第一話 カナト1

真創暦12年。

世界が変わり、人類が新たな道を歩き出して、12年。

少しだけ遅くなった世界は、一時の平和を手に入れていた。


カナトは子供の頃、都会から祖父のいる田舎へ越して来た。

疎開、その言葉が分かりやすいかもしれない。当時は真創歴2年頃、能力者同士の戦争を終えた直後だった、また世の中も人々も混乱していた。

当時の事はおぼろげに、少年時代の友達や遊んでいた風景を思い出す事があるくらいで、よく覚えていない。

戦火の影響を受け殺伐とした都会の町並み、大人達の緊張した横顔、そして両親の離婚。

以来、母方の姓の『七瀬』を名乗る事には、少しばかり抵抗があった時期もあったが、今は慣れた。

七瀬叶(ナナセカナト)、それが今の名前だ。


そんな、いつかの事を思い出さずにいられるのは、この場所が同じ国とは思えないほど長閑で、平和だからかもしれない。

目の前には、山々と畑が広がる自然に満ちた風景。

世界のどこかで、能力者や非能力者が、互いをいがみ合っているなんて信じられない。

そんな平和な、この土地からカナトは今日出て行く。

あの殺伐とした都会の街へ。

カナトは、この春から平和維持庁の職員として働く。

それが自分で選んだ道だった。


10年経った、あの街は、今どうなっているのだろうか?


踏みしめる足下には、春の訪れを知らせる草花がある。

背に背負った籠には、畑で収穫した大根、ジャガイモ、人参、様々な野菜が入っている。

重みは確かにあり、食べ応えがありそうだ。

本当は肉も捕りたがったが、早朝に山に仕掛けた獣用の罠には、当てにしていた鹿ではなく、うさぎがかかっていた。

鹿なら良いと言う訳ではないが、どうしても小さな動物には情けが出てしまう、少しばかり足に怪我を負わせてしまった事を気にしながら、自分の手で逃がしてしまった。

どうか元気に生きていってほしい、カナトは弱いものには強くなれない性格をしている。

きっと母譲りなのだと本人は思っている。

念を押して言うなら、鹿だから良いとは思ってはいない。


朝の収穫を終え家に戻ると、玄関先には母の作る料理の匂いがしてくる。

カナトの住む祖父の家は、どこまでも続く田園の中にある。

平屋の木造住宅、家も立派だが庭はそれ以上に広い。

玄関の戸を引き、三和土へ踏み出すとカナトは言った。


「ただいま!」


心なしか、いつもより大きく声が出た。

もしかしたら、寂しさを感じているのかもしれない。

自分が思う以上に。

カナトの声を聞き、奥から母が出てくる。

昼食の準備の途中だった母は、エプロンで手を拭きながら言った。


「おかえり、何もこんな日に、やらなくていいのに」


抑揚の聞いた声は、笑顔と共に優しい。

ふと母が玄関の壁に目をやる。

そこにはスーツがかけられていた。

祖父から譲り受けた、年代物のスーツが仕立てから戻ったのだろう。

カナトはこのスーツを着て旅立つ。


母の表情は心無しか寂しそうだった。

母の心情を察しカナトは言った。


「いつもと、同じがいいんだ」


言葉を受け止める母の笑顔を暖かい、カナトは続ける。


「罠には、うさぎが、かかってた」


少しだけ気まずい気持ちでそう言うと、母は笑った。


「いつもの事でしょ?」


カナト自身、両親の離婚の詳細な理由は知らない、でも疎開した事が原因の一つである事は、当時子供だったカナトにも分かっていた、あれから祖父と二人で育ててくれた。

どんな時も、この笑顔が優しく包んでくれた。


「そうだね」


そう言ったカナトに、母は変わらない声で言った。


「おじいちゃんが話あるって言ってたわよ」


きっと、旅立つ孫息子への餞別の言葉でもくれるのだろう、野菜の詰まった籠を下ろすと、


「分かったよ」


そう言い、祖父の部屋に向った。


祖父は数年前から、自立して歩く事が困難になった。

全く歩けないという訳ではない、でも長時間歩く事は難しく、生活の大部分は自身の部屋のバッドで過ごす事になった。

部屋に入ると、祖父はいつもと変わらず目を閉じてベッドに横たわっていた。

   

「じいちゃん、なに?」


カナトの問いかけに、祖父は目を開いた。


「今日から、なんだろ?」


母に似た抑揚のある優しい声は、耳を通過して心にすんなり入ってくる。

反して開いた瞳は敵意こそ感じないものの、鋭く研ぎすまされた力強さを感じる。


「うん」


少しだけ気圧された、そう感じた、少しだけほんの少しだけだ。


「お前に話しておきたい事がある」


カナトはその言葉を聞き、祖父の口から出て来るのは簡単な餞別の言葉ではない事を感じた。


「座って」


そうカナトに促した声は、やはりいつもと変わらず優しい。

カナトはベッド脇に置かれた椅子に座った。

祖父は、カナトが椅子に座るのを見届けると、少しだけ息を深く吸い視線を外して言った。


「この世の中は、3つの勢力が存在する、真創暦当初の混乱に起きた二種間戦争によって、能力者もそうでない者も、生き方が決まってしまったようにも思える」


「それは僕も知ってるよ」


「分かってるよ、でも聞いてくれ」


祖父の言葉は、強くもなく弱くもない、ただ事実を淡々と話す、そんな口調だった。


「3つ勢力の中で最も大きな勢力は『ジャスティス』、真創暦当初からの、能力者の多数派であり、世の中の治安を守る存在だ」


カナトがこれから所属する平和維持庁は、その者達の頂上にある機関でもある、能力は主に肉体活性、人々に害のないポジティブアビリティと呼ばれる。


祖父は、ジャスティスを良く思っていない、それには理由が幾つかあるが、カナトはそれが両親の離婚の理由の一つであると思っている。

そしてかくいうカナト自身も、ジャスティスに該当する能力者でもある。

その事実は、祖父も知っている。

カナトの気持ちを察してはいたと思う、だが祖父はそのまま続けた。


「次に、能力者の少数派『バニッシュ』だ。彼らはジャスティスと同じく、真創歴当初に発現した能力者だが、攻撃性の高い能力ネガティブアビリティの持ち主であり、厄介な事にその能力を使用しないでいると、自身の肉体に不特定の疾病が発生するというリスクを持っている、そのため犯罪に手を染める者が多く、先の大戦で多くが討伐された」


『バニッシュ』

この呼び名を聞くと、カナトはいつも思い出す事がある、鮮明でもない、本当にあった事なのかさえ不安になるほど微かな子供の頃の遠い記憶。

当時、友人と遊んでいるカナトの前に能力者が現れた、それは子供の能力者だった。

肉体活性の能力を持つ子供。

カナトとその友人が遊んでいるとちょっかいを出して来た、子供じみた悪ふざけだったが、それは最悪の状況を作り出した。

カナトの友人は、その状況下でアビリティを発現させてしまう。

友人は、掌から小さな炎を作り出し、その炎は掌には収まらないほどの火球となった。

それは子供のカナトでも分かる、バニッシュと呼ばれる者達の能力だった。


記憶はここで途切れている。

カナトは、この記憶を母にも祖父にも話していない、それほど曖昧な記憶だと認識している。


「聞いているか?」


気がつくと祖父は、真っ直ぐとカナトを見ていた。


「聞いてるよ」


そう答えた声は少し動揺していた。

祖父は続ける。


「そして第三勢力『フラット』、能力発現をしていない人類。近年では能力者への迫害思想が広まり、人間の亜種として能力者を位置づけることによって、持たぬ者達の優位性を確立しようとしている。人類の大半がこれに属していて、私もその一人だ」


言い切った祖父は目を閉じ、再度目を開くと真っ直ぐな目でカナトを見て言った。


「お前は、根が優しい」


先ほどの説明とは比べ物にならないほど優しい声だった。


「そうかな?」


動揺と照れ隠しで答えたカナトに、祖父は言う。


「ああ」


「そっか」


「だから、これから先、お前が傷つく事は避けられないだろう」


そう言った祖父の目は、変わらず優しい。


「お前の家族として願うなら、出来る限りお前以外の他者を思うように、自分を大事にしてほしい」


そう聞いたカナトは、自分の持つ優しさが母譲りであると同時に、あなた譲りでもあると言いたかった。


「分かったよ」


そう聞いた、祖父はまたさっきの力強い目をして言った。


「行ってこい、沢山の人の為に戦え、そして救え」


カナトは思う、この祖父の言葉に恥じない自分でいたいと。


「ありがとう」


カナトはそう言って立ち上がった。

踵を返し、部屋の外え向うと、カナトの背に祖父が言葉を発した。


「カナト」


「ん?」


振り返ったカナトは、少し驚いた。

祖父の目に力強さは無く、明らかに言いにくそうな何かを言おうとしている顔をしていた。

先ほどとはまるで別人の様な顔で、祖父が言う。


「もう一つだけ、言っておく事がある」


「……なに?」


「お前の父親の事だ」


父親。

カナトは、もう何年も会っていない。


「ああ……」


「お前の父親は、悪魔のような男だ、だが己の力であそこまで上り詰めた、お前にはその血が流れている、自分では考えもつかないほど大きな力が、お前にはきっとある」


祖父の口から、父の話が出るのは初めてだった。

家族の中で、父の話はタブーとなっている。

カナトにとっては、聞きたくない訳ではないが聞きたい訳でもない話。

ずっと会っていない父親。

今となっては他人と同じかそれ以下の存在。

祖父は続ける。


「大きな力を持った者はそれをいかに使うか、そして使わぬかを自身で判断しなくてはならない……」


そこで祖父は言葉を詰まらせた。

父親の話をするのが、気が進まないのだろう。

同時に、可愛い孫が自分の娘と袂を別けた男の力を受け継いでいるというのは、カナトが思う以上に複雑なのかもしれない。

カナトは、祖父に言いたくないのなら言わなくてもいいと声をかけようとした。

祖父は、そんなカナトの気遣いに気付いたのか、優しく笑った。

そして言った。


「だがな、もしその時が来たら、迷わなくていい、自分の為に、そして守るべき者の為に、その力を使え」


「うん、分かった」


祖父の目は真っ直ぐで、カナトはただその目を見つめ返すだけだった。

話を聞いている間、ずっと母の作る料理の匂いがしていた。

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