3-p07 誕生祭のぬい
暗くて狭い部屋でヒデアキは目を覚ました。
体が動かない。
空中を何かが漂って近づいて来る。
小さな赤い体。
金魚だ。
小さい頃住んでたマンションの玄関にいた、あの金魚。
腹を上に向けてひっくり返ってしまっている。死んでしまっているのだ。
ふいに、金魚から火が出た。そしてその火は小さな部屋の中にあっという間に広がった。
体が動かない。
怖い。
このまま誰にも知られずに焼かれて死んでしまう。
部屋が燃える。
炎の向こう、人影があって黙ってこちらを見ている。
──夢に見る獅子王の怒りに似た、怪しげな厳かさが……
それはとてもよく知っている姿だった。
「シンくん!」
ぱっと目の前が明るくなった。
ヒデアキはシンタローに、ふにふにと頬を引っ張られていた。
「おーい大丈夫か」
「きんぎょが……」
「ん?」
傍らのローテーブルに芥川龍之介の文庫本がある。国語の課題図書で配られたものだから真新しい見た目だ。
アヤトは真面目に心配してヒデアキの顔色を見ていた。
「苦しそうな声出してたけど。どっか痛い?」
「大丈夫。なんか、変な夢見た」
シンタローが、
「こんな狭いとこで寝るから」
と呆れてソファを見下ろしている。
ちょっと離れたダイニングのテーブルに、ワイングラスがあるのが目に入った。
「お酒飲んでる」
とヒデアキが言うと、
「うん。冷蔵庫整理のシメに」
とアヤト。夕食のメニューも冷蔵庫大掃除会のような内容だった。
千景まで、
「ワインって、冷蔵庫入れっぱはよくないんじゃねえの?」
なんて言いながら小さいグラスで同じものを飲んでいるのだった。
シンタローが解せぬ顔をして千景を見る。
「ぬいはホント、飲み食いしてどこに消えてるのか謎だな……」
「こまけえこたぁ、いーんだよ」
千景の声に重なって、ぴぴぴぴ、とアラームが鳴った。
ローテーブルの端で、こちらも寝落ちてタオルに寝かされていた碧生が、ムクっと上半身を起こした。ちょっと眠そうに瞬きをしてから、タオルの上で立ち上がる。
「誕生祭の時間だ」
ちょうど12時だ。
「今から、何かあるの?」
とヒデアキ。普段は寝落ちたら絶対起きない碧生が、はっきりと覚醒しているのが珍しかった。
「ツイッターで、おれの本体の誕生祭が開かれる」
碧生は自分のスマホでツイッターを開くと、そのまま吸い込まれるように画面に夢中になっている。
「お。17日になってる。誕生日じゃん」
とシンタローがヒデアキに声をかけた。
「おめでとー。ちょうど起きててよかった」
とアヤト。
「二人一緒ってのは、覚えやすくていいな。ダブルでおめでとうだ」
と千景。
口々に祝われて、
「ありがとー」
と言ってからヒデアキもツイッターを見る。
「誕生祭って、僕も入れる?」
「普通にタイムライン見てたら、タグの付いたのが流れてくる。タグをクリックするともっといっぱい出てくる」
碧生の説明を受けて、ヒデアキも碧生と同じ画面を、自分のスマホで見る。
碧生の誕生日を祝う言葉と、綺麗なイラストやマンガや写真など、なかなか気合の入った力作がツイッターのタイムラインに溢れている。
ぬいたちが「本体」と呼んでいる8等身キャラのイラストが描かれたケーキの写真とか、精巧に作られたアイシングクッキーとか、キャラグッズで構成された芸術的な祭壇の写真、そして特別な衣装のぬいの写真なんかも目を引いた。
フォローしているレコステファンたちは、みんなこの日のために時間をかけて準備していたようだ。
「すごいな。全部見るのは朝までかかりそうだ」
碧生はじっくり拝見しては、てしっとハートを押している。
「今年もありがたい話だぜ」
と千景もツイッターアプリを触っている。
千景は「観」という名前のアカウントを持っていて、要するに観察用なのだが、それで気に入ったツイートには「いいね」を付けるのだ。
「ヒデアキも、昨日撮ったコマ撮りをアップしてくれ」
「オーケー」
千景ぬいと碧生ぬいでミニチュアケーキを作るコマ撮り動画。
ツイッターに投稿されると、しばらくして次々と「いいね」とリツイートが増えていく。
「あ。松神碧生生誕祭がトレンド入りしてる」
誰かが、トレンドをスクショしてタイムラインに流していた。
千景が空飛ぶタオルを使って、ヒデアキにグラスを、碧生にミニチュアグラスを差し出した。
「まあ、飲め」
紫の透き通る液体が入っている。
「お酒はちょっと」
「こっちは、ブドウジュースだ」
「なんだ、ジュースか」
金色の飾りが付いたグラスを受け取り、空を翻るハンカチタオルを見て、ヒデアキはあることに思い当たった。
「そうだ。前の家に金魚、いたよねえ?」
「いたいた。シンタローがお祭りで掬った金魚。あれ10年近く生きたんだよ」
父が懐かしそうな顔をしている。ヒデアキは続けて尋ねた。
「最後、供養とか、したよねえ?」
シンタローは、
「え。なに怖いこと言ってんの」
とちょっと動揺した様子だ。
※※※※※※※※※※
episode3に関しては、ちょっと遡って金魚の話を足しました。
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