第8話第三部第2章約束
僕はマナちゃんの悪戯っぽい誘惑を振り切り、小さな昨日出会った女の子との約束を守ることにした。
「変に大人ぶるのやめた方がいいよ。それと、叔父さんとはもう会ったらダメだと思う。」
真っ赤になった顔をそっぽに向けて、マナちゃんは僕を残してそのまま帰っていった。
T字路を左に曲がり、しばらく行くと、木蓮の花がたくさん咲いている庭が見えてきた。
***
サルトルはきっと来ない。みんなそうだ。私は変わり者扱いされる。ベンチに座ってじっとして時間が経つのを待つしかない。
「おーい」
どこか懐かしく優しい力強い声がした。
「来ないと思った。」
「俺がミニシモーヌを待ちぼうけさせるわけないじゃん。そんなことは絶対させない。それにあと少ししたら、俺、兵庫行くつもりだし。でも、必ず迎えに来る。シモーヌは別に待たなくていい。俺たちはそのあと、稲村のコンビニで再会して、女の子が産まれて、いつまでもいつまでも、仲良く暮らすと思う。」
「そんな簡単に大人にはなれないよ。」
「そうだとしても、ミニシモーヌの未来は、教授なんかに台無しにさせやしない。それに、簡単じゃない方が良いんだ。
艱難、汝を玉とす」
私はそれから色んな事がある度に、サルトルの教えてくれた言葉を思い出すようにしている。
***
僕はミニシモーヌの灰緑色の綺麗な瞳を覗き込んだ。
そこには中学三年生にもうすぐなる少年が映っている。僕だ。三月はきっとこの先、僕にとっては大切な季節になる。僕にはわかる。
完
あまりに不自然な時間の止まり方をやめさせたのは、シモーヌだった。ピアノの音で目を覚まして起きてしまったらしい。
「完って、あなたの物語、もう書き上げたの?あ!私のワイン勝手に飲んでんじゃん。それ、お話書き終えたら2人で飲もうと思ってたのに。まだ九時三十一分かー。今日はなんだか時間が伸びたり縮んだりしてるや。」
時間が、進んだ。
「ごめんて。」
「まあいいや、金魚のサルトルさ、尻尾、早く治らないかな。」
「んー、わからん。昨日薬塗るの忘れたんよね。さっき塗ったけど。」
「そんな日もある。私、もし、待ちぼうけあの時、させられてたら、このお話の中で死んでしまっていたのね。」
「起承転結ってやつ。ちょっとはどぎつい主役の死を入れないとおもんないやんけ。」
「でも、待ちぼうけなんてしなかったわよ?ちゃんと来てくれたもの。そのあとは、艱難汝を玉とす、だったけどさ。お互いに。」
俺の記憶と、シモーヌの記憶が少しずれた。
でも、そんなことは、人生、生きていれば、いくらでもある。
俺が俺の大事な大事な大事なシモーヌを待ちぼうけにさせるはずがない。
この物語は三月二十二日の大事な日に、俺の大事な大事な大事な愛する妻に読み聞かせるだけの為に作られたフィクションだ。
最後まで聴いてくれた読者には悪いが、この回りくどい短編物語は、前から言ってあると思うけれども、俺がいかに妻を愛しているか、妻がいかに他のどの女の子よりも素敵で純粋でわがままな女の子なのか、延々と惚気ているだけのものだ。
サルトル教授なんて会ったこともないし、大体すかしてそうなやつは本当に虫唾が走るくらいに嫌いだし、あいつはとっくの昔にフランスの5月運動でもてはやされて、国民的英雄思想家であり、現代における偉大なる哲学者として、死んだ。こんな鎌倉のど田舎の大工の近くになんかいない。
とにかく、惚気を辛抱強く聴いてくれたわずかばかりの人たちには敬意を表したい。
三月二十二日がどうして大事な日なのかは、また、別の物語で別の時に話そうと思う。
サルトル先生とシモーヌ 完結
愛する家族へ
僕にとって、今、があるのは、貴方たちのおかげであり、僕のありふれた人生を色鮮やかにしてくれていることへの感謝と尊敬の意を込めて、ささやかながら、この途方もなく退屈極まりない僕の短い回想録を贈る。
僕の生きる、夢、希望、光。
2021/03/17
この物語はフィクションです
サルトル先生とシモーヌ Hiro Suzuki @hirotre
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます