パラレルワールド

第4話

 暑さが和らぎ、時折ときおり、涼しい風が頬をかすめる。夏も終わりに近づいて来たのだろうか。清水は、足早に雑居ビルが立ち並ぶ駅前を通り過ぎると、その足で、自身が勤務する事務所へと向かった。


 事務所の扉を開けると同時に、ドアに付けられていた鈴がカランカランと小さな音を立てる。すると、事務所内の応接スペースから慌てたように浜野が姿を現したが、上司の清水だと分かると、すぐに安心したような表情を浮かべた。だが、それも数秒のこと。浜野は、一瞬にして仕事モードの顔に戻り、


「すみません。今、お客さんとお話している最中なので、もし、他のお客さんが来たら、清水さんが、ご対応して頂けますでしょうか?」


 と聞いてきたので、俺は、


「分かった。その時は、俺がやるから心配するなよ」


 と返答した。その言葉を耳にした浜野は、軽くお辞儀をした後、お客さんのいる応接スペースに消えていった。


 俺は、それを見届けてから、普段の仕事場であるデスクの前の椅子に座って、過去3ヶ月分の異世界旅行に関するデータを調べた。そうしたら、全体における黄泉の国の割合が、少しだけ上がっているのが分かった。歳を重ねたお客さんが、死後の世界に強い関心を持ち始めた結果なのだろう。俺は、そんな風にデータの結果を分析していた。最も人気なのは、相変わらず、パラレルワールドだった。


 次に、ゲートの利用回数を場所別に分けて、過去1年分だけ表示し、その傾向を調査しよう。そう思っていたら、近くに人が立っていることに気が付いた。お客さんだと思って、笑顔で顔を上げると、そこにいたのは浜野だった。


「浜野、何かあったか?」

「はい、先ほど、異世界旅行のスケジュール調整をしようとお客さんと交渉していたのですが、お客さんに掲示してもらった日程が、全て、他のお客さんの都合で埋まってしまっていて。そこで大変申し訳ないのですが、僕から清水さんに、この業務を引き継ぐことは可能でしょうか?」


 通常、お客さんには第3希望の日程まで挙げてもらうようになっている。そのため、お客さんが異世界旅行に行く日が決まらないということは、ほとんど起こらない。しかし、まれにこのような問題が発生する。したがって、その際は、誰か他のゲート・ナビゲーターがその業務を引き継ぐことが、この事務所の決まりとなっていた。


「可能だぞ。それが、ここのルールだからな。あとは、お客さんの了承さえ得られれば、俺が担当することになるが、それでもいいか?」

「大丈夫です」


 その言葉を耳にした俺は、部下である浜野と一緒に、応接スペースで待っているに違いないお客さんのところに向かった。お客さんは、若い女性だった。


「初めまして、清水と言います。ゲート・ナビゲーターを使った異世界旅行の件ですが、浜野の代わりに、私が担当してもよろしいでしょうか?」


 若い女性は、清水をちらりと見ると、


「はい」


 と短く返事した。俺が担当でも良いということらしい。


「それでは、僕はここで失礼します」


 浜野が、一礼して、応接スペースを後にする。それにより、気まずい沈黙のような時間が、清水と若い女性の間に流れた。お互いに、よく知らない間柄なのだから、それは、仕方ないのかもしれない。だが、二人の関係性は、職業人とお客さんであり、彼氏と彼女というわけではなかった。そこで、清水は、


「お名前を教えていただけますか?」


 と聞いた。若い女性は、そこから始めるのかと言いたげな驚いた表情を見せたが、質問には答えてくれた。


久遠愛華くおんあいかです」

「いい名前ですね」

「ありがとうございます。自分でも気に入っているんです」


 久遠愛華くおんあいかさんは、自分の名前を褒められたせいなのか、どこか照れているような気がした。


「それで、久遠さんにお尋ねしますが、どうして、ゲート・ナビゲーターを利用しようと考えたのですか?」

「私、恋人の男性がいるんです。葉室夏樹はむろなつきさんっていうんですけど。付き合い始めて、もうすぐ4年になるのかな。当初は、お互いに好きって気持ちがとても強かったんです。それでも、デートを重ねていくうちに、私の中にある恋愛感情が薄れていってしまって。それが、今では、あるかどうかも分からないような状態なんです」


 それが、どんな理由からパラレルワールドに行きたいという気持ちに繋がるのか、この時点の清水には見当もつかなかった。私にはお構いなくといった感じで、話の先を促す。


「だから知りたいんです。パラレルワールドに存在する葉室夏樹はむろなつきさんの姿を恋人としてではなく、第3者の目線から見ることで、私の心の底に、葉室夏樹さんに対する愛が残っているかということを」


 やっと久遠愛華さんの言いたいことが理解できた。つまり、パラレルワールドにいる葉室夏樹さんの仕草や行動を観察することで、久遠愛華さんは、自身の心が高鳴るかどうかを検証する。それが、目的ではないだろうか。


「そういうことです」

「しかし、パラレルワールドで生きている葉室夏樹さんは、今、この世界にいる葉室夏樹さんとは全く異なる存在です。彼という人間を構成する全ての要素が、この世界とかけ離れたパラレルワールドであればあるほど、違ったものになります。それでも良いというのであれば」 

「その人が好きであるという気持ちが本物ならば、たとえ、どんな職に就いていようとも、どんな人間関係を築いていようとも、変わらずに愛し続けることができるはずです。違いますか?」


 そう主張する久遠愛華さんの目は真剣そのものだった。俺は、


「分かりました。私が、お客さんを、いえ、久遠さんをパラレルワールドにお連れ致します。いつがよろしいですか?」


 と言った。久遠愛華さんは、


「今週の土曜日は空いていますか?」


 と聞いてきた。手帳を開いて予定を確認する。その日は、別のお客さんとの約束により、空いていなかった。


「残念ながら、他のお客さんの予定が入っていまして。別の日を出すことは可能でしょうか?」

「それなら、来週の月曜日はどうですか?」

「大丈夫です」

「では、そこでお願いします」


 俺は、来週の月曜日の欄にペンで予定を書き込んだ。久遠愛華さんは、私に、感謝と別れの挨拶を告げると、事務所のドアを開けて去っていった。

 

 退勤予定時刻になり、外に出る。辺りはすっかり暗くなっていた。空を見上げると、無数の星が光り輝いている。もしかしたら、パラレルワールドというのは、広い宇宙のどこかにある、地球とよく似た別の星の世界のことを指しているのかもしれない。そこには、浜野もいるし、俺もいる。当然、久遠愛華さんもいるに違いない。そこで、はたと久遠愛華さんの言葉を思いだした。


「その人が好きであるという気持ちが本物ならば、たとえ、どんな職に就いていようとも、どんな人間関係を築いていようとも、変わらずに愛し続けることができるはずです。違いますか?」

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