高めなので、少々頭の痛くなってくる。

「あのー……でも、キミって……」

 春依がふと、声を掛けた。その後ろ、狛犬 (仮) の圧に驚いたのか何か、透雨がちょっと隠れている。

「もしかすると……使い魔なんじゃない?」

 すると、狛犬 (仮) が心持ち身体を上向け──恐らく胸を張ったのだろう──答えた。

『いかにも。我は永らくひとつの家に仕える由緒正しき犬なのだ。〝力〟を持ち、主と御家族をお護りしている』クゥン

「ほぅ……」

 春依の取った手帖は、狛犬 (仮) が宿っているものということなのだろう。多分。しかし、そうなると……

「で……何でその由緒正しき霊験あらたかな狛犬が主から離れてるんだよ」

『由緒正しき霊験あらたか高貴なる格式高い狛犬様である!』キャンキャン!

 やかましい。

 狛犬 (仮) は、そっとまなこを伏せた。

『……それが分からぬのだ。前の晩、いつものように主をお護り通した我は、ひとときの眠りについたのだ。しかし今、目を開けてみればこんな所にいるではないか……!』キャンキャン

 こんな所とは余計だが……話を整理すると。

 この狛犬 (仮) がいた手帖は、氏神のもとに集められた品々のひとつである。不要や使えなくなったため置き去るという……

「ああ。──つまり、捨てられた、ってことか」

「ちょっ! 暁生、」

 思ったままを言ってしまった暁生である。すかさず飛んできた春依の睨みは空しく、直ぐに狛犬 (仮) が吠えてきた。

『馬鹿な事を! 我は捨てられてはおらぬ! 失敬な……! このような愛くるしい姿を捨てる者など今世に存在せぬ!』キャンキャンキャン!

 これは本当に狛犬なのだろうか。

 だがそこで、急にハッと身を震わせたソイツは、

『そういえば……ご主人は近頃何かに悩まされていたご様子……。まさか。我に何も言わず……!?』キャゥン

 先程までの絶対的な自信は何処どこへ行ったんだよ……と呆れながら、春依と透雨と顔を見合わせる。どうする、これ。

「主人がいるならうちで引き取る訳にもいかないしな……。一時お預かりみたいになるけど……」

「つーか、その前に、コイツ悪いもんは引き連れてないんだな? 本当に悪いもんに属する側じゃねーんだな?」

「あ、それは間違いないと思うよ」

 透雨が言った。

「手帖の方から感じる僅かな力も、悪い気配じゃないし」

 そう言うならそうなのだろう。

「そんで……その主人が現れなかったら、どーすんだよ……?」

 悲しげに身を丸めている狛犬 (仮) を見る。二人も目を向け、

「「……うちのコ?」」

「嫌だぞおい」

 そもそも、使い魔というものは主と特別な契約を交わしているはずなので、おいそれと第三者が引き取れるものではない。

 いくら手帖が主の元を離れたといっても、それとはまた別の問題である。

 狛犬 (仮) の話を聞く限り、まだ主との契約の繋がりは切れていない様だし。多分。

 加えて、暁生の個人的な感情を持ち出すなら、この狛犬 (仮) がうちに居るのはなんか嫌なのである。

「で、でも、このまま外に出せないよ……?」

 透雨が、フルフルと全身を震わせている狛犬 (仮) を心配そうに見下ろす。

 駆けて来る足音が、戸の向こうで響いたのはその時だった。

 トントントン! と焦った調子で店の戸は叩かれ、

「──すみません! お店の方はいらっしゃいますか!?」

 若い男の声だった。春依が急いで戸を開ける。

「すみません、こちらに手帖とコマ……あっ!」

 彼は、縮こまる狛犬(ポメラニアン)に目を留めた。

 ぱぁっと明るい顔で両腕を広げる。

「コマ~~っ」

 大粒の涙をきらめかせて、狛犬 (仮) の姿が翻った。

『ごっ……、ご主人~~っ!!』キャウ~~ン

 ひし……! と熱い抱擁が生まれた。

「ごめんよ……! ひとりにさせて!」

『ご主人~~っ』クゥ~ン


 春依が「感動の再会かな?」

 暁生が「どこら辺が感動だ?」




「申し遅れました……。僕、御門みかどと言います。高校一年生です」

 店内の小上がりスペースで正座した彼は、ぺこりと頭を下げた。黒の短髪でこざっぱりとした印象の、しっかりとした人柄に見える。

 三人はその向かいに立っていた。透雨は、彼がやって来た瞬間から春依の後ろに完全に隠れている。

 例の狛犬はというと。ワフワフと、主人の膝にもの凄い勢いですり寄っている。優しく撫でて貰って、ご満悦そうだ。

「慌てて手帖を取りに戻ったんですけど、既にこちら……『しとせ屋』さんに渡されたと聞いて、急いで……」

「じゃあ、その狛犬はきみのところのコで間違いないんだね」

 ほっとした春依の言葉に、御門少年が頷く。

「はい。うちはみんな『コマ』と呼んでるんです。狛犬なので」

「たんじゅッ──」

 皆まで言わせず、春依の手に暁生の口は塞がれた。

 それでも……気になる事がある。

「……何でソイツ、ポメラニアンなんだよ?」

 ワフワフと腹を撫でられ喜んでいる使い魔を見る。

「あ、コマは元々は霊体なんですけど、今はこの姿が可愛いとお気に入りみたいで……」

「……」

 自由自在に姿を変える狛犬って聞いたことないが……。今となっては、べつに訊かなくても良かった気がする。

「えっと……そもそもどうして手帖を捨てるようなことを? それ、大事なものなんだよね? ……あ、落としちゃったとか?」

「いえ……実は……確かに、捨てたんです」

 春依の問いに彼はきまずそうにしながらもはっきりと答えた。『キャフン!?』とたちまち狛犬が跳ね起きる。これは……話の展開によってはまた狛犬が煩くなりそうだ。

「と、いうと……?」

「……僕の家は、代々 退魔師たいましの家系なんです。大学生の兄はもう一人前で、僕も高校生になった直後に、兄からこの手帖とコマを引き継ぎ、噂や依頼を聞いてあちこちの悪しき妖怪や霊などを退治してきました」

 俯きながらも落ち着いていた少年の語り。それが、ふっと悲しげな色を帯びる。

「僕は、失敗こそすれど、諦めず退治をこなしてきました。コマとの相性も良いし、悪しきものを逃したことはありません。でも……兄は本当に凄くて。僕よりずっと優秀で。兄が退魔師の務めをやり始めたのは、小学生の高学年からなんです。しかもその頃から務めは完璧で……それもあって、もっとしっかりしないととか、もっと務めを果たさないととか、兄と比べられてばかりで……」

 後継を大事にするあまりか……と暁生もその意味が分かった。先祖代々続いている家、の役目だ。脈々と受け継がれてきた力を、そこで途切れさせかねない。それ以外にも、多大な苦労や問題があるのだろう。

 クゥン、と狛犬が気遣うように主人の膝に手を載せる。

「分かって……いるんです。この務めの大切さ、責任。コマだって、うちの護り神でもあるんだから、僕がコマを護っていかないといけない。でも……がんばろうとすればする程、まるで務めにしか価値はないみたいに……僕の生活、人生が務めのためだけにあるように、塗り替えられていく感じがして嫌になってきて……」

「……」

「そして……ある日の学校帰りのことです。とうとう僕に、絶望を与える事が起きたんです……!」

「お、おぉう……」

「友達と一緒だったのですが、その日も僕は帰って直ぐ務めを果たさなければならず……僕は……僕だけが……」

 少年の魂の叫びが轟いた。


「僕だけが冬月堂とうつきどうのどら焼きを食べられなかったんですよ!!」


「「「……ん?」」」

 と、三人は揃って首を傾げていた。

「その時何かが吹っ切れて、その足で務めに欠かせない手帖を捨てに行ったんですー!」

 御門少年はくっ……! と苦しげに眉を歪めて歯噛みしている。狛犬はなぐさめるかのように彼の手に手を添える。

 ……いや待て。話の流れが急におかしくなった。

 代表して、暁生が訊くことにする。

「ちょっと待て……」

 今、トウツキドウって言ったか?

「……色々兄と比べられてじゃなくて冬月堂のどら焼きが食えなくて嫌になったのか?」

「……知ってますか……冬月堂のどら焼き」

 低く声が返ってきた。かと思えば、ゆるりと顔を上げる。

「あのふわっふわであんこのため甘さ控えめの生地! つぶあんのあんはそれはそれは濃厚で! 口に入れた時の絶妙なバランスでまじり合う幸福感……! 五分で完売も四時間の行列もざらにあるあの、あの、どら焼き……つまりめちゃくちゃ美味しいんですー!!」

 分かりますか!? と感極まったように突っ伏した。分かりますかと言われても。

 眉間にしわを寄せた暁生は弟と妹を振り返った。二人はこちらを見られても困るという雰囲気で、それぞれに首や手を振った。

 ちょっと引いていると、透雨が「でもあそこのは、確かに美味しい……」と言った。……同意してもいいところなのだろうか。

 つまり……理由として言い換えるならば、何でも務め一番であるため、好きな事も出来ない(好きなものも食べられない)生活に嫌気が差して、だろうか。

『──ということは、我が嫌になって捨てたんじゃないんですね……!?』クゥ~ン

 あ、忘れてた。今日の事の発端はコイツだったな、と思い出した暁生は狛犬を見る。

 目を潤ませる使い魔を、少年はハッと見つめて、

「……コマ……。そうだよ……! 僕がコマを嫌いになる訳ないじゃないか! 僕の所為で、寂しい想いをさせてごめんね……!」

『ご主人~ッ!』キャゥゥ~ン

「……」

 ギュウッと再び熱いハグが繰り広げられる。

「大丈夫、もうこんなことはしないよ。今日からまた一緒にがんばろう、コマ。最高の相棒! ──あ、という訳で、お世話になりました。コマも手帖も大切に引き取らせて頂きますね……!」

『今度来る時は撫でさせてやってもいぞ!』キャフン

「いやいらん」

有難ありがとうございました! それでは!」『キャウ~ン(!?)』

「……」「……」「……」

 すぱーん! と元気良く閉められた店の戸。



 ……奇妙な程の静けさが降りていた。

 春依が、テーブルを振り返った。

「仕分けの続きやる?」

「おう」「そうだね」




 ……皆様、物をお捨てになる時は、くれぐれも慎重に。





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