『空色に溶ける』

夷也荊

プロローグ

前世

 私が空と出会ったのは、中学校に入学してからだ。それぞれの小学校から集まって来る生徒たちの中に、一際目を引く女子生徒がいた。北小学校から入学した、西洋人形のような生徒。それが空と私の出会いであり、私が空に抱いた第一印象だった。私は西小学校の出身で、スタイルの良さでそこそこ有名だったが、空を一目見て負けたと思った。空より私の方がスタイルはいいが、あの愛らしさと天真爛漫な性格は、反則的でさえあった。男子生徒が色めき立ち、空に近づこうとしているのが癪だった。何故なら、空は男子たちを迷惑がっていたからだ。そう。私の逆鱗に触れたのは空ではなく、デリカシーのない男子たちの方だった。

 

 ある日空は、また男子から呼び出された。しかも今度は先輩だ。上下関係の厳しい中学校だったから、その関係性を利用した卑怯な告白だ。浮かない顔をした空が教室を出ようとした時、私は思わずそのセーラー服の裾をつまんでいた。


「付き合いたくないなら、行くことないよ」


それが、私が最初に空にかけた言葉だった。


「でも」

「分かった。じゃあ、一緒に行ってもいい?」


空は虚を突かれたような顔で、私の方を見た。私は苦笑した。


「有難迷惑なら、構わないけど?」

「いいんですか?」


その外見からは想像していなかった声で、空は言った。おっとりしているが、凛とした声だった。初めて聞く、心地の良い響きだ。空は続けた。


「相手は先輩です。あなたが今後どうなるのか心配です」

「それはこっちのセリフだよ」

「なら、どうして?」

「うーん。気分的に? 困ってる人を見捨てられないタイプだし」


空は口にそろえた手を当てて、くすくすと笑った。


「笑わせるつもりはなかったんだけど?」

「ごめんなさい。あの、責任は負いかねますけど、一緒に来てくれますか?」

「素直でよろしい」


私は椅子から立ち上がって、空と一緒に先輩の告白を断りに行った。その先輩は私の存在に狼狽し、「話が違う」と喚いたが、呼び出しに一人で来るようにとは、書いていなかった。それを指摘し、空が困っていることを伝えて、お開きとなった。その後、私に対する先輩たちからの嫌がらせはなかった。逆に、これがきっかけで男女ともに私の株が上がった。そしていつの間にか、空と私は一対のように見られるようになっていた。


「ねえ。そろそろ私に普通にしゃべってよ」

「普通ですが?」

「違うよ。声のトーンじゃなくて、丁寧語やめてってば」

「ああ。そういうこと。分かった」

「で、何読んでんの?」


空は読書が趣味だった。読書と言っても、文学的な本はあまり読んでいないようだ。空がよく読むのは、花言葉や占い、ノンフィクションやエッセイといった、肩肘を張らないような物ばかりだった。


「うーん。レンちゃんは、前世って信じる?」

「前世? 生まれてくる前にも人生があったってやつ?」

「そうそう。輪廻転生だよね」

「その本って、仏教の本なの?」

「違うよ。前世の自分の記憶があるっていう人の、体験記」

「体験記、ねぇ」


私は胡散臭いと思いながら、前世について思いをはせてみた。もしも自分が歴史上の誰かだったら、日本の歴史に責任があったり、空と前世でも一緒だったりするのだろうか。前者は嫌だが、後者なら納得できる気がした。きっと前世でも私は、空の隣で笑っているはずだ。もしかしたら、どちらかが異性で、恋人だと言うこともあったかもしれない。


「前世の記憶って面白いんのよ。現世に記憶を持ったまま生まれてくる人と、臨死体験で前世の記憶が覚醒する人がいるんだって」

「臨死体験で?」

「そう。臨死体験で、今まで使われなかった脳の一部が覚醒して、前世の記憶を呼び起こすんだって」


確か、人間は脳のほとんどの部分を使うことなく過ごしていると、生物の授業で聞いた気がする。だから、普通の人よりもたった一パーセントでも、機能していない脳の部分を使えたら、その人は天才なのだと。それから、事故などで脳の一部が破壊されても、別の脳の部分がその失われた部分の機能を補うことが出来るというのも、聞いたことがある。確か銃撃されて脳の半分を失っても生存し、普通に生活している青年もいたという話が、例として挙げられていた。「覚醒」という言葉は虚構じみているが、人間の体は宇宙並みに未知の世界なのだと言うから、空が持っている本の内容も単純にフィクションだと言えないのだ。


「それで、どうして前世に興味を持ったの? いつも唐突だよね。空の関心事って」

「それは、今いる誰かが、昔の誰かだと思ったら、不思議で、愛おし気がしたから」


空は本をぎゅっと抱きしめる。控えめな胸に、本が押し込まれる。今、私はその本に嫉妬した。そして、空とは反対の可能性を考えた。もし、このクラスの仲の良いグループが、そのまま昔の誰かだったとして、それは幸せなことだろうか。前世が敵同士で、憎しみの中で絶命したことも考えられる。私たちは常に平和な時代を歩いてきたわけではない。今だって、どこかで誰かが殺されている。どこかで誰かを殺している。そんな前世を忘れているから、今を平然と生きて、平和を享受できているのだ。それなのに、前世の記憶がよみがえったために、また誰かを憎むことがあれば、それは不幸なことだと思う。


「空って、平和だよね」

「それって、褒めてるの? 貶しているの?」

「褒めてる。私の最大の賛辞だよ」

「本当かな?」

「どうでしょう?」


私たちは今、こうして向き合って、笑い合っている。この時間がいかに尊いことか。きっと他の人には分からない。まして、前世の記憶を持った不幸な人には、届きもしないのだ。私は前世なんかいらない。運命の恋人がいても、それを知らずに幸せになれる自信がある。空は何でもポジティブにとらえるから、いつも平和で無害で、幸せそうだ。普通の女子高生である私には、それが少し憎たらしく、疑いたくなる。しかし、そんな空だから一緒にいて幸せなのだ。今、私は満たされている。

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