第6話 

 久遠愛華くおんあいかさんが告げたその場所は、いろどり植物園があるこの場所から見て、はるかに遠いところにあった。したがって、徒歩で向かうのは現実的ではない。かと言って、交通手段を利用するにも何らかの道具が必要だが、それが現実世界のものと全く同じだとは限らないだろう。そう考えた清水は、久遠愛華さんと一緒に、元いた現実世界へと一旦、帰還した。


 現実世界の見慣れた光景を眺めつつ、清水が久遠愛華さんに尋ねる。


「それで、深緑しんえん高校というのは?」

「それはですね、私と葉室夏樹さんが通っていた高校なんです。とは言っても、彼が深緑高校に通い始めたのは、途中からだったんですけどね」

「つまり、葉室夏樹さんは転校生だったということでしょうか?」

「そういうことになります。具体的に言うのなら、高校1年生から高校2年生に進級するときですね」

「なるほど。高校2年生の時ですか」


 そう言いつつ、久遠愛華さんに返す適当な言葉が見つからなかった清水は、口の代わりに手を動かし始める。すぐに、電源がオンに変わり、ゲートが開いた。清水は、久遠愛華さんを連れて、パラレルワールドへと繋がっているゲートの中に入っていった。


 そうして、ゲートを通り抜けた2人が真っ先に目にしたもの。それは、長い歴史を感じさせる古い木造校舎だった。周りを取り囲むように等間隔に植えられた樹木に、日の光を浴びて黄金色に輝く校庭の砂も見える。この校舎は今も使われているのだろうか。それとも、廃校になって現在は使われていないのだろうか。そんなことを清水が考えていると横から声がした。久遠愛華さんの声だった。


「清水さんは見るのが初めてだと思いますが、ここが葉室夏樹さんと私にとって1番の思い出の場所なんです」

「そうなんですね。深緑しんえん高校を見ていると、なんだか、心が落ち着きます」

「でも、私が通っていた深緑しんえん高校とは少し違いますね。例えば、校門のデザインとか、植えられている木の種類とか」


 そう言う久遠愛華さんの顔には、深緑しんえん高校に通学していた時を懐かしむ気持ちが表れていた。もしかしたら、クラスメイトとの何気ない会話や、当たり前だった授業風景が脳裏に蘇っているかもしれない。清水の頭の中で、学校のチャイムが流れた。再生し終わってもまだ音が再生されていることに清水が気が付く。チャイムは、深緑しんえん高校の木造校舎から聞こえていた。


「チャイムが鳴りましたね。授業が終わったんでしょうか」

「多分そうだと思います」


 そう答えた久遠愛華さんが一瞬、悲しい顔を浮かべた。清水は、その理由が気になり久遠愛華さんに質問をする。


深緑しんえん高校が廃校の危機に直面しているんですよ……」

「確かにね。でも深緑しんえん高校がなかったら、僕たちは出会えていなかった。これは今でも変わらない事実だと思うよ」


 聞き取りやすく、それでいて落ち着いた声だった。誰だろうと思い、声の方向に身体ごと向ける。すると、そこには、すらっと伸びた手足に、目鼻立ちの整った1人の青年が立っていた。


「すみません。貴方は、まだ僕の名前を知らないですよね。僕は、葉室夏樹はむろなつきといって、この深緑しんえん高校出身なんです」


 いつからいたのだろう。この世界に再び来た直後はいなかったはずだ。それでも、そのことについて聞くことはえてしなかった。


「久遠愛華さんとはどのような関係なんでしょうか?」

「元恋人で、今は友達です」

「何かきっかけのようなものがあったんでしょうか?」

「高校卒業後の進路選択の違いが1番大きな要因だったと思います。僕は、地元の大学に進んだ愛華と違って、遠くに離れた料理の専門学校に進学しましたから」


 そう答えた葉室夏樹さんは、どこか悲しい顔をしていた。恋人だった久遠愛華さんと離ればなれになることは、この世界にいる葉室夏樹さんにとって、つらい出来事であったに違いない。


「そこで、深緑高校を卒業した後の進路が決定した時点で、お互いに真剣に話し合って遠距離恋愛をすることに決めたんです。そうだよね、愛華?」

「うん」


 久遠愛華さんは、葉室夏樹さんの話を肯定するように首を縦に振った。


「でも、遠距離恋愛は長くは続かず、結局、深緑高校を卒業後、約1年で恋人関係を解消しました。それまで、ずっとあった筈の好きという感情が僕の中で減っていったことが原因ですが、もしかすると愛華も同じような気持ちを抱いていたのかもしれません」


 清水は、久遠愛華さんの言っていた事を想起した。久遠愛華さんの中で、結論は出たのか。それは、まだ分からなかった。


「そこで、僕は一旦、友達に戻ろうと提案したんです。その方がお互いの大切さを再確認できますし。何より、自分の夢を叶えるための目標を立てやすいですからね」

「夏樹君の夢が何か聞いてもいい?」


 聞いたのは、他ならぬ久遠愛華さんだった。


「僕の夢は、レストランを開業して自分の創作料理をお客さんに楽しんでもらうこと。でも、今はそれができるだけの知識や技術がほとんどないから、夢雲ゆめぐもホテルっていう有名なところで修業をしているんだ」


 夢を語ってくれた葉室夏樹さんの目は生き生きとしていた。きっと、夢を叶えるための努力を苦痛だと思わない人は、こういう顔をしているのだと清水は推察した。それから、わずかな時間が経過したとき、葉室夏樹さんが別れの挨拶を告げた。


「では、僕はこの辺で失礼します」


 葉室夏樹さんが背中を向ける。そうして、葉室夏樹さんの姿が遠のき、その姿が見えなくなった時、


「私、決めました」


 という久遠愛華さんの声がした。何をとは聞かなかった。俺が知る必要はない。久遠愛華さんの心の中で答えが出たのなら、それで十分だった。


「葉室夏樹さんに1度、私の正直な気持ちを伝えたうえで、私たちのこれからの関係について決定したいと思います」


 その後、清水は、久遠愛華さんと一緒に現実世界に帰った。久遠愛華さんがかわいらしくお辞儀をする。


「今日は本当にありがとうございました」


 久遠愛華さんはそう言うとスタスタ歩き出した。迷いの吹っ切れた、そんな歩き方だった。俺も、そろそろ事務所に戻らなければ。清水は、久遠愛華さんの通った道とは別のところを選び前に進んだ。

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