1-8 策士現る

 蕪木との交渉は見事に失敗。白い天井を見上げながら自分は項垂うなだれる。

 やっぱり駄目だったじゃねえかよ。

 無駄だと分かっていても、自分は心の中で万次郎を責める。酷いって? いつか謝るから良いんだよ、多分。

 親友に対して悪態を吐く自分を、図書室に隣接する図書準備室の扉から覗きこむように見ている先生がいた。そのことに気づいたのは、その先生に声を掛けられてからだった。


「なんだか嵐が過ぎ去った後のような顔をしていますよ、本多さん」

土居原どいはら先生」


 自分は土居原先生の名を呼ぶと、先生は応えるように微笑みを返してくれた。そして、こちらへと歩み寄ってくるので、自分は迎え入れるためにも立ち上がりズボンに付いたほこりを払った。

 土居原先生はこの学校の司書の先生で、よわい五十路いそじを越えたくらい。若い頃からあまり切ることがなかったという髪は、うなじ辺りで結ばれ笹の葉のように左肩に流れている。

 元々穏やかな人柄で感情の起伏が激しい人ではないのだろうけれど、どの生徒に対しても変わらない懐の深い対応から学年問わず多くの生徒たちから愛されている先生だ。それも全ては自分たちよりも倍の年月を過ごしてきたためなのだろうけれど、皮肉にも聞こえてしまうかもしれないので先生を前に口にするのはNGだ。

 そんな土居原先生は心配するような表情をしながら、同時に申し訳なさそうな声で自分に言う。


「すいません。盗み聞きをするつもりはなかったのですが。怒鳴り声のようなものが聞こえましたから」

「あはは。すいません」


 自分は汗がしたたる頬を右の人差し指で掻いた。

 いくら昼休みの時うるさくなるのが常とは言え、この部屋が図書室であることは変わらない。だから静かに利用するのがルールであり、注意をしに来るのは必然のことだろう。

 しかし、土居原先生は注意することよりも蕪木のことが気になるらしい。


「蕪木さんとけんかをしたのですか?」

「いや、喧嘩けんかと言うか一方的にやられたというか。まあ、よくある擦れ違いみたいなものです」

「あらあら。それは困りましたね」


 口元に手を当て控えめに笑う土居原先生。もちろん脅迫まがいのことをされました。なんて言えないわけだが、先生の中では痴話喧嘩ちわげんかのような可愛らしいものになっているのだろう。


「ちなみに、原因を聞いてもよろしいですか?」

「原因ですか?」


 答えにくい質問に自分は再度頬を掻いた。

 昨日、脅迫(まがい)のことをされて、その原因となった蕪木の後悔について尋ねようとした。なんて事情の知らない土居原先生に言おうものなら、混乱してしまうだろう。

 だからと言って下手に取り繕うものなら、あとで蕪木に何を言われるか分からない。

 自分はあごを触りながら考える。できるだけ誤解を生まずに説明できる方法を。


「……変な質問をしますが、もし後悔が消せる可能性があると言われたら、先生はその権利を行使しますか?」


 考え抜いた結果、自分は質問をすることにした。

 質問をした手前、まさか質問が返ってくるとは思っていなかったのだろう、土居原先生は驚き少し首を傾けた。しかし、数秒ほど考えるそぶりを見せた後、自分の質問に答える。


「後悔ですか……そうですね。少し悩みますが、きっと頷くと思います」

「えらく素直ですね」

「あらあら、良いのではないですか。後悔が消えてなくなるってことは、素敵なことだと私は思いますけど」


 土居原先生の顔に浮かぶやさしい笑みを見れば、その言葉に嘘は無いことは分かる。


「そのような質問をされるということは、本多さんは後悔を消すことが可能なのですか?」

「ええ、まあ。後悔を消す。という言い方は正確じゃないかもしれないですが」


 もちろん、蕪木の言った通りこの場で証明をすることは難しいのだけれど、土居原先生は信じてくれたようで微笑みを浮かべた。そして、信じてくれたからこその質問を自分に投げかけた。


「本多さんはどうして蕪木さんにその権利を行使してほしいと思うんですか?」

「え、おれですか?」

「はい。蕪木さんにこだわっているように見受けられましたから」


 こだわっている?

 思いもしなかった質問に、まぬけにも口がぽかんと空いてしまった。

 まあ、確かに半分脅迫まがいに対する仕返しをしてやりたいという気持ちもある。しかし、あくまで仕事として蕪木の後悔について知ろうとしているわけであって、それ以上の理由はないはずだが。


「本多さんが気付いていないだけで、実は気にかけていたのではないですか、蕪木さんのことを?」

「……さあ、どうですかね」


 好奇心のためか、子どものように悪戯いたずらっぽく尋ねる土居原先生。対して自分はわざと大きく首を傾げて見せた。

 確かに、蕪木の顔は西洋人形も恥じらうほど整っているのだから、自然と目線が奪われていたのは否定できない。だけど、それ以上に他人ひとの後悔を消す仕事をしてきた以上、消したいほどの後悔を見過ごせないというのが本音だろう。


「まあ少なくとも、今の状態だったら話すことすらまともにできないですけどね」

「あらあら。仲直りしないとだめですよ」

「いや、元々仲良くはないですから」

「そうなんですか? 私にはいつも二人で過ごしているように見えていましたが」

「…………」


 言葉に詰まった自分は右頬を掻きながら苦笑いをする。

 まあ、はたから見ればそう見えなくもないだろうが、実際のところはまともな会話もできなかった間柄だ。仲良くなんて口が裂けても言えたものじゃない。

 だけど、放課後の図書室に来辛くなるのは自分としても避けたい。まともに部活もアルバイトもしてこなかった自分にとって、部長や万次郎と過ごすオカルト研究部以外に放課後の余りある時間を過ごす場所はここしかないからだ。

 しかし、そうなると必然的に蕪木との和解をしなければいけないのだが。


「……できますかね?」

「そうですね。正直、難しいと思いますよ」

「ですよねー」

「はい。ですから、少しだけならお手伝いしましょうか?」

「良いんですか?」

「ええ。擦り傷もしっかりとケアをしなければひどくなってしますから。……それに、素直になれない子を見るとどうしても手を貸したくなってしまうのものなのです」


 土居原先生はどこか後ろめたさを含んだやさしい笑顔を浮かべると、自分に作戦の内容を話し出した。

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