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ヒデアキとぬいたちはルーフバルコニーに出た。
今まで素振りする以外あまり使ったことがなかったけど、気分転換するにはいい穴場だ。暑いことだけガマンすれば。
新学期になったし、平日の昼のバルコニーには誰もいなかった。
近くの壁に張り付いてツクツクホウシが鳴いている。
空を銀色の小さな影がゆっくりと進んで行く。
「ひこうきだ」
あずまやの石のベンチに座ってヒデアキは思わず呟いた。
その隣で
「ひであきのひーは、ひこうきのひー」
と歌うような声を発した。
「千景くん、それって……」
「飛行機乗ったとき、ナツミが動画見てた」
懐かしい。
幼稚園のころ、そんな出鱈目な歌をよく歌っていた。録画されていたのか。
飛行機の鉄の機体、エンジンの音圧、魔法みたいに雲の上を飛んで知らない場所に連れて行ってくれる。無機質な佇まいなのになぜか命が宿っているように見えてた。今だって実はそうだ。意志を持って飛んでいるようにも見える。
貰った飛行機の箱を空に掲げた。
底のラベルに書かれた”Stella”の文字が目に入った。
「ステラ…… ”
ヒデアキの独り言を聞いて千景が、
「まあ、それもあるけどなあ……」
少し考えながら語った。
「制作者が言いたかったのは、どちらかといえば遺伝子のステラのことだろ」
「遺伝子のステラ。なんか、聞いたことある」
「レコステは遺伝子絡みのシナリオが多い。遺伝子操作のときにステラはマーカー……目印にしやすい。配列に個性が強く出るからな」
人間は遺伝子の乗り物。
母の部屋の本にそんな話が書いてあった。小学生の頃に背伸びして読んだ本だ。
したいこと、好きになる人、嬉しくなる気持ち、悲しくなる気持ち。自分で決めているようでいて真相は、遺伝子が増えるために人間を操っているに過ぎない。人間は操られているにすぎない。そういう考え方。
なんだか怖くなって母にその話をしたら、
「それはまあ、動物だからね~」
と当たり前のような反応だった。
「お母さん、遺伝子が命令したら僕のこと捨てる?」
不安で指先が冷たくなるような感じがしてた。
母の手が伸びてきてヒデアキを抱きしめた。
あの頃はまだ母の方が大きくてヒデアキの方が小さかった。
「捨てないよ。お母さんの遺伝子はそんなこと言わないから。それにお母さんは、家族のためなら遺伝子に叛くよ」
「…………それってなんか……、かっこいいね」
Stella。
そう名付けられたお菓子の箱は、銀色の機体に空色の星が付いた飛行機。
最後に会った母の服に似ている。
「ぬいにも遺伝子ってある?」
「ない。布と綿だ」
「そっか」
「それ、中身アメとチョコだろ? 溶けるぞ」
「そうだった」
言ってみたものの、外にいる限り暑さからは逃げ場がない。
部屋に帰ろうかと少し迷ったけど、また飛行機が飛んできたのでそのまま座っていた。
「小さい頃は飛行機は大きい鳥だって思ってた。でもだんだんそれは違うってわかって、そのあと『飛行機は実はなんで飛んでるか解明されてない』って都市伝説が流行って、お母さんに聞いたら仕組みを教えてくれたけど、なんとなくしかわかんなかったなあ」
「そりゃ、お前はまだ子供だからなあ」
「……うん」
しばしの沈黙。
ずっと黙っていた
「あのな」
といつもに増して静かな、消え入りそうな声を出した。
「おれは、嘘ついてた。ヒデアキに会ったとき、もう知ってたんだ。ナツミは帰ってくるけど、話しをしたくても永遠に何も答えないって、知ってた」
碧生がしょんぼりしてるのがなんだか可哀想だ。
弱った心じゃ真っ直ぐに見られなくて、ヒデアキは無言で頷いてまた空を仰ぐ。
碧生は俯いたまま訥々と語っている。
「でも『カフェの中こうだったぞ』って、色々見せたかった。楽しみにしてたから。帰ってきたとき何もなかったらナツミはきっと寂しい。でもそんなの……今のナツミには意味がないんだ。見えないから。おれは自分が満足するために、ヒデアキを騙した。ごめんな。赦してくれなくていい」
彼は小さな体に喪失感を抱えながら、この数日ヒデアキの隣で「ご機嫌よく」してた。
「ニンゲンを幸せにする」って頑張ってた。その心を占めていたのは、もうニンゲンじゃなくなってしまった存在だったわけで……。何と呼べばいいだろう。死者、霊、魂。
堪えていた涙が出てきてしまった。
愛情も憎しみも遺伝子が決めたことなら、ぬいの碧生が死を悲しんで、それでもニンゲンの幸せを願うのはなぜなんだろう。
わかりそうでわからないことが多い。子どもだからって諦めたら真実にはきっと一生手が届かない。
「お母さんは見てるよきっと。クッションも買っといてよかった。あれが一番目立つから」
ヒデアキは泣きながらそう言ったけど、慰めにはならなかったみたいだ。
「悔しい。体が潰れそうだ。おれはぬいだから泣けない。……おれの分、ヒデアキが泣いてくれないか」
そう言われてようやくヒデアキは碧生の方を見た。
涙で滲む視界の中、掌に収まるサイズの小さな体が飛行機の去った空を見つめて震えている。その隣に千景も同じような姿勢でぼんやりと座っている。
「あ」
とヒデアキは小さく声をあげた。
「それ」に気付いたことに驚いて胸の痛みがひととき消える。
「ふたりとも、目のとこ濡れてる」
触っていいんだろうか?
迷いながら手を伸ばした。
「涙?」
「そんなわけねえだろ。布と綿だぞ」
千景の乱暴な言葉が少し掠れていた。
空飛ぶタオルが飛んできてぬいの涙を拭った。
「写真、撮ろう。この飛行機、2人だったらちょうど乗れる」
碧生の分も貰ってしまったヒデアキの涙はポロポロと途切れなくて、一生ずっとこのままなのかもしれないけど泣きながら飛行機の形の箱を差し出した。
ぬいが並んで箱に乗るとやっぱり丁度いいサイズ感だ。
そうして秋の澄んだ青空の下で写真を撮ってツイッターに流した。
ぬいは黒い服を着ている。気付く人は気付くのかもしれない。気付かない人は気付かないだろう。
みんなの”いいね”のハートをくっつけて、お母さんのところに届くといい。天国なんて信じる人じゃなかったけどきっとそこにいる。
いつのまにか空の端っこが紫に染まっている。日暮れの時間だ。夜が来る。星の瞬く時間が。
碧生が小さいスマホで暮れていく空の写真を撮っていた。
そしてまたツイッターを開いて、「はっ!」と息をのんだ。
「フォロワー、増えた」
そう言ってジト目を瞬かせて千景とヒデアキを見上げている。
「シンくんのラテアート見たのかなあ」
あれは最近の中では最大のヒットだ。
「1000人まであと46人……」
碧生が呟いた。千景は画面にはあまり興味なさそうだけど、
「続けるんなら俺も協力するぜ」
と申し出ている。
「続けようよ。僕、写真の練習する」
ヒデアキがそう言うと、碧生がぴょん、と膝に乗ってきた。
彼はジト目のまま、それでも決然とした空気を纏ってまっすぐに見上げてきた。
「ヒデアキ、頼みがある」
「なに?」
「おれと兄さんを地獄に連れていってくれ」
「!?」
***
第1話「ぬいと
第2話「ぬいと鍵付きアカウント」につづく
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