第7話 〜ムメの場合〜
〜ムメの場合〜
ニャー。
俺の足に猫が擦り寄って来た。
テラスの席には近所の野良猫がたまに来る。
元々、ここのビルのオーナーである老夫婦が飼っていた猫らしいが、今は1人(1匹)で野良生活を謳歌しているみたいだ。
時には店の、入り口の隅にちょこんと座り、招き猫のように、客に愛想を振りまいている。
決して店の中には入らないが、テラスの方へは、欄干の上に座ったり、隅の方のデッキに座り、すました顔をして客の方を見ていたりする。
グレーの毛色に青い目と、とても綺麗で上品そうな猫だ。
彼(オスだった)は、こうして俺の足に擦り寄ると、決まってあの人からのメッセージが来る。
ん?今日はそういえば。
俺はジャケットの内ポケットから、スマホを取り出した。
『こんにちは。もうすぐそちらに着くわ。いつものを頼んでおいてくれないかな。』
『わかった、彼が早々とお待ちだよ』
『あら、急いで行かなきゃね』
やりとりを終えて、俺はウェイターを呼び、紅茶とレモンケーキを注文した。
ウェイターが去った後、
あ、お前のミルクを忘れたな
俺は足元にこじんまりと座る彼に目をやると、小さくコロコロした声で鳴いた。まるで、お願いねとでもいってるようだ。
ウェイターは、テーブルに温かな紅茶と、ツヤツヤのシュガーコーティングされた、レモン色の素朴な佇まいのケーキを運んできた。
「今日も美味しそうね、レモンケーキ。」
「ムメさん、ほんとに毎回この小さいのでいいの?いくら好きだからってせっかくの誕生日なのに。もっとでかいのにするとかさ」
俺はウェイターに、彼(猫)のミルクを頼んだ。
いつもの小さな皿に入ったミルクを持ってきた。
「十分です。これくらいが幸せなんです」
「欲がないよねえムメさんは。」
「欲がないわけじゃないわ。欲しいものはあるけれど過分はしないの」
足元にいる彼は、ミルクを飲み終わると、また欄干の上に登り、顔を毛繕いして静かに微睡んだ。
「相変わらずあの子は、付かず離れずね。おうちにいた時はベッタリだったのに。自由になったら私のことなんて忘れたのかしら。あれで見守ってるつもりかしらね」
「そんなもんでしょ。彼らは。」
俺はタバコを取り出し煙を燻らせた。
「私もたまには悪いことをしたいな。」
「ダメですよ、タバコは。体に悪い」
ムメはふふっと笑い、あなたが言ってはダメでしょうと俺に言い、俺もふっと笑んだ。
「一年に一度、あなたに会いたいって言うのは、欲じゃないかしら」
コーヒーをひと口すすり、俺は彼(猫)の方を見る。彼は無の顔でこちらを見ていた。
「いつでも会っていいのに。」
「私だって涼亮さんの迷惑にはなりたくないわ。これでも気を遣っているのよ。それに、滅多に会えない方が、高揚感があってドキドキするじゃない」
そんなこと言うから俺は、
「今は?ドキドキしてないの?」
俺はコーヒー置き、ムメさんに詰め寄る。
「いじわるね、涼亮さん。」
「こうやって、一年に一度会えるだけで嬉しいの。昔みたいに一緒には暮らせないけど。恋人に戻った気分で。」
ウェイターが俺のテーブルに近付いてきた。
「お客様、お連れさまはまだお越しではないのですか?もしよろしければ、紅茶、お連れさまが来られた時に再度温かい物をお出ししましょうか」
テーブルの上の紅茶は、すっかり冷めてしまっていた。
「いや、いいよ。このままで。」
ウェイターはそうですかといって、店の奥へ戻った。
「たまには目の前に現れてもいいんだけど、ムメさん。スマホじゃなくても」
「昼の日中に、薄気味悪いものが見えたら気味が悪いでしょ。それにあなた1人で話していても、あなたが変な人に見られちゃうし。」
俺は、ずっとスマホでメッセージを送っていた。
ムメさんは、ここのビルRyo bldg(リョウビルディング)のオーナーの奥さんだった人だ。
俺が初めてここに来た時、ムメさんから話しかけて来た。
耳には届くが、姿は見えなかった。
なぜか一年に一度、ムメさんの誕生日にだけ現れる。
大好きだった紅茶とレモンケーキをここで、オーナーと食べるのが好きだったと言う。
ちなみに俺は、涼亮という名前ではない。
ムメさんの勘違いはいつまで続くかな。
俺は、一年に一度のムメさんとのひとときは、ムメさんの気が済むまでやめないでおくことにした。
完
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