2-16 異変

地平線の向こうから茜色が空を染め始めている。

 夕焼けの光は真っ直ぐに渡り廊下へと差し込んでいて、渡り廊下で自分を待っていた蕪木の横顔にも注がれていた。


「遅かったわね」

「……悪い」


 蕪木への返答がワンテンポ、遅れてしまった。

 夕焼けが差し目元の赤みが見えにくくなっているがそこには確かな赤みがあって、自分の心は締め付けられたからだ。

 対して蕪木は自分の手に持たれた封筒に蝶の封蝋が付いていることを確認すると、ほっと息を吐いた。

 

「良いんだな、蕪木」

「ええ。お願い」


 覚悟を持って大きく頷いた蕪木を見届けた自分は、沈んでいく夕日と向かい合い、封筒をてのひらに乗せた。

 そして、祝詞のりとを告げる。


「汝に願う。蝶の姿を借りて、想いをあるべき場所へ」


 祝詞を告げると土居原先生の時と同様に、封蝋は溶け出し蝋の繭が蕪木の想いを包み込んだ。

 これで蕪木の想いは部長に伝わる。

 蕪木の心が、部長の心が救われてくれる……はずだった。


「なんで、だよ」


 目の前に広がる光景に自分と蕪木は驚愕した。

 普段であれば繭のようになった蝋が割れだし、透明な羽を持った蝶が生まれる。今回もその蝶が生まれるはずなのだが、一向に繭が割れる様子を見せなかったのだ。


「本多。どういうこと、なの?」

「……分からない」

「分からないって。これじゃ」


 不安に包まれる蕪木の表情。その表情を見てしまった自分は、上手く手に力を伝えることができなくなって、繭を手から滑らせてしまう。

 地面に落ちた繭はコン。と軽い音を立てて地面にぶつかると、転がって蕪木の足に当たり止まる。


「……そんな」


 コンクリートの床に落ちても小指の爪の先ほども欠けない蝋。

 それを見つめる蕪木の瞳が、風を受けた蝋燭の火のように揺れていた。


「何で。何で飛んでいってくれないの……」

「っ。蕪木!」


 糸が切れたマリオネットのように膝から崩れ落ちた蕪木。自分は慌てて駆け寄ると蕪木を胸に抱き、力の入らなくなった身体を支える。


「っ……」


 覗き込んだ蕪木の瞳には力がなく、体からは立ち上がろうとする意志を感じられない。

 絶望した。と言うべきなのだろうか。期待を裏切られ、後悔の傷が深くなり、もう部長に伝えられないのだとあきらめてしまったのだ。


「くそっ!」


 どうしようもない悔しさから、蕪木を抱きとめる手に力が籠る。

 なんでこんなことになってしまったんだよ。土居原先生の想いを過去へ飛ばした時と同じことを、同じ条件でやったはずだろ?

 何が違うっていうんだよ!?


 頭を駆け巡る疑問。

 対して蕪木の想いが閉じ込められた茜色の繭は、夕日に照らされ艶やかに輝くばかりだった。

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