例えば、お坊さん。
身内が亡くなった時、お経とその後の説教で慰めてくれるじゃないですか。
でも、悲しさで耳に入らないという。
んで、そもそもお経って、ただ淡々と現世の理を説いて、亡くなった人がどうなるか教えてくれるだけで、僕は「全然慰めてくれてない」とか思うわけです。
でも、それが仏教の良いところなんですよね。「気づく」という事に専念させてくれるから。
僕が「突き放すタイプの優しさ」に気づいたきっかけです。
作者からの返信
ありがとうございます!
「突き放すタイプの優しさ」考えさせられます。お経も勿論、もしかしたらお葬式そのものにもそういう側面はあるかもしれません。
お葬式を取り仕切るご遺族は忙しさに追われて「悲しむ暇がない」ことも多いようです。
それが逆に慰めになるかもしれないと時々考えたりします。
ずっと悲しい気持ちで一杯にするのでなく、家族だけになった瞬間や湯灌の時、お棺の故人にお別れを言う時など悲しむことに集中できる瞬間があって徐々に慰めになるように感じます。
心温まる気持ちになったり、三枝さんの飄々とした態度にぽかんとしたりと感情がジェットコースターのようです。
三枝さんあっけな…( ゚д゚)
作者からの返信
ありがとうございます!
急展開だったかもしれませんが、感情移入して読んでいただけていたら有難いです…!