しとせ屋
虚城ハル
序話(はじまりのはなし) 開店───しとせ屋
それは、
とある事情を抱えた者だけが辿り着けるところ。
もしあなたが、そこに迷い込んだのならば、
『しとせ屋』に行ってみるといい。
「
そこは、不思議な「物」のための店。
* * *
「ごめんください」
緩やかな坂を上った所に、古風な建物がある。そこを一人の女性が訪れた。
さらりと艶めく黒髪を腰まで流した、落ち着いた色合いの着物の女性。歳は二十代半ば程か。
「はい」
声を受け、奥の
幼さの滲む顔立ちに、優しげな笑みが浮かんでいる。彼は左眼を包帯で覆っていた。
「いらっしゃいませ。どうされましたか?」
「また、浄化を頼みたいのですが」
女性が手提げ袋から小さなものを取り出す。紅い布地の小袋に 「安全祈願」 と縫い込まれた様は御守りによく似ていたが、中から出て来たのは大粒の水晶のかたまりだった。
少年は自身の手に転がるそれを眺め、
「ああ、〈
にこやかに頷くと、くるりと奥へ顔を向ける。
「
来るところだったのか、直ぐにくすんだ金髪の青年が姿を見せた。
身長は少年を優に越えており、片耳にはピアスがついている。よくよく見れば顔立ちは整っている方なのだが、目つきの悪さばかり目立ってしまっている。
「はい、出番だよ」
「……何だよその普段は役に立つ事ねぇみたいな言い方」
ぼやきながら歩いて来る青年に少年が先程の水晶を渡す。
「また溜まったからお願い。
「……はいはい」
少年の忠告に溜息交じりに呟き、渡された水晶を右手で軽く握った。
直後───。
青年の右手を取り巻くように、黒い霧状のものが立ち昇った。
ゆらりと揺らめく様は、風に流れる時と異なる明確な動きだった。さながら意思を持つかの様に。だが、ソレは青年の右手より周囲には広がらない。
そして直ぐに黒いものが消え始めた。空気の中に溶かされるみたいに、すうっと見えなくなっていく。
やがてそれが完全に消えると、青年は握った手を開いた。
「ん」
「良し」
少年が水晶を受け取り、小袋に丁寧に仕舞い直す。
「お待たせしました。これでまた元の状態に戻せましたので、無事お使い頂けます」
にっこり微笑む少年に女性もほっとした笑みを返す。
「
小袋を手にした女性が差し出したのは、お金だった。紙幣が一枚。
自分の掌に載せられたそれを見た少年は──
「え、
「要るわ……!」
青年が目を
「こんなの通常業務の内にすら入らないだろ。お金取る事じゃないよ」
「要るだろ……! 歴として
「暁生……何でも金に換算すると人としての程度が知れるぞ」
「お前は商売人としての自覚があるか!?」
目の前で始まった言い合いに、女性は気を悪くした様子も無くくすくすと笑みを
「ふふ。──では」
穏やかに一礼し、そのまま目を閉じる女性。途端──彼女の頭、そして背を覆うように、黄金色に眩い──狐の耳と尾があらわれた。淡い光に満ちて柔らかに広がる三つの尾と耳は、神々さも漂わせる。
「有難うございました」
「また
たった今起きた事に、しかし二人とも動じない。少年の方が笑顔で手を振り返す。
もう一度ぺこりと頭を下げた彼女は、トンと浮き上がると、空へ泳ぐように舞い上がって行った。
その姿が見えなくなり。
「……向こうにある稲荷神社の、か」
「ん、この時期は氏神参りがあるからな。道中色々あるだろう事を考えると、〈境の護り〉が重要だったんだろ」
「氏神って、アイツ
青年が呆れに眉をひそめた、その時。おずおずと小さな声が入り込んだ。
「……お、終わった? 無事に」
頃合を見計らったかのように、暖簾で仕切られた向こうから少女が出て来た。
「
「やっぱり人外のでもお前は駄目だよな」
「ご、ごめん」
二人しか居ないのを確認すると、
「暁生の大きな声聞こえたから……何かあったのかと思って」
ぐっと黙った青年に代わり、
「問題て訳ではないんだけどね、全然手間掛かってないのにお金貰っちゃってさぁ……」
「
「減るもんじゃないじゃん。じゃあ、暁生はアレが厄介って思う程だった?」
「……別に厄介なんて思わねーけど」
二人の顔を交互に見た少女が、首を傾げる。
「何だったの?」
「〈境の護り〉の浄化だよ。持ち主に寄って来る邪気を代わりに吸い取ってくれるものだからね、どっかで溜め込んだ邪気を取らないと、効力が無くなっちゃうし、持ち主が危ない」
「ああ、だから暁生が。確かにそれくらいならお金は要らないかも……」
「なー」
「おいおい先月も先々月も度々弟達が無償にしちまった
緩い坂道を上った先の建物には、三人の兄妹がいる。
二十歳の長男、
十七歳の次男、
十六歳の末妹、
ちょっと不思議な力を持つ三兄妹が営む店。
『しとせ屋』───まったりのんびり開店中。
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