パラレルワールド
第4話
暑さが和らぎ、
事務所の扉を開けると同時に、ドアに付けられていた鈴がカランカランと小さな音を立てる。すると、事務所内の応接スペースから慌てたように浜野が姿を現したが、上司の清水だと分かると、すぐに安心したような表情を浮かべた。だが、それも数秒のこと。浜野は、一瞬にして仕事モードの顔に戻り、
「すみません。今、お客さんとお話している最中なので、もし、他のお客さんが来たら、清水さんが、ご対応して頂けますでしょうか?」
と聞いてきたので、俺は、
「分かった。その時は、俺がやるから心配するなよ」
と返答した。その言葉を耳にした浜野は、軽くお辞儀をした後、お客さんのいる応接スペースに消えていった。
俺は、それを見届けてから、普段の仕事場であるデスクの前の椅子に座って、過去3ヶ月分の異世界旅行に関するデータを調べた。そうしたら、全体における黄泉の国の割合が、少しだけ上がっているのが分かった。歳を重ねたお客さんが、死後の世界に強い関心を持ち始めた結果なのだろう。俺は、そんな風にデータの結果を分析していた。最も人気なのは、相変わらず、パラレルワールドだった。
次に、
「浜野、何かあったか?」
「はい、先ほど、異世界旅行のスケジュール調整をしようとお客さんと交渉していたのですが、お客さんに掲示してもらった日程が、全て、他のお客さんの都合で埋まってしまっていて。そこで大変申し訳ないのですが、僕から清水さんに、この業務を引き継ぐことは可能でしょうか?」
通常、お客さんには第3希望の日程まで挙げてもらうようになっている。そのため、お客さんが異世界旅行に行く日が決まらないということは、ほとんど起こらない。しかし、
「可能だぞ。それが、ここのルールだからな。あとは、お客さんの了承さえ得られれば、俺が担当することになるが、それでもいいか?」
「大丈夫です」
その言葉を耳にした俺は、部下である浜野と一緒に、応接スペースで待っているに違いないお客さんのところに向かった。お客さんは、若い女性だった。
「初めまして、清水と言います。ゲート・ナビゲーターを使った異世界旅行の件ですが、浜野の代わりに、私が担当してもよろしいでしょうか?」
若い女性は、清水をちらりと見ると、
「はい」
と短く返事した。俺が担当でも良いということらしい。
「それでは、僕はここで失礼します」
浜野が、一礼して、応接スペースを後にする。それにより、気まずい沈黙のような時間が、清水と若い女性の間に流れた。お互いに、よく知らない間柄なのだから、それは、仕方ないのかもしれない。だが、二人の関係性は、職業人とお客さんであり、彼氏と彼女というわけではなかった。そこで、清水は、
「お名前を教えていただけますか?」
と聞いた。若い女性は、そこから始めるのかと言いたげな驚いた表情を見せたが、質問には答えてくれた。
「
「いい名前ですね」
「ありがとうございます。自分でも気に入っているんです」
「それで、久遠さんにお尋ねしますが、どうして、ゲート・ナビゲーターを利用しようと考えたのですか?」
「私、恋人の男性がいるんです。
それが、どんな理由からパラレルワールドに行きたいという気持ちに繋がるのか、この時点の清水には見当もつかなかった。私にはお構いなくといった感じで、話の先を促す。
「だから知りたいんです。パラレルワールドに存在する
やっと久遠愛華さんの言いたいことが理解できた。つまり、パラレルワールドにいる葉室夏樹さんの仕草や行動を観察することで、久遠愛華さんは、自身の心が高鳴るかどうかを検証する。それが、目的ではないだろうか。
「そういうことです」
「しかし、パラレルワールドで生きている葉室夏樹さんは、今、この世界にいる葉室夏樹さんとは全く異なる存在です。彼という人間を構成する全ての要素が、この世界とかけ離れたパラレルワールドであればあるほど、違ったものになります。それでも良いというのであれば」
「その人が好きであるという気持ちが本物ならば、たとえ、どんな職に就いていようとも、どんな人間関係を築いていようとも、変わらずに愛し続けることができるはずです。違いますか?」
そう主張する久遠愛華さんの目は真剣そのものだった。俺は、
「分かりました。私が、お客さんを、いえ、久遠さんをパラレルワールドにお連れ致します。いつがよろしいですか?」
と言った。久遠愛華さんは、
「今週の土曜日は空いていますか?」
と聞いてきた。手帳を開いて予定を確認する。その日は、別のお客さんとの約束により、空いていなかった。
「残念ながら、他のお客さんの予定が入っていまして。別の日を出すことは可能でしょうか?」
「それなら、来週の月曜日はどうですか?」
「大丈夫です」
「では、そこでお願いします」
俺は、来週の月曜日の欄にペンで予定を書き込んだ。久遠愛華さんは、私に、感謝と別れの挨拶を告げると、事務所のドアを開けて去っていった。
退勤予定時刻になり、外に出る。辺りはすっかり暗くなっていた。空を見上げると、無数の星が光り輝いている。もしかしたら、パラレルワールドというのは、広い宇宙のどこかにある、地球とよく似た別の星の世界のことを指しているのかもしれない。そこには、浜野もいるし、俺もいる。当然、久遠愛華さんもいるに違いない。そこで、はたと久遠愛華さんの言葉を思いだした。
「その人が好きであるという気持ちが本物ならば、たとえ、どんな職に就いていようとも、どんな人間関係を築いていようとも、変わらずに愛し続けることができるはずです。違いますか?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます