第5話

 約束の日となった月曜日。清水は、いろどり植物園に来ていた。ここは、交通アクセスが良く、僅かばかりの入場料で入れることから、カップルにも人気の場所となっている。いろどり植物園が色恋植物園なんて呼ばれることがあるのも、そうした所以ゆえんからだろう。


 しかし、俺がいろどり植物園を訪れたのは、デートの為ではない。異世界旅行というお客さんの目的を叶える為だ。今回のお客さんである久遠愛華くおんあいかさんとは、この植物園の中にある温室で待ち合わせすることになっていた。


 料金を払い、いろどり植物園に足を踏み入れる。すると、目の前に立っていた数本の木が、清水を歓迎するかのように、葉を大きく揺らした。清水は、それを木木ききなりの挨拶だと解釈し、いろどり植物園の奥の方へと進んでいった。


 いろどり植物園の中は、様々な植物が周りの風景と溶け込むように顔を出していた。それなのに、雑然とした感じが全くしない。この植物園ならではの居心地の良さが、人々を惹きつけているのだ。ここもある意味では、異世界なんだろうなと清水は思う。都会から切り離された自然という名の異世界。清水は、そんなことを頭の中で考えながら、植物園の中にある温室に辿たどり着いた。


 温室の中では、熱帯で生えているような植物が数多く展示されていた。普段、見慣れないような植物ばかりだったので、足を止めてじっくり観察してしまうくらい夢中になれた。そうして、温室の中を半周した時に、前方に若い女性を見つけた。久遠愛華くおんあいかさんだった。


「お早いんですね」


 観覧植物から、清水の方に目線を移すと、久遠愛華さんはそう言った。


「仕事ですから、時間に余裕を持って行動しているんです」


 清水と久遠愛華さんの間に、静寂な時間が流れる。だが、幸いなことに、そこに初対面の時のような気まずさはなかった。


「少し早いですけど、行きましょうか」


 ゲート・ナビゲーターである清水が、久遠愛華さんに声をかける。


「はい」


 久遠愛華さんが、短い言葉で返事した。清水は、それを肯定的な返事だと受け止めると、温室の近くにあるゲートに案内するため、久遠愛華さんの前を歩きだした。


 温室の外は、先ほどまでと変わらず、緑が大地のほとんどを支配していた。俺は、温室の出入り口付近から唯一、認識できるひらけた空間を指で指す。


「あそこの開けたところに、最近、ゲートができたんです。今日は、そこからパラレルワールドに行きます」


 俺がそう言うと、久遠愛華くおんあいかさんは、おかしそうに笑った。


「清水さん、知らないんですか。あの開けた空間はいろどり第1休憩所っていうんですよ」

 

 清水は、それを聞くと久遠愛華さんと同じように笑った。名前があったのかという驚きと、名前があってよかったという安心感。清水の笑いには、その2つの感情が含まれていた。

 

 いろどり第1休憩所には、ゲートだけではなく、男女別のトイレや、ベンチが併設されていた。カップルのような男女も何組かいる。俺と久遠愛華さんも、周りからカップルだと思われても、変ではなかった。


 ゲート・ナビゲーターとして、ゲートの電源を起動する。次に、異世界旅行の行き先をパラレルワールドに指定したら、ゲートが開くのを待つだけだ。俺は、自身の斜め後ろに立っている久遠愛華さんに、顔を向けた。


ゲートが開いたら、閉じられる前に中に入ってください」

「分かりました」


 ゲートが開き始める。それと同時に、清水はゆっくりと、久遠愛華さんは走るようにしてゲートの内部に入り込んだ。


 綺麗にパラレルワールドの地に着地した清水は、勢いそのままに突っ込んで転びそうになった久遠愛華さんの手を反射的につかむ。


「久遠さん、ここがパラレルワールドです」


 清水に支えられた久遠愛華くおんあいかさんは、体勢を立て直すと、周りをぐるっと見渡した。


「清水さん、ここって本当にパラレルワールドなんですか?どう見ても、元いた世界のいろどり第1休憩所としか思えないんですけど」


 無理もない。それほどまでに現実と酷似した世界なのだ。違いはと聞かれれば、久遠愛華さんが、葉室夏樹さんを出会った当初から現在まで変わらずに、愛しているか。それだけだと言えた。


「パラレルワールドというのは本当ですよ。ここが現実世界にとても近いため、その違いに気づきにくいというだけで」

「それなら、ここは現実とどれくらい乖離かいりしているんですか?」

「久遠さんと葉室夏樹さんが交際し始めた瞬間から生まれた世界なので、約4年といったところです」


 久遠愛華さんは、何とも言えない表情をしている。清水は、パラレルワールドについて、完全に理解してもらおうと、さらに踏み込んで説明することにした。


「パラレルワールドは、現実とは似て非なる世界のことです。詳しいことはまだ解明されていませんが、空間にズレが生じることで生まれるとされていますね。また、パラレルワールドですが、誰かが物事において選択をした時に、新たに誕生します」

「でも、その場合、パラレルワールドが宇宙の中で無限に増え続け、いつか飽和状態となってしまうのではないですか?」

「そうですね。したがって、宇宙ではパラレルワールドの選別が行われています」

「選別?」

「パラレルワールドが宇宙の中で作られすぎてしまった際に、そのうちのいくつかの世界を消滅させるんです」


 清水は、驚いて言葉が出ない久遠愛華さんを観察していた。これ以上は言わない方がいいだろう。俺は、出かかっていた言葉を飲み込んだ。消滅の原因が戦争や隕石が多いらしいということ、そして、久遠愛華くおんあいかさんや清水が住む世界だって、別の世界の住人にとっては、パラレルワールドであるということ。これらの情報を、久遠愛華さんには伝えず、頭の片隅へと追いやる。


「それでは、葉室夏樹さんを探しに行きましょうか」

「あの、ここにはいないんですか?」

「それは分かりませんが、いない確率の方が高いです」


 そう言うと、久遠愛華さんは落胆した様子を見せた。しかし、これは仕方のないことだった。ゲート・ナビゲーターとは、現実世界と他の世界を繋ぐ、いわば橋渡し役のような存在であり、それ以上の、ましてや他の世界にいる特定の人間に干渉することなど出来るはずがない。


 清水は、久遠愛華さんと一緒に、現実世界で言うところの、いろどり植物園の中を移動しながら、葉室夏樹さんを探した。だが、結局、発見することはないまま、出入り口付近に来てしまった。


「葉室夏樹さんは、ここにはいないようです。どこか、他に、葉室夏樹さんと久遠さんを繋ぐような重要な場所はありますか?思い出の場所でも大丈夫ですが」


 そう尋ねると、久遠愛華さんは、即答した。


「ありますよ。初めてのデートをした、いろどり植物園よりも思い出深い場所が、1つだけ」

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