第7話第三部第1章春の海

第一章 春の海

 何分くらいソファでふんぞり返って金魚のシモーヌ、違う、金魚のサルトルを見つめていたのか分からない。

シモーヌが死んだのは紛れもない事実だ。泣き止ませるために首を締めて殺したわけではない。泣き続ける彼女を、結局は、放っておけず慰めていつものように仲良く抱き合った。そしたら締め上げ過ぎて死んでいた。シモーヌは最後、俺をじっと涙ぐみながら、見つめ返してくれていた。それに、不思議なことも言っていた。

「教授を追い出すんじゃなくて、一つになるの。あなたと私が今してるみたいに。」

シモーヌにはこれまで一度も教授の話をしたことがない。死に際で幻影か何かを見たのだろう。殺意なんかなかった。救急車を今更呼んだところでどうにもならない。奇跡か何かが起こって、時間を巻き戻せるのであれば、何かの映画のように1時間前に戻り、首を締め上げないように気をつける。そんなことは起きてはくれない。俺は今、妻殺しであり、殺人を犯した大工であり、リサのお父さんである。これが俺の肩書きだ。

 とにかく、シモーヌがまだ温かいうちに、もう一度だけ、パシフィックのあるドライブインのところへ行き、2人きりで砂浜に寝っ転がりたい。そうすれば神様かシモーヌのマリア様がシモーヌを起こしてくれる。

『あの女からは、いなくなれない。俺は最初からお前に忠告しておいた。』

黙ってろ。リサが目を覚ます前に、俺の大事なシモーヌを海岸に連れて行かなきゃいけない。教授の相手をしている暇なんか今はもうない。

『自首するまでの時間稼ぎだろ。リサちゃんパパ』

お前、何がしたいんだ?いちいち。お前だって、シモーヌが大好きだったろ?俺のことも。俺たち何してんだ。

 俺は重たくなって冷たくなりかけているシモーヌを担ぎ、トラックの助手席にちゃんと座らせた。シートベルトもつけてやった。時間はまだ止まったままだ。確認した訳ではないが、なんとなくわかる。生き返らせれば、せめて物語の中だけでも、俺とシモーヌは幸せに暮らし、人生を共に切り拓き、子どもも3人くらいいて、年老いて、シモーヌに普通の人生の終え方をさせてやれる。俺は、馬鹿げた妄想に取り憑かれた男の、俺の愛の奇跡を起こせる。国道を走り、いつものパシフィックのところで曲がらず、通り越した。材木座も通り抜け、逗子マリーナまで来ていた。そのまま、アクセルを踏み続け、横で眠る俺のお姫様を見つめた。3月の海水がやがて俺たちを包み込み、俺の意識をシモーヌの無邪気な笑い声だけ聞こえるようにしてくれた。

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