1-7 擦り傷

 さて翌日の放課後を迎えたわけだが、図書室の扉の前で自分は立ち尽くしていた。

 これまで通りなら、蕪木わたはこの扉の先に居るはずだ。だけど、脅迫(まがい)事件があってから二日目。たったの二日しか経っていないのだ。普通に考えれば居ないだろう。むしろ、居たらびっくりする。

 まあ、火事の現場なんかでは犯人が現場に戻ってくるなんて話があるわけだ。万が一も考えて今日ここに来たわけだが……流石に脅迫現場に戻ってくるようなやつは。


「居たよ」


 グラウンドが見える窓際の席、西日がよく入る日当たりの良い席に蕪木わたは針金でも入っているのか背筋をぴんと伸ばして座り、ノートを開いてペンを走らせていた。

 その姿を見て自分は思わず頭を抱えた。ここまできたら心臓が合金でできているんじゃないかって疑いたくなる。

 とは言えだ、ここに居るのなら話は早い。

 自分は半分呆れながらも目的を達成させるために蕪木の元に歩み寄った。


「これ以上、近づかないで」

「っ」


 残り二歩という距離まで近づいたところで、蕪木に制止させられた。視線はノートに視線を向けたままのはずなのに、気配を感じ取ったのだろうか? まるで漫画の中の忍者だな。

 その蕪木はペンをノートの上に置くと、ひたいを抑え大きく息を吐く。


「どうやら言葉が足りなかったようね。もう一度言うわ。わたしに関わらないで。と言ったのよ」

「そう言われたってな、はい分かりました。で引き下がるほど素直に育ってないんすわ」

「……本気で痛めつけられたいと?」


 自分の余計な一言が琴線に触れてしまったのだろう、蕪木はオレンジのペンケースの中からカッターを取り出し、自分に向けた。収納こそされているが刃#装填そうてんされていて、蛍光灯の光を反射していた。

 流石に刃が装填されている状態で向けられては笑い話にも出来ないわけで、自分は頬と背中に冷や汗が流れる。


「蕪木が本気で関わってほしくないって思っているのなら、そうすれば良いさ」

 なんの根拠もなく自信満々に自分が言うものだから蕪木は警戒したのだろう、こちらを睨みつけるばかりで何もしてこない。ただその代わりに自分へと質問をしてきた。


「あなたは昨日のことでわたしに謝罪でも求めているのかしら?」

「別に、あれはお前がああでもしないとまともにしゃべれないから、仕方のないことじゃないのか」

「そうね。だから今日もそうしようかしら」

「ここまで普通にしゃべっているんだ。もう通じねえぞ」


 スライダーに添えていた指を自分に向けスライドさせようとした蕪木。流石にまずいと思った自分は制止するように言うと、少し間をおいてから蕪木はテーブルの上にカッターを置いた。

 出来ることならペンケースに戻してほしかったけれど、話が進まなくなるので放っておこう。


「あんまりオブラートに包むのが得意じゃないから直接言うけどよ、蕪木、お前は何を後悔しているんだ?」

「……今あなたに話したところで、わたしの機嫌がリーマンショックを受けた株価のように急降下するだけよ」

「まじかよ」


 ただでさえ、不機嫌そうに受け答えしているのに、蕪木の機嫌の底はまだあるらしい。


「言ったはずよ。忘れてくれれば、それ以上何も必要ないと」

「っ。だけど、お前はおれに過去が変えられるのか尋ねただろ」

「…………」

「お前は後悔を消したいんじゃないのか?」

「うるさい!」


 図書室中に響き渡るような声で叫んだ蕪木。再びカッターを手にすると、自分の鼻先へと突きつける。出てこそいないが間違いなく装填されている刃を恐れた自分は、大きくのけぞった。それだけなら良かったのだけれど、最近の自分はどこまでもついていないのだろうか、足がもつれてしまい盛大に尻餅しりもちをついてしまう。

 その姿が滑稽こっけいだったのか、それとももう関わることすら面倒になったのか、蕪木は自分の心臓を射抜かんとばかりに睨みつけた後、乱暴に勉強道具を鞄に片づけた。そして自分を避けて通り、わたし怒っています。と言わんばかりにつかつかと早歩きで図書室を出ていった。 

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