第4話第二部第1章金魚鉢

第一節 月曜日

 すりガラスを少し透明にしたような青さの空、肌を突き刺すような冷たさでもなく、湿り気のある生温さがあるわけでもなく、乾き切ったものでもない、遠く上空を舞う鳶の翼をほんの僅かに支えてやる為にただ漠然と静かに謙虚さを備えて時折吹く風。もうすぐまた4月がやってくることを知らせている。


俺とシモーヌのライトノベル恋愛青春物語にうってつけの日。ライトノベルというかどうかに関してだが、俺はライトノベルというジャンルの本を手にしたことがない。照れ臭いから使っているだけの表現だ。俺がいかにシモーヌを愛しているか、彼女が1ミリでも知ってさえくれたら、俺はそれでいいだけの長ったらしく、とてつもなく回りくどい手紙だと思った方が正しい。

 そんな事はどうでもいい。とにかく、第二部を話始めることにする。


 いつも通り並ぶ人たちで賑うパシフィックを横目に脇の階段から砂浜に降り、海岸を俺とシモーヌは黙って歩き続ける。

彼女の灰緑色の瞳はどこまでも澄み切っていて、いかに俺たちの今していることが大切なのかを物語っている。

ナイチンゲールを探しにきていた。


サヨナキドリ (小夜啼鳥、学名:Luscinia megarhynchos)は、スズメ目ヒタキ科に属する鳥類の一種。西洋のウグイスとも言われるほど鳴き声の美しい鳥で、ナイチンゲール(英語: Nightingale)の名でも知られる。また別名ヨナキウグイス(夜鳴鶯)や、墓場鳥と呼ばれることもある。


 シモーヌがWikipediaを丸暗記し、俺にあれから何度か繰り返していた。とても大事な情報だ。

誰かの主観やら情緒といったものを省いた客観的なものだ。


 普通に考えて、海岸を歩いたところで、ナイチンゲールが見つかる確率はとても低い。大方が嘲笑するかも知れない。けれども、普通、の感覚は、それぞれに違う。少なくとも、俺とシモーヌにとってはこれが普通なのだから。それに、俺らが探すナイチンゲールは多分、嘲笑する奴らにとっては、普通の西洋ウグイスなんかではない。かなり特殊な鳥だ。

それは昼の頭上空高く舞うトンビがリスの死骸を狙うカラスに圧力をかけて追い払うくらいに強い。たとえ小さくとも。

 黙々と歩き続けていたが、稲村ヶ崎公園の近くにまで来た時に、シモーヌがやっと口を開いた。

「さよなら、金魚のサルトル」

そう言うと、トートバッグの中から水の入ったビニール袋を取り出す。

「やるん?それ。海水じゃ金魚さん生きていけんよ?ほんまにやってしまうん?」

俺は偽善者だ。

可愛い金魚を海に投げ捨てようとするエキセントリックな女の子を制止するフリをしただけで、どっちでもよかった。尾腐れ病で溶けた尾ひれは綺麗ではあったが、薬をつけるのも面倒だったし、妙な夢をこいつのせいで見せられた。普通の金魚じゃない。尾腐れ病の金魚である。

「こうしないと、ナイチンゲールがいつまで経っても見つからないもの。」

「せやね」

 金魚を砂浜から投げ出すのかと思い俺はシモーヌを見つめ待ち続けていた。シモーヌの言う通りだと確信できていた。次のシモーヌの行動以外はすべてにおいて納得できた。何も言わず彼女も俺を見つめながら春の海の中へズカズカと入っていった。

呆気に取られて茫然としていたが、すぐに、シモーヌの腕を掴み陸に戻ろうとした。

「何で来なかった?」

 怒鳴り上げて彼女は泣き叫びながら俺を睨んで海へ入ろうとする彼女を羽交い締めにして制止した。

「何がよ?海寒いからやめようや、こんなん」

 金魚のサルトルはビニール袋ごと波にさらわれていた。

家に戻ったあと、俺はシモーヌの首を締め上げながらー


 ここまで、書いていたら、キッチンでシシャモを焼き終えたシモーヌが近づいてきて不意に俺のノートを覗き込んだ。

「反吐が出そうな文やし、下手なグロエロやねん」

「サルトル先生なら私をきっとナイチンゲールに会わせてくれるわね」

まっすぐ俺の顔を見つめながら彼女はそう言う。金魚のサルトルはきちんとまだ窓際の金魚鉢の中で漂っているし、シモーヌも俺も浜辺ではなく、家の中だ。もっと言うならば、今日は休みなんかではなく、ただのいつもの月曜日で、俺は朝からシモーヌに弁当を渡されて元気に海岸と富士山の見える新築店舗の二階の造作を仕上げていた。


***


 裕介が週3回塾に通う日、あたしはサルトルと帰った。裕介は走ることに夢中になりすぎてるから、少し退屈な子だ。サルトルも退屈と言えば退屈。どっちもどっちで類友。幼馴染らしい。2人ともハーフであたしはどっちかと言えば裕介がいい。暗い何か康成おじさんと似たような感じがサルトルの奥底にある気がして、それがどこかしらあたしを惹きつけた。

「ねえ、サルトル、今日英語の宿題手伝ってくれない?」

パパは静岡の銀行の金融システムのコンサルタントみたいなのをしててずっと静岡に単身赴任してていないし、ママは今日から少しの間、旅行。

「近所に引っ越してきたばっかの小学生の子いて」

そんな子どもじみた正義感なんかは簡単にあたしにはへし折れる。

 その数日後サルトルとあたしは色々して、康成おじさんとの約束も守った。康成おじさんは、少し心の病気になってて、大変そうだった。おじさんと言っても、まだ二十代だけど。康成おじさんとあたしはサルトルや裕介としたようなこともした。

そのたんびに、おじさんはウグイス色のノートにあたしとしたことを丁寧に書いて、読んで聞かせて、間違いないか?と聞いてきた。変わった人だ。それに他の人からみたら、キショイ。やってることが。でも康成おじさんの仕事場へ行けばあたしは少しお金がもらえる。ウグイスノートにはあたしのことだけじゃなくて、絵のモデルさんとかの話も書いてあった。あたしとやる時は康成おじさんはいつも薬を飲まないようにしてた。


***


 よくあるグロエロ系の愛するシモーヌがキチガイになりかけ金魚のサルトルが海に流されるといった支離滅裂極まりない反吐が出そうな三流文章を書き終えてから、俺はいつもと変わらない月曜の話をシモーヌと仲良くセックスしながら聞かせた。

大手ゼネコンが現場を知ったかぶりしながら働き方改革とか抜かしている裏で、安く見積もれないなら次から、いわば永遠に、仕事をやらないとか脅しに近いことを言ってくる元請け、起こるか分かりもしない事故のことに予算を計上してたら、取れるものも取れないと言い切り安全対策のコストまで削って、食い繋ごうとする下請け。俺はこの業界に憤りを感じる、だとかそんなことをシモーヌに言いながらセックスして、俺の顔を見続けさせるために首筋を押さえて仲良くセックスした。別に首を押さえられて苦しむシモーヌで興奮するとかではない。純粋に、彼女がきちんと俺の顔を見つめながら俺がいくのを見届けて、俺の話を聞き終えるの確認するために、首を押さえるだけだ。

「サルトルにはサルトルの道があるのよ。迷子にならないように私とリサがいるのよ、だから大丈夫。

でも、今のままだと、あなたきっと道を失う。私たちを置いてけぼりにして。

川嶋さんみたいに居なくなるかも知れない。」

心配そうにそう言う彼女を気分転換させてやりたかった。川嶋なんてやつをいつまでも気にしている。

俺たちの生活にはなんら関係ない奴だ。

「明日は西村さんが断熱施工にくるから休みやけど、ナイチンゲールより、平日の海でサーフィン久しぶりに2人で行こうや。」


 翌朝は、晴れなかった。

俺がマナと10年以上ぶりに会ったのは、その日、大雨の辻堂だ。 

第二節 金魚鉢

 朝から昨日の晴天が嘘のような豪雨だ。サーフィンは諦めた。

土砂降りの中、辻堂までの国道は空いていた。ワイパーが規則正しく左右にダンスする。リサをフィリピンカーチャンに預けて、俺とシモーヌはナイチンゲールへと向かう最中だ。

「雨、えらい降っとるなー」

「雨の日は開いてるから。」

「なにが?」

「ナイチンゲール。古本屋。川嶋さんの。」

「川嶋さんもうおらんから雨でも晴れでも閉まっとるやろ。」

「雨の日ならきっと開いてる。川嶋さんが居なくても。じゃなきゃ困るじゃん、私たちいつまで経っても抜け出せなくなる。延々に同じ場所にしか辿りつかない螺旋階段のようになってしまうでしょ。」

「川嶋さんのこと、考えんかったら、そうならんやろ。」

「もし、ナイチンゲールを探し出せなかったら、サルトルも延々に金魚鉢の中で腐っていくの。それは、あなたもわかってるでしょ?」

「ナイチンゲールに会えても会えなくても、腐っていても、金魚やん。できる限り薬ちゃんと塗っとるから、よくなってくると思う。ちゃんと愛情あげとるもん、俺はね。」

俺とシモーヌはいつもどんな話題でも、こんな風に話す。シモーヌの一見訳の分からない、恐らくは彼女自身でもわからない、非日常的な話の切り出し方に、俺が着地点を見つけてあげる。俺とシモーヌはそうすることの為に巡り合ったようなもんだ。路地裏のコインパーキングに車を止めて、ナイチンゲールの門の手前まで行くと、門が無造作に開いていた。先客が来ていた。

「あの、すんませんけど、店開いてます?僕らちょっと忘れ物取りに来たんすけど。」

自分の口から、今、はっきりと、忘れ物、と言ったことに少し戸惑った。きっと怪しまれる。

「あ、ごめんなさい。あたし、叔父の親戚で。どうぞお入りください。なんかこの家、他の方に譲るとか叔父の遺書に書いてあったので、他人のものになる前に眺めておきたかったんです。」

そう言いながら女が傘を折り畳み、こちらへ振り返る。

遠い記憶のどこか懐かしいものが呼び覚まされ、俺も女も驚いた。

「サルトルくん?」

「マナちゃんやんけ。何しとるん?川嶋さんの親戚やったん?」

マナちゃんは昔のままのマナちゃんだった。クラスのマドンナで中学の長い坂道を一緒に歩き、長谷の家でコソコソ抱き合ったマナちゃんだった。

「俺の奥さん。シモーヌ。こちらは、同級生のマナちゃん、川嶋さんの親戚なんやって。」

シモーヌはじっとマナちゃんの瞳をしばらく見て、ぽつりと言った。

「こんにちは。私とサルトルには正直でいれる?とても大事な鳥を探しにきてる。私たち。」

かなりの警戒心を剥き出しにした口調で、そう言いながら、呆気に取られるマナちゃんにはお構いなしに土間に上がり、スタスタと奥へと向かっていた。

「サルトルくん、少し変わったわ」

「そらなー、もうお父さんですし。みんなが普通に高校行っとる間、仕事しとったし。マナちゃんは昔のまんまやね。」

「あ、いい意味で変わったって言いたかったの。あたし。昔はなんだかひどく寂しいのに我慢してそうなところが何となく見える時あったからさ。奥さん、外国人なのね。でも随分と日本語上手だし、とても綺麗。ちょっと変わっていそうだけど。」

「俺も変わっとるから、なんとも言えない。けどめっちゃ純真なまんまやし、まあなんせ、自分に正直やから、生きにくいって部分がね。だから俺が」

『支配してるんだ?』

「サルトルくん?」

「ごめん、ちょっと何か偉そうにというか、惚気まくる勢いやったわ」

支配なんてしていない。俺は、平等とか同等とか考えないけど、支配ってのもしてない。

「マナちゃんは今日、ここ見に来ただけなん?」

「うん。あと、あたしも少し探し物かな、」

***

川嶋さんが亡くなった日の消印で俺宛に手紙が届いた。そこには彼のアトリエを志穂に委ねる事やら、絵のモデルとしての志穂への感謝が丁寧に書かれていた。俺は一度アトリエを見てみたくなり、志穂に頼んだ。

志穂に案内されて茶室に入ると、棚に若草色の分厚いノートがいくつか丁寧に置かれていた。

志穂は興味なさそうにしていたが、俺は何となく気になって読み始めた。

○月×日

姪は特に抵抗することもなくー

そこには、川嶋さんと姪とのやりとりが書かれていた。やりとりというよりも、このノートに書いてある姪との寝た時のことがこれでもかってくらいに書かれている。時々、日本画のモデルとの仕事の内容、こちらは至って健全そうだ。

「川嶋さんと姪ってできてたみたいだなーこれ読んでると。」

「川嶋さんの妄想日記じゃないの?あの人、小説家を画家よりも目指してた時あったし。」

「へー、たしかに目指してた感はあるね。」

「私、この日記は公表すべきじゃないと思う。触れちゃいけないところに触れた気がするわ。裕介くんはどう思う?」

「んー、俺もそう思うな。みんな寄ってたかってそれぞれにバイアスのかかった世界観の『普通』ってやつと比べてあーだのこーだの批判する。日常の狂気っていうか、普通の中の狂気みたいな物差しで。この家、公開すんの?志穂が引き取ったあと。ここにまあ、しばらく置いておくのがいいとは思う。せめて49日が終わるまでさ。まあ、引き上げますか?川嶋さんは重度の鬱とかなり長い間一人で闘病されてたんだなってのはわかった。あとは、まあ、そっとしておこう。芸術家ってのは、大変だ。」

川嶋さんの事細かな描写から、姪が自ら望んで関係を持っていたこと、しばらくしてから姪が現れなくなったこと、激しい鬱病との闘い、正気を保つ為に絵を描き続けていたことなど、俺にすら手にとるように伝わってきた。けれど、社会的にはこれが公表されたら格好のワイドショーのネタにされるだろうし、姪もきっと傷つけられるだろう。倫理がどうとか、道徳がどうとか、児童ポルノがどうとか。俺らのそれぞれの勝手なバイアスのかかった世界観を持って、川嶋さんの生きた証が嘲笑の対象になり、断定され否定までされる。

「そうかもしれないわ。みんな色々、他人には言いたくない何か裏の柔らかい側面って持ってるでしょうし。」

***

俺とマナちゃんがシモーヌを茶室で見つけると、彼女は若草色のノートをぶらぶらさせている。

マナちゃんの顔が蒼白になり、そのノートを見つめていた。

「サルトル、これ私には少し意味がわからなすぎるけど、ここに出てくる女の子はマナちゃんでしょ?マナちゃんは川嶋さんにとても愛されていたのね。すごくそれが伝わってきたの。」

シモーヌがそう言い終える前に、マナちゃんはシモーヌの手からノートを取り上げていた。

「これ、別に日記じゃないわよ。叔父の多分、小説。日記風の。だから、勘違いしないでね。あたしたちのこと。」

「そうかな?私には日記にしか思えない。」

「そうなのよ。あたしが言うんだから。そうなの。」

「じゃあ、そういう事にしてあげる。畳、気持ちいいわよ?おふたりさんも寝っ転がってみて。」

ベンチにふんぞりかえっていたミニシモーヌの時のように、無邪気にシモーヌは畳の上でひっくり返り目を瞑った。何故か俺もマナちゃんも真似をした。茶室は金魚鉢。俺ら3人は3匹のちっぽけな金魚。

第三節 電話

あの日、叔父さんから珍しく電話がかかってきてた。ベッドサイドの時計に目をやると午前二時を回っている。3度目の電話も無視した。もし、出ていたとしても、叔父さんの自殺をあたしが止められたとは思えない。あるいは、止められたのかもしれない。そんなことはきっと一時しのぎでしかなくて、どっちにしろ、叔父さんは自殺していたと思う。そうでも思わなければ、やってらんない。あたしは叔父さんとは違って、今、生きているから。

***

 後4日もしたら、神戸へ戻る。今年の夏は色々ありすぎた。僕には3年近くぶりに、思い付きのような始まり方ではあったけれども、幼馴染の女の子のカノジョができたし、親父の穴埋めの現場では初めての和室もやらなきゃで、爺ちゃんを現場に引っ張り出して色々勉強させてもらえた。一つだけ心残りなのはまだシモーヌとはキスしかできていないことだ。そんなのはまあ、いや、大問題でもあるけれど、まあ、いい。シモーヌを他の神戸の女の子達と同じように扱いたくないし、彼女に僕がそんなやつになったって思ってがっかりされたくない。そんなリスクは絶対に回避したい。夕焼け小焼けで日が暮れての市内放送が流れた。今日はシモーヌのお母さんが送別会をしてくれる。木工事はもうほとんど終わっていたから、早めに上がって、そのささやかなパーティーの前にシモーヌと少しだけ二人きりで話したい。トラックをコンビニに止めて、家へ帰る前に、少しだけ散歩した。晴れた日の稲村ヶ崎公園の夕方は江ノ島と富士山をくっきりと紺色に映し出していた。隣にシモーヌがいるような気がして、遠くの江ノ島から視線を戻したけど、そこには観光客の僕らくらいの女の子と男の子が幸せそうに江ノ島をバックにして写真を撮っているだけだった。

 家に戻って、シャワーを浴びて、いつものDUNEをベタベタに塗りたくっていたら電話が鳴った。

***

あたしが中学校を卒業してからは、あっという間に時間がすぎて行った。何人かの同じ歳くらいの男の子達とも付き合ったりして、それなりに高校、大学生活を過ごしてきた。叔父さんとは中学校を卒業して以来会わなく鳴ってしまっていた。就職は上手くいかなかった。小さな出版社に就職したりもしたけれど、すぐに辞めてしまい、それ以来、週4日ほど御成町にある本屋さんの近くにあるコーヒー専門店でアルバイトをしている。叔父さんから電話があった翌日、ママから叔父さんが自殺して亡くなったことを知った。咄嗟にあたしはウグイスノートが、叔父さんの日記、気になった。誰かに見られるのを懸念したわけじゃなくて、ただ、あれから叔父さんが何を書いていたのか気になった。だから、アトリエに向かうことにした。10年以上ぶりに。

***

 電話の相手はシモーヌだった。

「まだ家出てない?」

「あーもうすぐ出るとこ。あと5分くらい。」

「そっか。また、待ちぼうけはやだなと思ったから念のためかけた。」

「待ちぼうけって?俺、遅れた事あんまなくね?」

「まあね。でも、昔、待ちぼうけになった。」

「何言ってんだか。俺は、大事なカノジョを待ちぼうけになんて絶対しませーん。死んでもせんわ。」

「じゃあ、ベンチにいるから庭から来ていいよ。」

プツンと電話が切れて僕は何処かに置き忘れた何かを思い出そうとしてみた。胸にデカデカとバレンシアガと書かれた僕の大事な黒いTシャツと、ナイキのスニーカーとカーゴパンツを履いて、ナイキのキャップを被り、ゴールドの変なジャラジャラしたネックレスとロザリオを首から下げてシモーヌの庭に向かった。

 シモーヌはベンチに踏ん反りかえって僕を待っていた。

「おーい、お腹でとるが」

「お父さんみたいな口ぶりね。タカクラ先生にも勝てちゃいそうだよ。あのね、私のピアノ聴かせたいんだ。みんなでご飯食べる前に。ちょっと来て。」

そう言って、シモーヌはシモーヌママのピアノレッスン室に僕の手を引っ張って連れていった。

「これから弾くのは、とても大事な曲なので、心して聴いて欲しい。あと目をずーっと終わるまで閉じててね?」

「はいはい、わかりもーした。待って、曲なんてやつなん?」

「GlinkaのThe Lark グリンカのひばり。ひばりって意味。でも私はナイチンゲールだと思う。」

「シモーヌが言うなら、間違いない。ナイチンゲールや。ええよー目閉じた。」

彼女が弾き始めると、哀しそうな鳥が空を舞う光景が思い浮かぶ。ぼんやりと僕は昔約束したことを守らなかったのを思い出した。

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