2.5-p02 棒餃子を作るぬい

 千景ちかげはほぼほぼ昼寝、時々タブレットで読書。

 碧生あおいは最初はゲームで遊んだりゲーム動画三昧をしていたが、いつのまにやらレシピ動画にハマって、


「おれ、ちょっと冷蔵庫行ってくる」


と食材を確認しに行ったりしていた。

 千景は考える。

 弟は弟で、そして自分は自分で、少しずつニンゲンを幸せにし続ける。

 きとしけるもの皆それぞれに、取り戻せない喪失がある。

 いつかヒデアキだって育って、ずっとずっと未来の先、遠いどこかへ消えてしまうだろう。

 自然の摂理は寂しなあ、と思う。

 でもそれ以上考えないようにした。弟の前で寂しい顔はしたくないから。

 千景は最近はナツミがアイデアだけ出していた特殊なプログラムを、カジュアルダウンしてネットで公開する作業に没頭している。

 碧生が戻ってきた。


「兄さん。晩メシ、棒餃子ぼうぎょうざでいいか?」

「お。いいねえ。この家に棒餃子嫌いな奴はいないだろ」

「じゃあ、そうする。レンコン入れるのもいいらしい。チーズも中途半端に残ってたし、バリエーションを作ろう」


 緩やかに風が吹いてタオルやシーツを揺らし、ぬいの肌を撫でていった。


「秋の風だなあ」

「うん」


 碧生はまたハンモックに乗って、晴れた空を見上げる。


「国語の教科書に、秋のこと書いてた。あききぬと、めにはさやかにみえねども、かぜのおとにぞおどろかれぬる」

「呪文だな」


と千景が笑った。


「命が元通りになる呪文が、あればいいのに」

「そうだなあ」


 しばらく沈黙があった。前にこうして体を洗ったときはナツミがいて、ヒデアキやシンタローとは話をしたことがなかった。1年もたってないのに随分と懐かしいような、恋しいような気持ちだ。碧生が呟く。


「もっと早く、おれたちのこと言ってよかったのに」

「腐女子のみなさんは警戒心が強いんだ。タカセンには身バレしちまったなー」


 千景は高瀬先生のことを、シンタローが言ってたみたいなカジュアルな名で呼んだ。

 世界は意外と狭いもので、例えば会社ですぐ隣に座っている人が、姿を知らない同好の士かもしれないのである。


「ナツミは『オタクに触れたら血が覚醒してしまう』なんて心配してた。でもヒデアキもシンタローも思ってた反応と違った」

「シンタローはまっっったく興味を示さないし、ヒデアキはどちらかというとネタ探し? でレコステやってるような感じだしなあ」


 普通に生きてる兄弟に、あんなにすんなり受け入れられたのは実は拍子抜けだった。


「ツイッターで友達1000人、できるだろうか」


 碧生は難しい夢を見るように呟く。


「水面下でアニメ化の動きがある」

「!」


 千景がもたらした情報に碧生が小さく息をのんだ。


「結構良い制作陣になりそうだ。放送されれば新規のファンが増えるはずだ。地道にやってれば、自然と輪が広がるんじゃねえか?」

「地道に、か。……でももっと何か、すごいって思ってもらえるものを作りたい」

「へー。メシテロじゃなく?」

「テロって感じでもないだろ」

「何か、ねえ……」

「……バット振って考える」

「そうだな。運動は発明のタネだ」

「うん」


 気温が一番高い時間を過ぎ夕方を迎える前には、ぬいたちの小さい体はふっくらと乾いた。



***




 夜。

 ヒデアキが部活から帰ってくると、家の奥から「ぽこん、ぽこん」と不思議な音が断続的に聞こえている。

 リビングの隅には折り畳み式の蚊帳が置いてあって、碧生がフルプロのプレイ動画をテレビに出してそれをBGM代わりにティーバッティングの練習をしていた。


「ただいまー」


とヒデアキが声を掛けると碧生は手を止めた。


「おかえり。場所借りてるぞ」

「体、乾いた?」

「うん。風がさらっとしてて、乾くの速かった」

「その練習場、いいな」


 ヒデアキは蚊帳を見る。

 碧生がボール入れから小さなボールを取ってティーに置いた。


「たまには、アナログもいいだろ」


  びゅっ ぽこん  ぴしっ!

 打球が、蚊帳に取り付けられた的に当たった。

 ホームッラン! とアナウンス付きで、テンションの高い音楽が遠慮がちな音量で流れる。


「あとでちゃんと片付ける」


と碧生。


「いいよ、そのままでも」


とヒデアキが言う間に、


  びゅっ ぽこん  ぽすっ

 今度はボールはネットに当たってラグの上に落ちた。


「片付けは大事だ。エントロピーが増大しすぎると、手がつけられなくなる」


 碧生はちょっと難しい言葉を言ってまたボールを打った。

 エントロピー増大。

 秩序が時の移ろいとともに無秩序に変わっていくことを、そういう風に表現する人が割と多い。

  びゅっ ぽこん  ぽすっ ころころころ……


「アヤトがギョウザ焼いてくれるって。手を洗ってこい」


 碧生が促したが、ヒデアキの中ではこの瞬間、ゴハンよりも碧生の練習への興味の方が僅かに勝っていた。

 蚊帳を覗き込んで、


「トスしようか。トスバッティング」


と声をかける。

 碧生はちょっと驚いたみたいで、それから嬉しそうな顔をした。


「じゃあ……ちょっとだけ」


 ヒデアキは蚊帳に手を突っ込んで、


「いくぞー」


と集中力を高め、小さなボールを碧生の手元めがけて放った。

  すかっ

 ボールは変なところに行ってしまって、碧生の小さなバットはあえなく空を切った。


「あれ……」


 気を取り直してもう一回トライしてみたけど、ぬいの打ちやすい場所にトスするのは至難の業だ。


「……ごめん。やっぱ難しい」

「まあ、そうだよな」


 廊下の向こうで、


「オラッ! メシだメシ!」


と声がした。

 タオルで空を飛ぶ千景の姿。

 その小さな手にシャツを引っ張られるようにして、父も部屋から出てきた。


「お父さん。出てきたってことは、〆切間に合いそうな感じ?」

「あとは、最後に読み直して送信するだけ」

「おー。今回は割と早めだ」


 食卓の上に降り立った千景は、お風呂の効果で心なしか肌がキレイになっている。

 蚊帳から出てきた碧生も同様だった。


「シンくんは」


とヒデアキが尋ねると父は、


「今日は遅くなるからゴハンいらないって」


だそうだ。

 大皿には、綺麗に巻かれた棒餃子があとは焼くだけの状態で並んでいた。

 碧生が皿の横から、焼く係の父に説明している。


「このへんがプレーン。ここはチーズ入り、このへんはレンコンと大葉のさっぱり風味。ベーコンポテトと、デザート代わりにりんごバナナ入りもあるぞ」

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