第12話 新しい世界

 サシェナは台の上に半身で腰掛け、備え付けの籠を引き寄せる。

 籠の中身は、石鹸、目の粗い布、目の細かい布、香油瓶。

 サシェナが石鹸と目の粗い方の布を手に取るのを見て、それをそっと奪った。

「私がやります」

 目の粗い方の布で石鹸を泡立てて、目の細かい方の布で身体を洗うのだ。

「出来ますか?」

「身体を洗ってもらったことくらいあります」

 別料金を取られるのでしょっちゅうは無理だが、商売の旅の前と後、大晦日、墓参りの前、何かの式に参列する前または後、そういう少し特別な日には頼む。

「他人《ひと》の身体を洗ったことはありませんので、上手くなくても、そこは大目に見て下さい」

 布で石鹸を削って、暫く揉むと泡が立って来る。

 予想以上に泡立ちが良くて、適量が分からなくなり、どうしよう、と思っていると両手をサシェナの手に掴まれた。

「取り敢えず両手で一掬いくらい作りましょう」

 サシェナに手を添えられたまま、時々石鹸を足しながら、泡を作る。

「石鹸、使い過ぎじゃないですか?」

 冷や冷やしながら言うと「そうですか?」などと暢気に返って来る。

「最近は割と量産されていますから、昔ほど高級品というわけではないですよ」

 「もういいかな」とサシェナが言うので、手を止め、目の細かな柔らかな布に泡を取って少し馴染ませる。

「失礼します」

「どうぞ」

 鎖骨辺りに布を当てて、肩、喉、と擦って行く。

 北系の人特有の白色《しろ》くて肌理の細かな肌に目が奪われる。私とは違い、筋肉が付いていることがはっきりと分かる厚みのある身体に感心する。関節に浮いた骨に、太いなぁ、と思う。

 胸を洗って、腹に移る。

 腹の下で、陰茎が半勃ちなのは無視する。今は三助に徹する。伝えなければならないこともある。

「サシェナ様」

「何でしょう」

 何時言ってもよいようなことだが、今を逃せばきっと言えないままになる。

「ありがとうございました」

 深く息が吸われ、胃の辺りが膨らむ。ゆっくりと戻る。

 私の鼓動が早いのとは逆に、サシェナの呼吸は至って落ち着いている。

「逆らってすみませんでした」

 今になって思えば、塔での私の言動は愚かだった。

「貴方が正しかった」

 サシェナに素直に従っていれば良かったのだ。塔からは出られない、と一々逆らう私を不愉快に思っただろう。サシェナが不快を引き摺っていなければいいと思う。

「これから、よろしくお願いします」

 腹を終えて、腕を取る。

「勿論です」

 感情の揺れのない言葉に「ありがとうございます」と自ずと頭が下がった。


 両腕も洗い終えて、次は背中を洗おうと、一歩横に踏み出すと、腕を取られて引き戻された。

「背中を」

「えぇ。こうやって洗うのです」

 身体を洗う布を奪われて、腕の上から回された手に背中を洗われる。抱き締められるような格好だ。

「このようなやり方では、私の腕では、きちんと洗えないかも知れません」

 サシェナの長い腕で私の細い背中を洗うのは、容易いだろうが。私の腕でサシェナの大きな背中は、上手く洗えないと思う。

「でも、この方が密着出来ます」

 身体を離すと、サシェナはまた泡を作り始めた。

 「二人分だとやはり足りませんね」などと言いながら、雑に手を動かしている。

「あの。何故、密着する必要があるのですか?」

「その方が気持ちが良いでしょう?」

 がさがさ、と立てた泡を、泡立て用の布から半分ほど扱き取り、身体を洗う布に乗せて渡して来る。残った泡も扱き取って、彼の掌に伸ばし、その手が私の背中に触れる。

「気持ちが良い、て……」

 胸と胸が合わさるように、背中を押される。

 他人を触るのが好きな人だな、と思う。出会ってから何度も、頭や顔を触られ、抱っこもされた。町に入ったのだから手を離して下さい、と頼んでも離してくれなかった。

「さあ、どうぞ。背中を洗って下さい」

 諦めて私はサシェナの脇の下から、背中に腕を回した。

 風呂の個室とはいえ公共の場である。次にここを使う者のことを考えれば、はしたない行いは如何なものかと思う。けれど、こうして少し肌を触れ合わせるくらいのことだ。これでサシェナが喜ぶのなら、ぎりぎり、許容範囲としよう。

 己より大きな身体を洗うのはやはり難儀なことだった。特に、肩や首の辺りには手が届き難い。そう訴えても、身体を離してくれないものだから大変な思いをした。

 そのことに一生懸命で、己の身体が……胸を擦り合わせられたり、脚に性器が擦り付けられたり、と……他のことに使われているとは全く気付かなかった。

「お尻を洗いますので立って下さい」

 今度は譲れない、ときっぱりと言う。サシェナも素直に立ってくれた。

 出来るだけ背中と一緒に洗っていたので、座っていた時に台に着いていた僅かの部分だけを洗う。谷間もそっと洗う。尻の下、太腿の上までを洗って「ありがとうございます」と座ってもらう。

 両の太腿を洗って、膝から下を洗う為に、膝を突く。

 片脚を洗い終えて、残った脚を洗っていると、洗った方の足先で脚を撫でられた。

 気を引きたいだけの戯れなら構わない。しかし、膝を割って脚の間に入って来ようとするのは駄目だ。

「止めて下さい」

 言って、手で押さえると、引いてくれる。しかし、またすぐに揃えた膝頭の間を擽って来る。

「お願いします」

「でも、悪戯をしたくなります」

 足元に跪いているとはいえ、他方の脚を洗っているのだ。そう際どい所まで届く筈はない。分かっているが、気になる。膝頭を上って、膝上の力の入らない柔らかな部分に指先を挿し入れられると、ここまでが精々だ、と思っても、無視もしていられない。

「許して下さい」

 そんな攻防を何度か繰り返し、漸く脚を洗い終える。一息吐く間もなく、腕を取って立たされた。見ないようにしていた、サシェナの反り勃ったものの前だ。

 確りと勃起していることに、改めて絶句する。

 勃たせていることは知っていたけれど――風呂で身体を洗ってもらっている間にどうしてこんな、臨戦態勢に入ってしまうのだろう?

 精通してから身体を洗ってもらったことは何度もあるけれど、私は、こんな風になったことは一度もない。正直、不思議でしようがない。

「手で洗ってくれますよね」

 期待の籠った声に、内心で溜息を吐く。

 言われると思った――その思いが私に、断わる、という選択肢を失わせた。布から泡を搾り取って、掌に伸ばす。

「洗うだけです」

「はい」

 サシェナはいかにも利口気な返事をしたが、絶対に分かっていない口調だった。

 なるべく手で触ってしまわないように、泡で、とは思うが、一頻り陰茎に泡を伸ばして陰毛の辺りに取り掛かると、毛に泡が随分取られてしまう。

 一度、新しく泡を作って、陰毛に馴染ませる。奥を探り、陰嚢に触れる。狭い股間に両手を入れて作業するわけにも行かず、片手の指で包み、柔らかく揉むように洗う。

 身体の大きさに由来するのかも知れないが、己のものと比べて大きいと言えばいいのか重いと言えば良いのか、視界にはっきりと見えているわけではないので、感覚的な感想を覚える。

(今は三助だ)

 余計なことは考えるな、と己に言い聞かせる。

 私の顔を狙っているような陰茎が先刻より明らかに張り詰めているとか、これを既に身の内に受け入れたのだとか、私に向けられているサシェナの視線が明らかに劣情を帯びているとか、気にし始めたら、何も手に付かなくなる。作業が終わらない。

 皺の間や奥も洗えただろうか、と指先で隠れた場所を探っていると、所在なく腹の前に置いていた手が取られた。サシェナの手に導かれて、その陰茎に触れさせられる。軽く握っていた拳の指の背で一撫でさせられた。

「握って下さい」

 言われて、深く考えずに、揃えた指で摘まむように手にする。

「出ます」

 添える程度に陰茎を握った手を、上から掴まれた。声を上げるより、腹に温かなものが打ち付けられる方が早かった。

「え……」

 見下ろすと、へその上辺りに当てられた精液が、汗に濡れた肌をねっとりと流れ落ちて行く。特有の臭いと、少し粘度のある液体が股間の方に流れて行く様の、余りの淫靡さに目眩がする。

「洗ってあげます」

 咄嗟に逃げようとした身体は捕らえられ、サシェナの膝に座らされた。

「自分で出来ます」

「洗ってもらったので、お返しです」

「塔から出して頂いた感謝の気持ちなので、お返しなど……」

 膝の上で体勢を入れ替えられ、サシェナに背を向ける格好で脚を跨がされた。脚に尻の谷間を広げられる。孔口とサシェナの太腿が触れる。

「何をするのですか?」

 思わず問うた。

「身体を洗ってあげるだけです」

 そうは言ったのに、身体を洗う為の布があるのだからそれを使えば良いのに、サシェナは最後までそれは使わず、手と、時には胸や脚で私の身体を、弄った――あれは、身体を洗う所業ではなかった。


 あちこち、思い掛けない方法も使って、身体中を弄られて緊張したが、昨日砂漠で初めての男同士での性交《セックス》を経験した際程ではなかった。それでも幾らかは草臥れて、サシェナが胸に寄り掛からせてくれるのに、甘える。

 サシェナが二人一緒に身体の泡を流してくれる。

 湯は、私達が座っている按摩の施術台の、部屋の奥の側面から流れ落ちている。湯口から出た湯は、その下の盆に落ちて、また何処かの湯口に戻る。手桶に汲まれて使用された湯は床の排水口に流れるようになっている。

「勃起し難い体質なのですか?」

「え?」

 手桶を湯口の下に置いて、湯を溜めている間のことだ。

「勃たないですよね」

 何の遠慮も躊躇もなく私の陰茎を手に取り、ふに、と一つ揉む。

 私の股間のものは、身体を洗われている間、石鹸の付いている手でしつこく擦られたので心持ち赤くなっている。気がする。それだけで、くたり、と下に垂れている。

 因みに、サシェナに付いている同じものは、相変わらず半勃ち状態である。

「悪いことをする相手とこういう所にいると普通、勃起しませんか?」

「こういう所、て……善良な市民、老若男女の使うお風呂ですよ? こんな所でそんな気分になれません」

 私の常識では、サシェナ言う所の「悪いこと」すなわち性的なことは、夜、寝室で、寝室でなければせめて人目を忍ぶ場所で、行うものだ。加えて言うなら、公に認められ、互いに慕わしく想い合う相手と、見詰め合い、愛など囁きながら、行うものだ。

「老若男女は使いませんよ。少なくとも、子供は利用出来ません」

 妙なことを言う、と思った。

 旅行で町を訪れた一家が、皆で一緒に入れるように、というような目的の風呂ではないのか? 数人で入るには小さい造りなのは、ある程度の年齢になれば男児なら父親と女児なら母親と入るからだろう。繁華街にあるのも、買い物や食事の前や後にすぐに利用し易いからでは?

 少し特殊な風呂屋の存在目的を想像して、首を傾げる私に、サシェナが続けた。

「ここは悪いことをする為のお風呂屋さんです」

「そんな風呂屋があるわけないです」

「風呂で悪いことをするのは合理的だと思いませんか? こうして、流せば済むし」

 サシェナが身体を傾いで手桶を取り、膝に湯が掛けられる。四本の脚を湯が伝い、僅かに残った泡を流して行く。

「それは、そうかも知れませんが……」

 掃除をする店員が嫌な気持ちになるだろう、と思う。客だって、前の客が何をしていたか、など心配しながら入浴したくないだろう。風呂は、一日の疲れを落とし寛ぐ場所だ。

「普通の風呂屋でやったら怒られます。だから、専用の風呂屋があるのです」

「担がないで下さい」

「担いでなどいません。あなたの時代にだってあったでしょう」

「ないです」

 きっぱりと言った。

「聞いたこともない」

 耳元で、くつくつ、と笑う声がする。

「何ですか……」

「聞いたことがない、と、ない、は関係無いでしょう。あなた、猥談は苦手だと言いませんでしたか?」

「知らないだけだ、と仰りたいのですか?」

「いずれ、風俗に関する文献でも探しておきましょう」


 風呂屋を出て、宿に戻り、昼前だというのに床に付いた。

 一組用の寝台《ベッド》で、サシェナに後ろから抱き締められて、眠る前には、寝苦しいと思っていたが、疲れもあってかすんなりと眠ってしまった。

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