2-p03 黒歴史に配慮するぬい

【9月3日】


 緑茶を淹れた湯飲みを祭壇に置き、線香を立てる。

 朝6時。

 父がいっときいなくなった部屋でヒデアキは、


「お母さん」


とコソコソと骨壺に向かって呼びかけた。


「『わたあめ』に来てたの、何て返事すればいいかなあ。よくわかんないことに『ありがとう』って言っていいのかなあ……」


 しん、とした静寂だけが返ってきた。

 胸の奥がツンと痛む。

 答えを待つわけでもなく佇んでいると、


「今日は早起きだな」


と千景の声がした。振り返るとぬい兄弟が並んで部屋に入ってきた。


「おはよう。いつも朝、早いね」

「この頃、早く寝てるからな」


 ぬいたちはさっきは小さな布団にくるまって、デフォルトのぬい顔で目を開けて眠っていた。

 ぬいも夢を見るのかな、なんてちょっと考える。

 千景ちかげ碧生あおいはヒデアキの部屋で寝起きするようになっていた。元々の生活スペースは母の作業部屋だった。でも今はそこでは、父が夜通し書き物をしている。2人の間へ入って行くことに、ぬいたちは遠慮があるみたいだ。

 碧生が、


「そうだ、兄さん。ナツミのアカウントって別のがあるのか?」


と千景を見上げた。

 碧生もヒデアキも昨夜、千景が母の部屋で「考えごと」をしている間に寝落ちしてしまった。だからその疑問を千景に確かめる機会がなかった。


「ん? いやそんな、いくつもないだろ」


と千景。碧生が、


「それが、こんなメッセージが来てた」


と「わたあめ」に届いたアツいメッセージのスクショを見せた。

 千景は、


「ん-?」


と眉間に皺を寄せ、


「あちらのアカ?」


 昨晩のヒデアキたちと同じように、気になる部分を読み上げた。

 父が朝風呂から戻ってきた。


「あれ? みんなここに集まってるの」


 風呂に入る前はゾンビみたいにフラフラしてて心配だったけど、ちょっと人間らしさを取り戻している。

 ヒデアキは父に、


「お父さん。あ……」


 「『あちらのアカ』って何か知ってる?」。

 そう尋ねかけて踏みとどまった。そもそも父は、母のツイッターの存在を知っているんだろうか。

 ぬいたちの様子を窺うと、積極的にその話をするそぶりはなく黙って人間2人の様子をちらちら見上げている。


「え? 何かあった?」


と父はキョトンとしている。


「あー……あ、あさごはん、パンでいい?」

「うん。今日またお母さんの会社に行ってくるから。留守番しててくれる?」

「わかった」

「まだ早いから、もう少し寝れば」

「じゃあ、あと1時間ぐらい寝る」


 ヒデアキは今、忌引きというやつの真っ最中だ。

 数日は学校に行かずに、家で母の冥福のために心を尽くす。


「そうだ、お母さんのツイッター、ヒデくんが続けてたんだねえ」

「!」


 ふいに父から言われて一瞬呼吸が止まった。

 この言葉がこのタイミングで出てくるとは思わなかった。


「なんでわかったの!」

「わかるよー。他にいないから」


 床の低いところから、


「知ってたなら話が早い」


と千景のイケボが話に入ってきた。


「アヤトが見たツイッターって、どういう感じだった?」

「どういう感じって? チカちゃんとアオちゃんの写真の。それとコンビニのお菓子とか、シンくんのカップでラテアート作った写真もあったし、お母さんからもらった飛行機の箱もあったよね」

「……お父さんが見てるって思わなかった」


 ヒデアキは唖然とし、


「それは『あちらのアカ』じゃねえな」


と千景の判断。


「あちらのアカって、何」


 父も、皆と同じことを言った。


「もうひとつあるらしくって。今ちょっと探してる」

「警察はそんなこと言ってなかったけどなあ」

「え……警察も見てたの」

「警察に教えてもらったんだ。ツイッター探して人間関係でトラブルがなかったかとか、調べてたみたいだよ。事故の後も更新されてたから、それでお父さんとこに連絡があって色々聞かれた」

「最初のはヒデアキじゃなくておれの撮った写真だ。ちょっと暗いやつ」


と碧生。それから、


「『あちらのアカ』、目星は付いてる。昨日ヒデアキと一緒に探した」


 ずっと床の方をを見下ろしているのも据わりが悪くて父が、


「ここ、来る?」


と机を指差してぬいの前に手を伸ばした。

 掌に乗って、フェルトの体2つがが机の上に運ばれる。

 移動が終わると碧生は話を続けた。


「きっと鍵つきアカウントだ」

「そうそう。昨日、碧生くんと2人でレコステやってる人のツイッターを調査したんだ。すごいいっぱいあった」


とヒデアキ。

 今までぬいの写真はツイートしていたが、他の人のツイッターを見ることはあまりしていなかった。自分のことで精一杯だった感じだ。

 余談だが、昨夜見たアカウントの半分ぐらいは腐女子の人がBL二次創作を載せているものだった。碧生の原型がネタになっているツイートを、碧生ぬいと一緒に読むのは妙に気まずい感じがした。碧生自身は「ツイッター、いつもこんな感じだ」なんて他人事のような涼しい顔をしていた。

 その碧生が机の上から昨日の「調査」の説明を続ける。


「今使ってるアカウント名と関連ありそうなのを洗ってみたけど、ピンとくるのはなかった」


 母のツイッターIDは「chiHALrec」。HALというのは十中八九「2001年宇宙の旅」から。「chi」がついてるのは、一番の推しが千景だから……という可能性が高い。もう確かめることはできないが。

 recは言わずもがなで REcorded Stella のことだ。


「『アンソロ』っていうのの紹介はあって、ナツミはマンガを描いて友だちと雑誌みたいなのを作ったらしい。本になったのが部屋にあるかと思って探したけど、見当たらなかった」


 母の部屋は大きい本棚があるけど、端から端まで見ても『アンソロ』らしきものは見当たらなかった。記念の一冊らしいから本棚でなく特別な場所に入れている可能性もある。そこまでは捜索しきれていない。


「『あちらのアカ』にはマンガが置いてあるはずだ。消去法で関係なさそうなのを消していったら、残ったのは鍵付きアカウントだけだ。フォローリクエストが許可されれば、中身が見られる。でもナツミの鍵アカは、今は許可する人がいないから申請しても中身が見られない。特定だけは運が良ければできるかもしれないけど、あんまり意味がない」


 碧生は訥々と告げて、


「警察に聞いたら、どうにかなるだろうか」


と結構真剣に考えている。


「いやあ、このタイミングじゃもう調べてくれないんじゃないかなあ」


と父の見解。

 この調子では「あちらのアカ」は永遠に謎のままだ。


「暴かない方がいいんじゃねーか」


と千景が急にマジメに言った。


「ナツミだって、母であると同時に一人のオタクだ。自分の世界を守りたくて鍵付きにしてたんだろ。だったら知らないままでいてやるのが、大人の思いやりってもんだ」

「そうだねえ」


と父も同意している。


「お父さんも、オタクの内輪向けに書いた文章とか、絶対見られたくない」


 父は今でこそルポタージュ寄りの硬派な作家の顔をしているがもとは草創期のゲームオタクで、ホームページを作って批評やエッセイなんかを載せていたらしい。

 いわゆる黒歴史である。

 とはいえそういうのは、周りは別に「黒」とは思ってないことも往々にしてある。自意識の問題だ。

 書斎に鍵付きの棚があって、ヒデアキが近づくと父はすごく嫌がる。きっとそこに絶対に見られたくない過去の制作物が入っているんだろう。


「碧生くんはマンガに出てるのに。見られないの、変だ」


 ヒデアキは困って骨壺の方を見た。


「おれは別にいいけど。でも、ナツミのマンガ、見れるんなら見たい」


 碧生は遠慮と好奇心の間で揺れていた。

 シンタローが起きて廊下をのそのそと歩いてきた。


「何? 揉めてんの?」

「シンタローだって、昔作った中二病の曲を聞かれたらイヤだろ」


 父から急に話を振られて、


「中二病の大人に中二病って言われた」


と彼は眠そうだった目を大きく見開いた。それから、


「オレはそんな、恥じるよーな曲作ってねーし!」


 不満を述べながら皆の様子を見回した。ミュージシャンになるような人間は一生不治の中二病のようなもんだ。


「シンくん、あちらのアカって何のことか知ってる?」


 多分知らない、とわかってはいるけどヒデアキは尋ねた。


「あちらのアカ?」


 これで5人目の、同じ反応である。


「お母さんのファンの人が言ってた」

「ん? ツイッター、会話しない方がいいって言ったろ。写真だけにしとけ」

「ツイッターっていうか、わたあめ。メッセージ送れるやつ。これ」


 ヒデアキがくだんのメッセージをシンタローに見せる。


「……ふーん……。ファンは大事にしろよ」

「僕じゃなくってお母さんのだけど」

「へんふよ、って。わざわざ言ってくれてるんだから、無理に返事しなくてもいいんじゃね? どうせヒデアキは母さんじゃないんだから」

「……そうだけど。わかるんなら知りたい。だってこの人はマンガ見てるんだし」

「わかるんならなー。それ、せっかくだから印刷して、母さんが読めるとこに置いとこう」


とシンタロー。ハタチそこそこなのに意外とアナログ志向なところがある。

 兄の提案に従って「わたあめ」をカード状にして祭壇に置くと、書いた人と読んだ人の間に割り込むのはよくないな……、とヒデアキにもなんとなく腑に落ちた。

 ような気がしてた。

 この時は。

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