第8話 早過ぎる到来

 俺は窓を開け、外を確認する。

 その先に広がっていた光景は――おおよそ信じられない光景だった。


 パキパキ、パキパキと。


 空が、割れる。

 空を覆っている薄い膜のようなものが、ひび割れどんどん割れていく。

 その正体は結界。

 聖女テレサがこの街を訪れた際にまず最初に行った事。

 全魔力の半分を消費し、木っ端で弱い魔物、魔族なら近づく事すら出来なくなる破邪の結界。

 この結界はそうでなくてもこの街に害する意思を持つ者を排する能力を持っていたし、その強度は勇者であるミナミですら突破する事は困難である、その筈だった。


 その結界が今、割られた。

 それを見、テレサもまた驚いている。


「まさか、そんな――」

「一体何が起きたんですか、テレサ様?」

「……表面に強力な力をぶつけられ、強引に割られたようです」


 結界を張った本人だからこそ、結界がどのようにして破壊されたのかが分かったのだろう。

 そしてその要因はとても信じがたいものだった。

 強引に?

 そんな事が可能なのか?

 ……いや、そんな事を言っている場合ではない。


「【氷狼騎士フェンリルナイト】、起動」

 

 白銀の鎧を身に纏い、俺は窓から身を乗り出す。


「クロード!」

「強大な敵がやって来たのは間違いない。だから、迎え撃ちにいきます」


 そしてそのまま、俺はテレサの返答を待たずに【氷狼騎士】に搭載された飛行術式を用い、空を飛ぶ。

 向かうは爆発音が鳴り響いた場所。

 敵が待ち受けているであろう、その場所へ。

 

 果たして。

 その場所へとやって来た俺を待ち受けていたのは――


「ああ、やっと来た」


 不敵な笑みを浮かべる、一つの人影。

 黒いコートを身に纏った少女だった。

 ――外見は少なくとも、そう見える。

 しかしその身体から放たれるのは、おどろおどろしい闇の魔力。

 間違いない。

 

「魔族か」

「魔王って言ってよ」


 その人物は言う。



「魔王ミナミ、それが私の名前だよ」

「……ミナミ?」


 それは。

 勇者と同じ名前だ。

 異世界より召喚された者。


「……お前は、魔族によって異世界から召喚された人間か?」

「やっぱりそちらにも同じような人間がいるんだ。もしかして勇者?」


 俺の問いに対しその人物、魔王を名乗る者は答えなかった。

 どういう事だ?

 魔族が人間を召喚し、そしてその人間は魔王を名乗っている?

 魔族は一体、何を企んでいるんだ?


 俺は地面に着陸し、じっと魔王を観察する。

 ボブカットの茶髪、瞳は黒。

 小柄でちょうど第二次性徴を迎えたばかりの子供のような見た目。

 だからこそその黒いコート姿もちょっと悪ぶった子供のようにしか見えない。


「お前の目的は、なんだ」

「仇討ち」


 俺の問いに対し、魔王の返答は簡潔だった。


「貴方達、勇者達。数日前にベルゼを倒したでしょ? それでうちの連中が憤っててね、私も何らかのアクションを取らないといけなくなった訳」

「……」

「一応一人、殺しておけばあいつ等も黙るでしょ――と言う訳で、あなた」


 にやり。

 まるで獰猛な獣のような笑みを浮かべ。

 一方的に告げてくる。


「いきなりで悪いけど、ここで死んで」

「――っ!」


 ドッ!!!!


 漆黒のヘドロのようなモノが彼女の影から噴き出てきて、それは津波のような勢いで俺に襲い掛かって来る。

 それを俺は飛んで避けつつ、魔王との距離を保ちつつ【氷狼騎士】に仕込まれた術式を発動する。


「行け、氷剣」


 俺の頭上に現れた複数の魔法陣。

 そこから大量の氷剣が生み出され、それは雨のように魔王に降り注ぐ。

 それに対し、魔王を中心にして渦巻いていた黒い泥が独りでに動き、氷剣を打ち落としていく。

「じゅう」という音が聞こえ、氷が一瞬で溶け白い蒸気が見えた。

 もしかしてあの泥は熱を帯びているのだろうか――いや、そう判断するのは早いか。


 なんにせよ、一人で戦うのは危険だ。

 今は距離を取りつつ、仲間がやって来るのを待つのが賢明だろう。

 そう思いつつ俺は空で魔王の動きを観察する。


「貴方の考えは分かってる。仲間が来るのを待っているんでしょ?」


 魔王の手に、泥が絡まる。

 

「無駄だよ」


 泥がずるずると這い回り、そして現れたのは――裁ち鋏。

 少なくともそのように見える何かだ。

 漆黒の二枚のブレードは大きく人の首なら容易く輪切りに出来そうで。

 グリップもまた間違いなく武器用に調整されている事が分かったが。

 それでも、鋏。

 武器ではない。

 だが、魔王はそれを「しゃきんしゃきん」と鳴らし、そして俺に切っ先を向けてくる。


「因果を断つ」


 しゃきん。

 その音が鳴り響いた途端、俺に関する「何か」が切られたような、そんな感覚があった。

 俺の困惑の答えは、魔王が口にする事となった。


「貴方に助けがやって来る、その因果を今断った。何時まで経っても、貴方には助けは来ないよ」

「……なに?」

「面白いでしょ? まあ、見た目通り攻撃には向いていないけど、その代わり私の魔法の補助をしてくれるから、いろいろ助かっている」


 ま、そう言う訳で。

 そう呟いた魔王は再び、「しゃきん」と鋏を鳴らした。

 

「距離を断つ」

「……ッ!」


 刹那。

 目の前に、魔王の姿があった。

 一体何が起こったか、それすらも分からず。


「じゃあ、頂くね?」


 ずぶり、と。

 彼女の細い腕が、【氷狼騎士】を貫通して俺の胸に突き刺さるのを、見た。

 

「が、ぁ……!」


 鈍痛。 

 激痛。

 痛みのあまり、空を飛んでいる事すら出来なくなる。

 ゆっくりと地面に降り立った俺を、同じく地面に立った魔王が見下ろす。


「貴方には一つ、プレゼントを用意した。それがどうなるかは、貴方次第だよ」


 それじゃあ、ね。

 ぼやける視界の中、漆黒の泥の中に魔王が消えていく。

「待て」

 その一言すら発せられず、俺はついに力尽きて地面に倒れ込む――



  ◆


  ◆


  ◆


「――絶対に、絶対に、貴方を死なせはしませんっ!!」

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