2-13 梅にしかわからないこと
日残念ながらを一日またいだくらいで気持ちが整理されるわけがなくて、いつもは楽しみな昼休みも憂鬱な気分で心が埋め尽くされていた。
こういう時、屋上が解放されていれば風当たりに行くこともできるのだろうけれど、教師の許可なく屋上の立ち入りは禁止されている。だからと言って校舎の外に出たところで寝そべることも出来ず、ひとり考えることも難しい。そのため、自分は教室棟であるA棟の奥にある工場棟に来ている。
この棟の三階と四階を繋ぐ踊り場の外側の壁には、天井から床まで届く大きな窓ガラスがはめ込まれていて、屋上ほどではないが大空を眺めることができる。雨量の多い北陸の土地柄のため澄み切った空を毎日期待するのは難しいけれど、晴れた時の
そんな穴場スポットを見つけて以来屋上代わりに使ってきた自分は、悩みと時間を溶かす場所として、夜は車庫の屋根、そして学校のある日はこの踊り場を利用している。
自分は教室から持って来ていたリュックを枕にして、仰向けに寝転がり窓の外の空を眺める。
空は自分の願いを見透かしているかのような青く澄み切っている。このまま悩みや時間だけじゃなくて、自分の存在も全てあの空に溶けてくれないかと自分は目を閉じた。だけど、そんな不相応な願いは叶えてもらえるわけもなく、階段を伝って自分の耳に届く軽い足音が、自分を現実へと引き戻す。
その足音は自分の枕元に来たところで、ぴたりと止んだ。
「購買に行っている間に居なくなっていると思ったら、やっぱりここだったかい」
「……万次郎」
自分が名前を呼ぶと万次郎は自分の顔を覗き込み、白い歯を見せながらにいっと笑った。
「お弁当を教室に置きっぱなしにしているんだから、よっぽど大きな悩みがあるんだろうって思ってね」
「食べる気分じゃなかっただけだよ」
と嘘を言ってみるが万次郎は全てお見通しなのだろう、自分に許可も取らずに隣に座るとカロリーメイトの箱を開けた。
「ほら、お腹の中に入れときな。午後の授業、持たないぜ」
万次郎は箱から取り出したカロリーメイトの小袋を一つ、自分に差し出す。
食べる気分はない。というのは本当のことで、正直受け取るのすら#億劫_おっくう__#だった。だけど親友の善意を無下にできなくて、自分はカロリーメイトを受け取った。
「げ、チーズ味かよ」
「僕の好みだからね、文句は言わせないよ」
と万次郎はそれこそ文句がつけられないような笑みを浮かべ、自分に言った。
メープル味が至高であることは譲れないのだが、今舌戦をしたところで何の意味もない。
カロリーメイトの封を開けると、二本入っているうちの一本を口の中に放り込んだ。
「その様子だと大領中さんと喧嘩でもしたかな? それともまた、蕪木さんと?」
「……その両方だよ」
「うわあ。モテると大変だねえ」
「笑えない冗談は嫌いなんだが」
「そうかな?」
と万次郎はすっとんきょんな顔をすると、カロリーメイトをかじった。
自分もそれに倣い残ったもう一本のカロリーメイトをかじると、万次郎は空を眺めながら自分へ尋ねた。
「梅は僕に話す気はあるかな?」
「……お前に話して解決できるならな」
「うーん、それは難しいね」
万次郎は苦笑いを浮かべると、最後の一欠けらを口の中へ入れた。
ぱんぱんと指に付いた粉を掃うために手を叩きながら万次郎は言う。
「だけど、黙って聞いてやることはできるよ。それが許されるのは親友の特権さ」
「万次郎」
お前はどうしてこう、いつも器用でられるのだろうか。
羨ましさと同時に憎たらしさが心の中で生まれたけれど、今はただ親友の申し出に甘えることにした。
自分は万次郎へ蕪木と部長の間で起きた全てのことを話した。
「なるほどね。それで梅は飛ばすべきか悩んじゃった訳か」
「飛ばすべきだって思っている。何より、本人が望むことだ。おれが否定して良いものじゃないって」
思っているはずなのに、あの日返された神紙を蕪木に渡せないままでいる。
「気持ちを伝えた方は後悔が消えたとしても、受け取る方はそうとは限らないと」
「むしろ酷くなる一方なんじゃないかって、嫌な想像ばかりが先にくる」
「確かにねえ。多くの場合、もう会えないところに居る人へと気持ちを伝えることを望んできたものだから、僕としてもその答えは持ち合わせていないなぁ」
万次郎は仲介人であった過去を思い出しているのだろうか、空を眺める目を細めた。
「だけどね、梅。素直に気持ちを伝えられなかった人たちへの救済措置。神様はきっとそのつもりであの紙を生み出したのだろうけど、なにも伝えられなかった人たちだけが救われるわけではないんだろ?」
「それは、そうかもしれないが」
部長はその伝えられること自体を拒んでいるんだ。
そんな相手に届けたって意味ないんじゃないのか。
「……梅、君のへそ曲がりは頑固なもので、この僕だって呆れるくらいさ」
「なんだよ、今更。というか、今関係ない話はだな」
「でも、そこが梅の良いとこでもある」
「? どういうことだ?」
「言葉の通りに受け取らないのが、君のひねくれた性格の良いところだろ」
「?」
訳が分からなくて頭に疑問符を浮かべる自分に対し万次郎はしてやったり。と言うように笑った。そして、部長のお決まりのセリフを借りて言う。
「想像力を高めな梅。必ず道は開けてくるから」
「お前まで、言うのかよ」
さんざん言われてきた言葉に今の心境も相まって#辟易__へきえき__#とする自分。
しかし、万次郎の言うように想像をした先に答えがあるのは分かった気がした。
『梅ちゃん、想像力を高めなさい。そうしたら人生は豊かになるから』
目を閉じると踊り場には居るはずのない部長が居て、自分の背に向け語りかける。その顔にはいつもの笑顔が無くて、むしろ。
「っ」
自分は両手の拳を強く、固めた。
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