第10話 ロミの場合
今、私はモーレツに、盛大に、大不倫をしてる。
カフェに着くと自転車を止め、中に入る。
店の奥、角の席に着くとウエイトレスが注文をとりにきた。
「シナモンラテください。」
「かしこまりました」
注文をして、ふと窓の外を見ると雪がちらつき始めていた。
大不倫。人を裏切り、自分の浅はかな考えで行動し欲望のままに愛欲に溺れるということだ。新明解ロミ辞典調べ。
「お待たせしました。シナモンラテです」
「ありがとうございます」
さっきも言ったがただの不倫ではない。大々的にだ。大不倫だ。謳歌してると言ってもいい。
相手は背が高くスラっとしたイケメンだ。お金も持っているし性格もとても優しい。
彼はいつもこのカフェテラスで優雅にお茶をしている。私が仕事に行く途中カフェを通り過ぎると、テラスに座る彼と目が合う。そして、いつも私に愛しい笑顔で微笑んでくれる。
その瞬間、街や空はピンク色になり、ふわふわの雲やキラキラが私の周りを回る。
甘い香りが芳しく香り、天使たちが回り、愛の歌を歌って私を優しい気持ちにさせてくれる。
夜になると、お酒を飲みながら彼は優しく私の肩を抱き、甘い言葉を耳元で囁く。
そして雲の上にまで連れて行ってくれる。極上で甘美な逢瀬と情愛。彼の悪魔的な愛し方が私を堕落させる。
と、いう妄想を頭の中で盛大に花咲かせている48歳の主婦だ。
現実は、今もパートの帰りで服装もしなびたものだ。不倫のふの字も感じられない、生活感たっぷりな雰囲気を全面に醸し出している。
子供がいない分、若く見られるので、年相応には見られないが、やはり寄る年並みには敵わなく重力に抗えれない体型。
道端でおばちゃんと言われれば、気持ちでは20代のつもりの私は無視を決め込むが現実は、なんだ?私を呼ぶのかこのこわっぱが。と思いながら振り向くのである。
切ない。実に切ない。旦那は旦那で、もう私のことは女と見ていないだろう。すっかり家族だ。いや、同志だ。ちなみに仲はいい。
そしてもう3年私は綺麗なものだ。ぐちゃぐちゃに乱れたいものだが、とても綺麗で清楚なもんだ。
旦那とは仲はいいが、不満は…ないことはない。
そんな妄想で登場した男性はこのカフェの常連客で実際にいる人物だった。
彼はいつものテラス席でコーヒーを飲みながら、優雅に新聞を読み、ゆったりとタバコを燻らしていた。
そんな私と次元の全く違う人の横を、おばさんまっしぐらな格好で自転車を漕ぎ、そのカフェを通り過ぎる。
何気に目を引くほどのイケメンはもちろんだが、何か、漂う雰囲気は他の人より違うというか。人っぽくないような。
悪魔か?!天使か!?ということまで妄想してしまう始末…。
そんな人が私の不倫相手だなんておこがましい。
けど、妄想は誰にも知られないし私の勝手だよね。私の頭の中は私だけのもの。
そうはいいつつ、あの男性のことは気になったので今日は思い切ってカフェに来てみた。
チェーン店のような感じかなと思ったが何気に場違いな気がした。結構おしゃれなカフェだったんだなあ。
そして調べはついている。もうすぐあの男の人が来る時間だ。
「ママーお席ここあいてるよー」
突然騒がしくカフェに入ってきた数人の客。ママ友たちが子連れでドカドカと入ってきた。
その傍若無人な行動に、客の皆が驚きと怪訝な顔をし、あきれていたのだ。そして事もあろうに、私の席の隣に座った。
いや、場違い2が団体で来たよ、しかもツートップで並んだ…。
うるさいってもんじゃないほどじゃかましかった。
やばい、このテンションは仕事帰りの疲れた私にとっては死んでしまう。
移動しよう。
テラスの席に移動した。いつも見てたテラスの席。
なるべくその男がいつも座る席から遠いところに座った。
見るだけ、観察するだけ。そしたら私だけの妄想にまた情報が与えられ、更なる目眩く妄想ができるというもんだ。
けどこんな大胆なことして大丈夫か私。てかこうなるともう末期なんじゃないか。見ず知らずの男の人をおかず…いや、妄想のネタにしとる自分て、終わったな。イタイ、私…。
あはははは…
思わず力ない声で笑ってしまった。
何か楽しいことでもあったの?
背後から私に話しかけてくる声が聞こえた。
え?
振り向くと、彼だった。
え、あ、の…
優しい微笑み…の奥になぜか怪しく光る妖艶な輝きの瞳が一瞬見えた。
さりげなく私のテーブル席に着いた彼。
何事だ。まさか妄想がついに口に出ていたのか。
ここいいでしょ。
は?え?
いつもこの男が座る席は、他の客がいつのまにか座っていた。
私のテーブルに座るこの男は(ま、正確には隣のテーブルだがほぼ私の横に座ることになる近さ。の、イケメン男子。)
か、帰ろう。心臓に悪いこんな人。現実って妄想以上なの?
何このいい香り!フワッと香ってくる!生きてんのこの人、3D映像かなんか?
頭パンクする!
急いで立ちあがろうとすると、不意に動けなくなった。
もう帰っちゃうの?
ひっ!
わっ私の腕掴んでるっ!
マジか!旦那にだってここ何年も触れられないほどスキンシップに乏しいのにそんな!電気走るって!
ねえ、ロミ。何飲んでたの?
その男は私の飲みかけのシナモンラテを一口飲んだ。
きょえー!間接キッス!(もはやオバハン変態発想しか出ない)
私は小刻みに震え、目が若干ハートなのをどうにか納めようとした。男がゆっくりと腕を引く。
やだどうしよう、目が離せない。
その引っ張る手に誘導され、ゆっくりとまた席に座った。緊張のあまり背筋もピンと伸びていた。
彼はニヤリと笑いながら指を私の口元に近づけた。
ラテのクリームが口の端に少しついていてゆっくりとそれを拭った。
頭爆発する!
あ、あのなんですか?
そうだ、彼は私の中では愛しい人だが、現実は全く面識もない赤の他人だった。この問いかけは合っているはず。
はっ!
てかさっき私の名前呼んだよね?
あまりの懐に入るアプローチのうまさに魅了されて時間差で気づくなんてどんだけ!
あの、私のこと知ってるんですか?だ、誰かと勘違いされているのでは?
だんだん冷静になってきたのでまた質問してみた。
当たり前じゃない。俺の彼女でしょ?
ピキッ
全身がひび割れる音がした。
何?これは夢?現実?ドッキリ?
今日はどこかショッピングでもいこうか。
ロミの好きなもの全部買ってあげる。
へー
もう頭の回路がショートしてポカンとあっけに取られてます。魂抜けました。間抜けな顔して間抜けな返事しかできず…。
そんなこんなで彼は私をエスコートして繁華街のオシャレな店に連れていくのでした。
映画でしかみたこともない、かっこいい車に乗せられて、夜のイルミネーションがキラキラして妄想が頭の中から出てきたような世界が、目の前に広がっていました。隣には絶世の美女…じゃなく超絶イケメンがいる。
そして着替えさせられた服は、妄想の中で着ていた綺麗でエレガントなワンピースだった。
髪もメイクもセットしてもらってこれからディナーに連れて行ってくれるのだそうな。人生でディナーって初めて言ったわ。
これもベタに高級ホテルの最上階のスカイレストラン。夜景がキレイ。ひくほどに。
ラウンドソファのテーブルに座った私の横に、彼はピッタリとくっついて座ってきた。雰囲気は最高の上行ってる。アゲアゲパリピ満開フォー。
終始甘い微笑みをして私を見つめる彼と、その見つめられるビームに、ホワーと顔をほてらせ照れる私。
そうだ、これ妄想でも現実でもなく、夢だわ。
師走だし色々忙しくて妄想もできなかったから、きっと疲れて私眠ってしまったんだわ。
そうだ、もうそういうことにしよう。
夢なんて急に覚めるかもしれない、いいとこで覚めるのはいつものこと。とにかくこの状況、今は楽しもう。こんな心地のいい時間を過ごすデートは久しぶりかもしれない。
旦那との初めてのデート、あの時以来か。
…旦那、か。そういえば夕飯の準備の時間が…。
彼は私の髪に触れながら、ささやく。
俺が君の中にいつもいるよ。
甘い、甘い、甘い。
溶ける溶ける溶ける。
けど、いつも妄想して私の中にいたのは事実。
いけないこともずっと俺として。
飛ぶ飛ぶ飛ぶ。
イケナイあんなことやこんなことをしてた妄想。
君と一緒に過ごすデートはいつも心が熱いよ。
ホット!ホットッ!
俺のかけがえない愛しい人。
彼は私の額にくちづけた。
死んだ。
甘い時間が過ぎ、フラッシュのように目の前がパチパチと光りだした。そして断片的に彼が映る。だんだん深い眠りに誘われ最後の残像は、フワリと夜の街に消えていった彼だった。
ブラックアウトから覚めると、あるものが目の前に現れた。いつも乗っているボロの赤い自転車の前にロミは立っていた。時計を見ると2時間が経っていた。
やっぱり夢…?
夕飯の買い物をして、トボトボと商店街を歩いていると後ろから声をかける人が。
「ロミ、今日は遅かったんだね。残業?」
ニコニコしてこっちに来る男は私の旦那だった。
この人もすっかりおじさんになった。1つ年上だけど童顔のせいでギリおっさん枠からは外され、会社では若い女子社員から人気だそうな。
本人談なので信憑性にかけるが。そういえばいつもニコニコして私をみてくる。
「ちょっとね。今日は早いんだね。」
「うん、今日は仕事納めだよ。忘年会も顔出しただけで後は任せて帰ってきたよ。そういうロミも今日まででしょ。お疲れ。」
そう言って、私の頭をナデナデした。
え?あ。
そんな旦那の横顔を見ると自転車を押しながら、どこか清々しい表情をしてた。
耳が少しピンク色になっていた。そうだ、旦那は照れると耳がピンクに染まるんだった。私の頭、撫でただけでそんなに照れちゃうの?
私、何やってたんだろ…。
「今日はお鍋だよ」
ロミは勢いよく買い物袋を高く持ち上げた。
「わあ!やったーー!」
「奮発してカニも買った!」
「えー!」
「けどこんなちんまいの。」
両手でカニの影絵をするみたいにして旦那に見せた。ハハハと笑ってくれている。
「あ、ロミ、なんかついてる」
不意に旦那が私の口元についていたクリームを拭った。
「あー、残業じゃなくてお茶してたな。」
「え、あ、うん。1人忘年会してた」
「なんだそれ、俺も呼んでよ」
「じゃあ帰って2次会しよう」
「俺はまだ1次会だけどなー」
2人は笑って良い雰囲気のまま、商店街を抜けて家路に着く。
やっぱり私、カフェで眠りこけて夢を見たんだな。
2人はうちに着くと夕飯の支度をし、一家団欒を楽しんだ。今年もたくさん2人でいろんなことをしたなあ、なんて思いつつ、さっきの夢は夢じゃなかったのかもしれないと思った。けれど、私の振り向く方向ではないなと、なんとなく納得して私の中の妄想が完結してしまった。
もう頭の中にはあの男の人のことは浮かばなくなった。
31日。
「ここ、休みないの?」
俺はカフェの店長が持ってきたワインを飲み、彼に聞いた。
「明日は休みますが明後日からは開けますよ。お客さんはお仕事納めは?」
「俺は年中無休だから。」
タバコに火をつけプカリとふかした。
「あの人、俺を休ませないから。」
生きていくのに休みなんて無えって、とんだブラックだな。
冬夜、あなたがやるべきことはまだまだある。
全て終われば帰ってきなさい。
「今何か聞こえませんでしたか?」
店長は隣のテーブルを拭きながらそう聞いてきた。
「ん?何も聞こえなかったけど。近くの商店街からの音じゃないか?」
たまにいるんだ。
声の聞こえる人、そしてさっきのロミも俺の正体を当てる人だった。
俺はまたタバコを燻らした。
テラスにはストーブが焚かれ、ぼんやりとした火の灯りが冬夜の足元を照らしていた。
完
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