一 時計の話───群青の瞬

 しとせ屋の朝は──早かったり遅かったりする。

 加えて言えば、早かろうが遅かろうが、そもそも、開けたり開けなかったりする。

 自由なのである。

 営業者の気分次第──と言っていい。

 本日は──


「……もう開ける?」

「とりあえず開けるか。開けても開けなくても暇だったりするし」

 午前八時に開店の模様。


 確認し合って、春依はるいがガラガラと戸を左右に引いた。お客様が入って来易きやすいよう、営業中はずっと開けられている店の戸は開ける役割も定められていない。今日は春依が開けただけのこと、だ。

「あ……今日も天気よさそう」

 爽やかな風に前髪をくすぐられ、春依は目を細めた。店の前には庭が広がっている。広い敷地と緑の葉をつけた巨樹があるその場所は、曇りのない澄んだ空を見通せた。

 天気がよくてもお客が来るとは限らないんだよな……。

 内心で独りごちた春依は振り返る。

 暁生あかつきが、壁に立て掛けてあった箒を手にして店内を軽く掃いていた。入口を開け放していることもあり、三人のうちの誰かが毎日やっている。

 店内は、それなりに広い。

 接客応対用のテーブル(入り口で済ますことが多いので、ほとんど使われていない)が中央に据えられているだけ。それよりも目につくのが──所狭しと並べられた物だ。

 壁に沿った台の上。足下の箱の中。中央のテーブルの上にも。特別覆いの無いものが大半のそれらは古い物ばかりだ。

 あくまでも、放置ではなく、保管なのだけど。

 一見すれば、年季の入った、何処にでもある骨董品に思えるが、実は全て、普通じゃないモノだ。

 たとえば砂時計に見えるそれも、硝子ガラスの中には砂ではなく何かの液体や宝石が満たされていたり。何の変哲もなさそうな瓶や壺、皿などの器は造形こそ普通なものの、中を覗き込んだり触れてはならないもので、本ですら迂闊うかつにめくっては大変な事になる代物だ。

 封印するかのようにひっそりと置かれた物達は、店内の時を止まっているかのように見せていた。

「暁生、透雨とあは?」

「裏の物置んとこ覗いてたぞ。あそこの整理、まだ三分の一しか片付いてねえからな」

「ああ……まだそんなだったかぁ……」

 店頭だけではなく、裏側も物で溢れたしとせ屋である。




 しとせ屋に来る客は、その性質上、ほとんどが人ではない。

 そのお客が現れたのは、時計の針が十を示した頃だった。


「いらっしゃいませ……あぁ」

 応対した春依は、驚きに目を見開きながらも、直ぐに微笑んだ。

「すまんの……そろそろ調子が悪くなってきおって……」

 ぺこりと頭を垂れたのは、綺麗なグレーの髪をひとつにまとめたご老人だった。腰は曲がっているものの、きっちりと正装の様な黒服を身につけた佇まいは紳士然としてみえる。

「お久し振りですね──『時計屋』さん」

 そう、春依は呼びかけた。


 ご老人の正体は──この近くの商店街にある時計の像に、宿精霊だ。それは、古い道具が成り果てる付喪神つくもがみとは異なる。


 たしかその像は……デフォルメされたキャラクターのようなスーツを着た男の人が、片手に杖、もう片手で時計を示しているものだった。何十年も前から設置されているので、塗装は剥げているし、肝心の時計も見えにくい、という。時計部分は像ではなく本物なのだ。

 時計屋というのはこちらで呼んでいる通称で、実際の名ではない。

「以前と同じ〝取り除き〟ということで宜しいですか?」

「うむ」

 身体からだの透ける様子もなく、人と変わりなく見える精霊は、首肯すると懐からある物を取り出した。

 ──両掌に収まるほどの、金の懐中時計。

 蓋を開けると、三つの針があるだけの盤面には、深い海を閉じ込めたような深青の宝石が、紋様を描いて埋め込まれていた。

 何時いつ見ても惚れ惚れする神秘さだな……。


群青ぐんじょうしるべ〉。


 そう呼ばれる、本来この世に存在しえないモノだ。

 これが時計の像には秘められており、この精霊の本体である。


 まさか寂れた商店街のぼろい──あ、いえ、失礼、古い像に、この世ならざる物が内包されているだなんて誰も思うまい。

 僅かな光にも澄んだきらめきを零すそれを眺め、ほど、また邪気のようなけがれが溜まったのだな、と思う。

 こちらに異常があると、像にも影響を及ぼすから。

 そのため自由に動くことのできるこの精霊がやって来たのだ。

「では、少しの間お借りしますね。──暁生ー」

 透雨を手伝い、物置の整理に回っていた暁生は、直ぐ暖簾のれんをくぐって出て来た。

「おう、久し振りだな、じいさん」

「ほほー、背が伸びたのぅー」

「……いや背以外も成長してんだが」


 しとせ屋で基本応対に出るのは、春依と暁生だ。更に言えば、いちばん愛想が良くできるという理由で春依の対面が多い。逆に──透雨が表に出て来ることは滅多にない。


 末妹透雨は、極度の人見知りなのである。

 それは人外にも適用される。

 家族以外ではまともに話すこともできない。どころか逃げる。

 目線を合わすことも恐れる彼女の目元は、常に長い前髪で隠されている。


 ……とにもかくにも、ここからは暁生の出番になるので、拝借した〝時計〟を彼に預け、後は任せる。


 しとせ屋は、兄妹それぞれが別の能力ちからを持っている。


 暁生の持つ能力は、邪気などの穢れを切ったり破壊したりする『つ』力だ。


 暁生のみならず、能力を使うにはず対象物の〝魂〟を視ることから始まる。

 この魂というのはたとえば物を構成する心臓部であるとか、生きものの命という、いわば物質的なものではない。

 それらとはまた別の──〝核〟とも呼べるような、だれも意識したことがないもので──存在する全ての人や物に元来備わっているものだ。

 ……目を凝らせば、ぼんやりと白い光。邪気などが最も寄り憑くのがそこなのだが、邪気は人外のものでも見えても、魂は春依たち三兄妹にしか見ることができない。


 暁生は〝時計〟を見つめ、その中心位置に淡く白い光と、それを覆う霧状の黒いものを視た。

 そして、時計を持つ手にほんの少し力を込める。

 たちまち、黒い霧が宙へと零れ出した。時計の大きさに見合わない程の量の、溜まりに溜まった邪気だ。

 能力は手を媒介にする。暁生の能力が働いている最中なので、邪気が周囲へ被害を与えることはない。

〝魂〟から外へ飛び出し──そして直ぐに、邪気の姿はすぅっと消え始めた。取り除く量やその対象物にもよるが、多くの邪気は消えが早い。このような霧状ともなれば、多少の抵抗があってもスムーズなものだ。

 数十秒で全ての邪気が消えると、暁生はもう一度〝時計〟の方を確認する。黒い霧は跡形も無く、〝魂〟の方にも異常は無い。はたで見ていた春依も内心頷いた。

「ん」

 作業の終わった〝時計〟を、暁生がぶっきらぼうに精霊の方へと突き出した。

 老人ふうの精霊は、垂れた目尻をますます和ませ、

「ほぅ……いつも助かるのぅ」

 元通りになった時計〈群青の瞬〉を懐に仕舞い直すと、今度は別の物を手にして見せた。

 片手の内にすっぽりと収まる、紺の巾着袋だ。

「お代じゃ。これで良かったかのぅ」


 しとせ屋のお客はほぼ人外のため、必ずしもお金は人間が使うのと同じ物を持ち合わせている訳ではない。そもそもお金や支払うといった事の概念自体が無い種族も、勿論もちろんいるのだ。

 そういった場合、〝代価〟として、お金に相当するような何かを受け取ることにしている。この世の物じゃないモノを貰っても換金できる仕組みがしとせ屋にはあるのだ。


 この時計屋さんの代価は、懐中時計〈群青の瞬〉に使われているのと同じ青の宝石だ。小粒のそれが袋にいっぱいに詰め込まれている。

 春依は小さく笑み、手を──差し出すのではなく立てて示して、

「いえ、いらな──」

「……どうも」

 当たり前の如く断ろうとするも、呆れ果てた感満載な一瞥を寄越した暁生が横から袋を取ってしまう。

 ……しとせ屋の仕事はいつもこのような感じである。

 その日のお客が時計屋さんのみだったのも、まあいつものことである。




 翌日のこと。

「──あれっ?」

 店の応対に出た春依は、思わずそんな驚きの声をらした。

「すまんのぅ……」

 なんと。時計屋さん昨日に引き続きの御来店である。

「な、何か異常がありましたか!?」

「何やらまた調子が悪い様での……」

 昨日よりもちょっと眉の角度を下げる時計屋さん。何ですと……と瞬きしかけたがその場合じゃない、「ちょ、ちょっとお待ち下さい」と春依は奥へ引っ込んで暁生を連れてきた。

 時計屋二度目の来訪には暁生も少々驚いた様子だが、再び〈群青の瞬〉を目にすると、二人は揃って渋面になった。

 ──邪気が、ある。

 確かに昨日、暁生の能力で全て消した筈の邪気が、昨日に等しい量でまとわりついているのだ。

 どういうことだ……? と、しばし呆然とした春依は。

 不意にハッとした顔で暁生を見ながら口に手をやった。


「まさか暁生、もう……」

「ひとを稼働しなくなった電化製品みたいに言うな。……ちっげーよ、能力使えなくなった訳じゃねーし、ヘマしてねーよ」


 うん、ちゃんと分かってます。

 とは言っても、邪気があるのは事実である。確かに時計屋さんも調子がよろしくなくて来店したのだろう。

 気を取り直して首をひねりつつ、考え込んだ春依は、暁生の手元を見つめた。

「もしかして暁生、必要以上に制御掛かってる?」


 ──暁生の『断つ』能力は大抵の邪気に必ず効くし、穢れを切り離すのに一番有効だ。しかし反面、その能力が効き過ぎると危険を伴う。

 強く働かせた能力が、〝魂〟にまでも効いてしまうのだ。

 効いてしまったら──断たれてしまった魂は──消えてしまう。魂が無くなった物はガラクタ同然に使い物にならなくなるし……、

 最悪、それが人であったなら、命を奪うのと同じで死を招いてしまう。


 人はないがこの世ならざるモノを何度か「壊して」しまっている暁生は、能力を使う時、より一層気を遣っている様子なのだが……。

「……いや、間違ってはねぇ筈だ。いつも通りに使って、効果が甘かった感じもなかったし。それに、邪気が全部無くなったのはお前も見ただろ?」

 自身の両手を見て言った暁生に、春依も困ったように眉を寄せた。……そうなのだ。見張る訳でもなく見ていたが、邪気は確かに消え、その後の〝時計〟にも異常は見当たらなかった。二人ともそう視えたのだから間違いないだろう。

 能力に関して言うとなると、感覚的なことばかりになるけれど……。

 中々ない──というか、初めてのケースである。

 邪気が再び憑くこと自体は、そう珍しいものではない。元々、神聖なるものというのは穢れを呼び込みやすいのだ。定期的に邪気を取り除くことはしとせ屋でも慣れた仕事である。

 しかし……こんなにも直ぐ? それも、前日とまったく同じ量が?

 滅多にない。邪気は溜まるものとはいえ、一度綺麗さっぱり消しているのだから、本来前日分よりも少ない筈では……。

 これではまるで、消したと思い込んでいただけのような──

「手間をかけさせてすまんのぅ……」

 思わず黙り込んでしまった二人に、ますます眉尻を下げる時計屋さん。

「いい加減古くなっとるもんでな……」

「い、いえ、こちらの不手際でしょうから……!」

 慌てて春依は言い、暁生は首を傾げつつも、「……じゃあまあ、もう一度やっとくか」と〈群青の瞬〉を手にした。

 そうして暁生の能力で邪気を消し──確かに消したことを視てとり、更に残っている邪気が無いのを、更に更に魂にも何も異常がないことをじっくりと二人で確認。

 当然のこと、こちらのミスがあったということでお代は頂くことなく、流石に暁生もそれに口を挟みはしなかった──。


                 (続)





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