2-12 主人公
まだ胸に残る痛みを感じながら、自分はポケットからスマホを取り出すと部長に電話を掛けた。
コール音が鳴る度に心臓の鼓動が早くなっていく。五コール目にはもう、心臓が持たないような気さえして、早くとってくれと強く願ったのだけれど、結局部長が電話に出たのは十コール目だった。
「やっほー、梅ちゃん。こんばんは。だね」
いつも通り、明るい部長の声。
そのいつも通りが聞けて自分は安心すると共に、その明るさをこれから奪わってしまうのだと、改めて理解してしまって再び胸に痛みが走る。
「珍しいね、梅ちゃん。電話をくれるなんて」
「悪かったな、こんな時間に」
「いいよー。椿も梅ちゃんの声を聞きたいなー。って、思っていたし」
「冗談はよしてくれ。そんな気分じゃないんだ」
「えー。ちょっとは付き合ってくれても良いのに―」
と言ってハムスターのように頬を膨らます部長の姿が、電話越しても容易に想像できる。
しかし、普段なら笑えたこの状況でも自分は笑うことができなかった。
「認めたくないがおれは冗談が上手くないようだから単刀直入に言わせてもらうが……蕪木と中学時代に起きたこと、聞いたんだ」
「……そうなんだ」
部長の声のトーンが下がった。
踏み込まれたくない過去に踏み込まれたためであろう。それでもだ、自分は聞くしかない。
「何があったのか、部長の口から聞かせてほしい」
「……わたちゃんから、全部聞いているんじゃないの?」
「ああ、聞いているよ。だけど、それだとフェアじゃないだろ」
「そうかな?」
「そうだよ。だからおれは部長に電話を掛けているんだ」
そう自分が言い切ると、部長はしばらく口をつぐんだ。
沈黙に耐えきれない自分の心。太鼓のような心臓の音が自分を囃し立てる。それでも、自分は部長の言葉を待った。
やがて部長が深く息をした音が聞こえ、再び口を開いた。
「梅ちゃんは、本当にやさしいよね」
「そんなことはないさ」
「ううん。やさしいんだよ。出会ったときから思っている椿が言うんだよ。間違いないでしょ?」
「っ……ああ。部長はいつも正しいよ」
出会った時からずっと自分はそう思っている。
だけど、今回ばかりは引き下がれない。
「話してくれよ、部長」
「……わたちゃんの時のように待とうとしてくれないんだ」
「部長の場合、器用に逃げ回りそうだからな」
「そんなに、器用じゃないと思うけどなあ」
とぼけるように言う部長。しかし、話すことは止めない。
「本当にわたちゃんが話したことが殆どだと思うよ。椿とわたちゃんが友だちになって、いっぱい悪さして、離れた」
「蕪木の言葉で、か」
「……わたちゃんがそう思っているのなら、きっとそうなんだろうね」
「っ……
肯定も否定もしない答えに、自分は唇を噛む。
「部長は! ……待っていたんじゃないのか、蕪木を?」
「……そうなのかもね。本当は椿が待っていた」
「それなら!」
「でもそれは、梅ちゃんが背負うことじゃないよ」
「っ。それは」
「そうでしょ、梅ちゃん。これは椿とわたちゃんの問題だよ。わたちゃんがどういう風に思っていても梅ちゃんが背負って傷つくべきことじゃない」
「だけど」
「梅ちゃん―もう、良いんだよ。想像するだけ疲れるんだから」
「っ……部長」
言って欲しくなかった言葉。返ってきてほしくなかった言葉に自分は言葉を失った。
いつだって部長は自分たちに想像することを促してきた。
退屈をしている時、ひねくれてしまった時。そして、前を向けなくなってしまった時に。いつだって部長はその言葉で自分のことを励まし、道を示してくれたのだ。
そんな部長が想像することを諦めた。諦めてしまった。
その事実はあまりにも自分には大きすぎる衝撃で、言葉を失わせ沈黙が生まれてしまう。
生まれてしまった沈黙は、更なる部長の言葉を引き出した。
「実はね、梅ちゃん。多分、これだけはわたちゃんが話してないだろうから言うけど、わたちゃんと昨日電話したんだよ」
「え?」
「わたちゃんは何も言わなかった。椿も何も言えなかった」
何も。
「椿たちはもう、そんな関係なの」
「だから、もう良いんだよ」。と全て諦めてしまったかのように、部長は言った。
「…………」
何が、だからなんだよ。と物語の主人公たちなら言えたのだろうか。
そうだとすれば、ここに主人公なんていない。夏の夜空の下に居るのは、何も言えない無力な高校生だけだった。
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