二 鈴の話───鳴リ呼
ちょっと不思議な力を持つ三兄妹のお店、『しとせ屋』。
本日、午前七時半に開店の模様──
『はるい兄ちゃぁーん!』
店の戸を開けた途端、三つの小さな姿が飛び込んで来た。
「いらっしゃい」
いつものように、
射し込む朝の光に身体を透かして、彼らが元気よく声を弾ませる。
『またキレイにしてくださーい!』
春依の腰よりもっと下、きらきらとつぶらな瞳が愛くるしい笑顔を向けられて、春依は和むなぁ……としみじみ思った。
彼らは子どもの姿をした精霊。だが、それだけではない。
黒髪に和装の男女の子がお寺にすまう精霊で、金髪に洋装の男の子が教会にすまう精霊なのである。
通常は誰の目にも見えず、それぞれにそこを訪れた者の悪いものを自らに吸い取ってくれている。体調や病気をよくするような劇的なものではなく、「なんか(気分)すっきりしたような……?」というやつだ。
精霊達にとっても悪いものの溜め込みは良くないので、時折こうしてしとせ屋を訪ねて来る。担当みたいになっている春依は、すっかり慕われていた。
……それにしても、かたやお寺の子でかたや教会の子とは、異文化交流(?)素晴らしい。
と──、
『あっ、ばかツキだーっ』
寺の精霊の子が、箒を手にした
『ばかツキがでたーっ』
「ほぅ……相変わらずのその口は一度叩き直す必要がありそうだな」
ただでさえ鋭い目を細めてゆっくりと箒を振りかぶった姿に……精霊の子達はきゃらきゃらと無邪気に楽しそうな声を上げて逃げ回る。
とうっと箒の先で外に掃き出そうとしている暁生を(罰当たりな……)とも思うが、あれはあれでただ純粋にじゃれているだけなので、そっと見守ることにする。というか、「ばかツキ」なんて言葉何処で習得したのだろう。その言葉遣いは大丈夫なのだろうか……?
ともあれ、「始めるよー」と春依が声を掛けると、『はーい!』と素直にこちらの前に戻ってきた。
「えっとじゃあ、きみはもうちょっとだけ待っててね」
教会の子に一旦待ってて貰うと、春依は両手をそれぞれ、お寺の子達の手と繋いだ。
春依の
悪いものを断つ暁生の能力とは似たところもあるが、邪気の程度、また能力を用いる対象によって役割を分けている。
春依の能力であれば、こういった精霊に直接接して邪気を除くことも可能だ。
精霊達の〝魂〟をそれぞれ確認すると、春依は集中のために目を閉じた。
すぅっと静かに、短く息を吸う。
僅かの間をおいて、フワリと、白い光が精霊の子らを包んだ。
透かすような、強くはない光だ。
光は
目を開けた春依は、ほっと力を抜く。
──つい先程まで視えた
「よし、できたよ。もう大丈夫」
『わぁい!』『はるいお兄ちゃん、ありがとう~!』
「さ、次はきみの番ね」
教会の子とも同じ様に手を繋ぎ、浄化をする。──今回も、異常無く終えることができた。
『ありがとうです! 心すっきりです!』『すっきりーっ』『げんき!』
嬉しそうにはしゃぐ彼らの向こうで、「最初から浄化いらねぇくらい元気だったじゃねーか」 と暁生が突っ込んでいる。
『はるいお兄ちゃんにお礼ですー』
教会の子がこちらの両手をとった。さっき春依がそうしたみたいに、きゅっと手を握り──実際にはふわりとした感触である──むむむっと目を瞑って、
『神のごかごをー』
特別な力を持たない彼らの、お祈り。これが彼らなりの〝代価〟である。可愛らしいなぁ、と春依は微笑ましくなる。
精霊であるため、実際のところ春依達よりも何百年と存在を経ている彼らなのだが、姿形と言動のせいか、ついつい子どもに接するような目線になってしまう。
「有難う」と伝えていると、『はるい兄ちゃん、こっちも!』『こっちも!』と今度はお寺の子達が。
『しんじるものは すくわれるー』
「……おい、それ、なんか違わねえか? 相手方に委ねるような言い方じゃないか?」
疑わしげな目つきで口を挟む暁生を横に、今日も平和な一日になりそうだなぁ……と春依は頬をゆるませた。
しかしその平和は夕方には全て霧散した。
「此処が、しとせ屋サンですか」
……そのお客は、戸のこちら側に立っていた。
というか……。正確に状況を説明すると、「今日はもう閉店」と戸を閉めた矢先に、戸の下のごくごく僅かな隙間からスルンと入り込んできたものがあったのだ。
暁生とともにぎょっとしている間に、その入り込んだ何かは形を作り……
大きい。そして長い。そう感じるのではなく、実際物理的に長大なのだ。間違いなく二メートル以上はあるだろう。天井危うし。
更に、長い髪、身につけている衣服、手指まで、上から下のほぼ全てが黒ずくめ。白目も光も無い、空洞の如く漆黒の双眼が二人を捉えている。
何より……頭部から伸びる、これまた黒くて長い二本の角と、両手の鋭利過ぎる爪、うっすらと透ける足先(胴先?)が、ソレが異存在であることを疑いなきものにしていた。
黒い衣服は先日のお客、時計屋氏の紳士然とした装いを思い起こさせるものの……思い起こさせるだけで、明らかに、纏う空気が違った。こちらはもっと不穏、暗鬱なものである。
「……」
閉め切った戸の隙間から射し込む陽が、この場を朱く染めていた。それもあってか、異様な雰囲気が漂う。
……なんと平和の儚かったことか……。
出ては来ないとは思うけれども、この様子だと、
「……何だ、てめぇ」
上から下をはっきり睨んで、暁生が言った。その手には武器よろしく箒。
夕方時の御来店は、全くない訳ではないが、珍しい。
問われた(すごまれた?)相手は、大仰な身振りで
「ワタシがダレなのか分からないのですか?」
「知らん」
間髪入れずに暁生が言い切った。どんな客に対しても無愛想な態度の暁生だが、こういう時は頼もしく見える。
ゆるく弧を描いた口が開き、ちらりと牙を覗かせながら、ソレが答えた。
「ワタシは〝
そうか、お客なのだな……と改める春依。登場時の衝撃はあったが、話は通じるし、敵意も無さそうだ。低く静かな声音は、いっそ耳に心地よい。
「依頼ならふつうに入って来いよな……。で、何の用件だって?」
箒を肩に預けた暁生が促す。
「ええ──大事な〝鈴〟をなおして頂きたいのです」
どうも調子が悪い様でしてね、と影鬼が服の内に手を入れる。
長い爪の先で器用につまみ出したそれを、春依が受け取った。
円柱形の筒だ。表面は黒くて布のような手触りがする。なんとなく、お茶缶みたいだなと思った。
この中に、〝鈴〟が仕舞われているのだろう。
「ワタシ達は普段、
話が急に物騒な方向である。思わず「えっ──」と春依は
てことは、これは……依頼を引き受けたら、犯罪の片棒を担ぐみたいなことになるのか? でもあやかしの
「ああ、安心しなさい。実際にはカレらの記憶を食べるのですよ。コドモ達は無事に帰しますとも。まあ、意識は少々消えますけどね……」
「……」
それならいいか、とはならないし、結局安心要素がないんですけども……。記憶無くしちゃってる時点で無事もないですしね……。
「それに人を襲うとはいえ、人間に対して敵意がある訳ではないのです。ちょっといただきますよ、という感じで。キミ達のことも襲いませんよ」
当たり前だ……。というか他もどうなのだ……。
「ワタシはコドモの中でも四つから六つ頃のコが──」
「あ、もういいです」
午前とこの落差は何なのだろう。
「で──ああ、〝鈴〟のことですね? これは夕暮れ刻にまだ外にいるコドモへ向かって鳴らし、こちらへ誘い込む為のものです。〈
「……お前、さっきから遣う言葉が物騒だぞ」
〈鳴リ呼〉……初めて聞いたな、と考えながら、春依は思い出していた。
──黄昏に出合うものには注意せよ、と聞く。
顔の判別がし難くなる逢魔ヶ刻。
それが人なのかあやかしなのか分からないから。
「しかし、ある時急に使えなくなってしまいましてね。それでちらりと聞いたしとせ屋サンに参ったのです」
「……ふむ」
話からすると、ここは春依の出番だろうか。〝鈴〟を清めて、元通り鳴るようにする。
一度、
「では、失礼しますね」
捻るようにして、手に持つ筒の上部を外した──いや、外し切るその前だった。
何かが──すぽーんと飛び出したのだ。
呆気にとられて棒立ちになっている春依と暁生を揶揄うように、その何か──黒い蛇のようなものに見えた──は、店内のあちこちをピョンピョンと飛び跳ねる。
形ある邪気──に見えた。
「「 …… 」」
二人はゆっくりと影鬼を振り返った。
「ああ、言い忘れていましたが、アレが取り憑いた所為で〈鳴リ呼〉を使えなくなっていたのです」
……早く言って下さい……。
ごちゃごちゃと物のひしめく店内で暴れられてはたまらない。上や下を行ったり来たりと動き回るソレに、春依はブンブンと箒を振るう。
しかし、箒で倒そうとは思っていなかった。
「暁生っ、そっち行った!」
向かって来るのに合わせ、暁生も踏み込む。
「っ……!」
とびつくようにして、暁生が片腕を伸ばした。──そう、『断つ』能力を持つ彼に任せてしまえばこっちのものだ。
彼の手がソレを掴んだ瞬間、能力の発動によって一息に霧散した。
独自に動き回るモノだったけれども、それだけだったので、能力がすんなりと通用したのだろう。低級で良かった……。気配も残さず消えて、春依達は
「ほう。見事なものですね」
拍手がおくられてきた。
「「 …… 」」
暁生が明らかに頭にきている顔で睨みを投げる。が、彼が更に何か言う前に春依が再び筒を手にする。
「……浄化しますね」
気を取り直して、今度こそ筒を開ける。取り憑いているものは消えたとはいえ、その影響を受けて〝鈴〟が
そうっと取り出す。それは筒の中で真っ直ぐにおさめられていた。
幾重にも編み込まれた、てりの無い黒の紐。その先に繋がれた大振りの鈴。黄金色の鈍い輝きを灯すそれが、三つ連なっていた。
不思議なことに、取り出す時も、こうしてつりさげてる時も、筒を手にした時でさえ、鈴は微かな音色すら発さなかった。全く揺らいでないことはない筈なのに、音が無い。
恐らく、影鬼自身が実際に子どもに対して用いた時でのみ、鳴るようになっているのだろう。どんな音を鳴らすのか聴いてみたくはあったけれど……その時は誰かが誘い込まれてる時だもんなぁ……。
「……では」
ちょっと会釈し、片手は紐で、もう一方の手を添えるように〝鈴〟へ当て。──目を閉じる。
フッと白い光が三つの鈴を包んだ。光はそこに留まり、数分ののち、仄かに瞬くようにして散り消えた。
「……良し」
穢れはほとんど無かったので良かった。これで暫くは〝鈴〟に邪気が寄り憑くことはないだろう。こういうの、暁生は邪気や異常さえなかったらそこまでする必要もないだろうと言うが、そういう訳にはいかない。
「こちらで宜しいでしょうか」
「これはこれは──大変素晴らしい状態ですね。もとより更に良いほどですよ」
どうも、と応えながら〝鈴〟を仕舞い、筒を手渡す。
「大変お世話になりました、ええ、もう間もなく夕刻も終わりますし、これは早速ひと仕事してこないと」
そう言い終わるや否や、だった。
たちまちその姿形を崩したかと思うと、スルンとまた戸の下の隙間から滑り出て行ったのだ。
「あっ」
止める暇もなかった。
再び箒を構えた暁生が駆け寄ったが、既に遅し。
あの黒の端も気配も残っていない。
「ちょっ、てめっ……代価支払っていけよ!!」
暁生の叫びが、空しく響いた。
……こういう事態、それなりになくもないです。
その後、物音に心配してやって来た透雨に、影鬼について訊ねてみた。
「聞いたことある……。たしか種族の中には人を見境なく襲うものもいるんだよね。帰ってきたものの自我をなくしちゃった子どもの事例もあるから、鈴の音や影鬼に逢うのは注意した方が良いってね」
「「 …… 」」
春依と暁生は目線だけを交わした。
……意外と危ないやつだったようだ。
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