第3話 絶望

 アズラルトの言葉に従ってジャガルがセリアを連れてくる。


 両手首をジャガルに掴まれて宙づりにされたまま、未だにセリアは気を失っているようだった。長い赤毛が頼りなげに宙で揺れていた。


「人族のくせに魔族なんかとできやがって! おら! 起きろ!」


 アズラルトが数回、セリアの頬を平手で叩く。だが乾いた音が周囲に響くだけでセリアは意識を取り戻さないでいた。


 ……止めろ! アズラルト!


 ファブリスは叫ぶが声は出ない。ならばと、何とか起きあがろうとする。だが上半身すらも起こせない状態だった。

 この状況を何とか打開しようと必死に足搔こうとしているファブリスに気がついたのだろう。アズラルトがファブリスに茶色の瞳を向けた。


「さっきからごぼごぼとうるさい奴だな。そういえば腹の中にはお前の子供がいるんだったな。魔族と人族との子供はやはり目が赤いのか? いやあ、早く見たいな。うん、見たいものだ」


 後半を芝居めいた口調でアズラルトはそう言うと、魔剣の魂喰らいを鞘から引き抜いた。


 アズラルトがこれからやろうとしていること……。

 ファブリスの全身を戦慄が走る。


「アズラルト、アズラルト!」


 ファブリスは辛うじてアズラルトの名を叫びながら、うつ伏せのままでアズラルトに向かって必死でにじり寄る。


「まだ声が出せるのか。動けるのか。大したものだ。まるで虫けら並みの生命力だな」


 アズラルトは皮肉げに口の端を歪めて薄笑いを浮かべてみせた。続いてアズラルトはその顔のままで、手にしていた魔剣を無造作にセリアの腹部に突き立てた。


 気を失っていたセリアがその両目を一瞬にして見開く。


「い、嫌、何、これ……子供が……子供が!」


 セリアが腹部に突き立てられた魔剣を見て絶叫する。鮮血が瞬く間に溢れ出して大地を赤く染め上げた。


 これは一体、何の悪夢なんだ? 

 家族が見知った顔の村人に嬲り殺しにされ、自分の子供を身篭っている恋人には長剣が突き立てられる。


 いや悪夢の方がまだよかったかもしれない。

 これは本当に現実なのか?


「アズラルト!」


 血の泡を吐き出しながらファブリスは懸命に片手を伸ばす。


「ん? 本当に赤ん坊がいるのか。どこだ。分からんな……ここか?」


 ファブリスの絶叫などを意に介する様子もなく、アズラルトはセリアの腹部に突き立てた魔剣を鮮血と共にこねくり回す。それに合わせてセリアの体が二度、三度と大きく痙攣する。


「い、嫌、や、止めて……お願い……お願いだから止めて……子供が……ファブリス……ファブリス……助けて……いやあ!」

「アズラルト! アズラルト! アズラルト!」


 狂ったかのように叫ぶファブリスにアズラルトが冷たい視線を向けた。


「さっきからうるさいぞ。魔族風情が気安く俺の名を呼ぶなと言ったろう。それに、アズラルト様……だろう?」


 アズラルトはこねくり回していたセリアの腹部から魔剣を引き抜いた。そして続く動作で、うつ伏せとなりながらも辛うじて半身を起こし、片手を必死に伸ばしていたファブリスの背中にその魔剣を突き立てた。


「ふん、魂まで喰われろ!」


 意識が暗闇に飲み込まれる直前、ファブリスはアズラルトのそんな言葉を聞いた気がした。





 アズラルト! アズラルト! アズラルト! 

 ファブリスは漆黒の闇の中で叫んでいた。


 殺す。殺す。殺す!

 どこだ? アズラルト!

 アズラルト、どこにいる!

 家族を村人たちに殺させ、セリアに剣を突き立て、生まれるはずだった子供までをも殺した。 

 

 アズラルトはどこだ?

 殺す。殺す。殺す!

 殺してやる!


 ファブリスは暗闇の中で絶叫する。心が千切れそうだ。感情が焼けついていくのを感じる。絶望を怒りに変えていかなければ自己を保てなかった。


 殺す。殺す。殺す!

 俺が殺す!

 あいつら全員だ!

 村の連中を殺す!

 家族を殺させ、セリアを殺し、生まれてくるはずだった子供を殺したアズラルトたちを殺す!

 殺す。全員だ。全てを殺してやる!


 呪詛の言葉を撒き散らすファブリスをぞくりとした感覚が襲った。ファブリスは背後をゆっくりと振り返る。


 背後には禍々しく得体が知れない赤黒い大きな獣がいた。


「……そうか。貴様が魂喰らいの化け物か?」


 獣は高く跳躍するとそのままファブリスの左肩に喰らいついた。ファブリスの全身をかつて経験したことがない激痛が駆け巡る。瞬時に膝が折れそうになる。


 だが、そんな痛みなどは目の前で愛する者を奪われ、生まれてくる我が子を奪われ、家族を奪われた苦痛に比べれば、どうでもいいと思える類いのものだった。


「……片腕なんぞは貴様にくれてやる」


 ファブリスは二本の指を獣の目らしき部分に突き立てた。獣はファブリスの肩から牙を離すと苦しげに咆哮を上げた。


「人並みに痛いのか? 安心しろ。すぐに楽にしてやる。貴様は俺が喰らってやる!」


 ファブリスはそう吠えるのだった。

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