9 恨みたくなってきました
老人ホームを後にした私たちは、とぼとぼ歩いていた。
実際はとぼとぼ歩いていたのはお祖父さんと孫娘だ。
お祖母さんは孫娘の押す車椅子の上で、「久しぶりに家帰るわあ」と渋面と見間違うほど感慨深そうにしていた。
で、私たち幽霊と
「サクラさん、そろそろ天国に到着してるかな」
私の呟きに、
「もしかしたら僕らの同僚になったりするかも」
今度はサクラさんがモモコさんの守護霊になったり。それはそれで楽しそう!
私はいたずら心で三枝さんに話を振った。
「三枝さんは、天国でゆっくり暮らす派? それとも死後も仕事します?」
「やだなー。守護霊って脇役じゃん。生きてる奴が主役で、その生活を守るってのダルいなー、責任大きすぎて」
私はふと思った。
――そういえば、彼には守護霊が憑いていない。きっと何かに護られて生きるつもりがないのだろう。
お祖父さんたちの家に帰り着いた。家賃のさほどかからない集合住宅だ。
玄関口が一階で北側を向いているので影になる。
壁と壁を滑り抜けようとした東風が、ひょぉぉぉぉ、と音を立てた。
普通霊は温度を感じないはずが、急に肌寒さを覚えた。
お祖父さんと孫娘とお祖母さんは家に入った。
が、私は何か心に引っかかっていて、玄関先で立ち話に勤しむ流れになった。
三枝さんは寒さに身震いをしてジャンパーのファスナーを上まで閉じた。
「責任って何に発生するんだろうな……」
脈絡もないそれは、三枝さんのぼやきだった。
「ん?」と卓さんが顔を上げた。
「これまで漠然と、命に関わることには責任が発生するって思ってた。
現代では命の重みがなくなったーとかしょっちゅう言われるけど、どうやったってやっぱ殺しは悪だ。
俺は殺し屋って職業に就いた以上、自分が恨み殺される覚悟を持ってやってきたつもりだったけど。
とはいえ、自分の命で支払えるものはたかが知れてる」
三枝さんが自嘲気味に遠くを見た。
靴の爪先で外階段の手摺りの根元をコンコンつつく。やさぐれたい気持ちなのだろうか。
「同業者の中には殺しを使命みたいに思ってる奴もいた。
『世の中みんな幽霊になれば欲がなくなる。進路も人生も選ばなくて良くなる。それは魂の解放であり、それを目指さないのは愚かだ。だから自分はみんなを幽霊にした後で、自分の命を絶つんだ』って」
「それは未来を奪うことに他なりません」
私はつい口を挟んでいた。少し嫌悪が滲んでしまったかもしれない。
「そだね。だから俺はその同業者――無差別大量殺人したそいつを、殺したんだ」
「――でも、三枝さんは私たちを殺しましたよね。生徒たちも、先生方も、私の夢も。
それってその同業者の行いとどう違うんです?」
彼は生前の私が勤務していた学校の教員と生徒の暗殺に手を貸した人だ。
「……違わない、かもね」
「……私、今更ながら三枝さんを恨みたくなりました」
「……うーんと、
「なりそうです」
「それはマズいな……」
「恨みを晴らしていいですか?」
三枝さんは肩を落として微笑した。「いいよ」
私は彼を呪い殺そうとした。
しかし、できなかった。
口では恨みが湧いてきたように並べながら、そういえば恨みを晴らせたから成仏したんだった、と身も蓋もないことを思い出した。
「もういいですよ、このことは。許してますから」
「……そりゃ残念」
卓さんがすすーっと近づいて、三枝さんに耳打ちした。
「もしかしたらいつか澪実さんに呪い殺されるかもね。守護霊の仕事して借りを返せって」
「死んでも一緒とかゾッとしない。何アレルギーか知らないけど何かじんましん出そう」
好き放題言ってくれる。
その瞬間、三枝さんがパチン、と弾けた。シャボン玉のように一瞬にして消えてしまった。
呪い殺されてしまった。
振り返ると、男の人……浮遊霊がいた。
「ようやくお前を道連れにできた……」
彼の顔面に壮絶な笑みが滲出した。そして、虚脱。
直感的に、彼が三枝さんがかつて殺めた同業者の男だとわかった。
未練を残して怨霊となり、今日までこの世を浮浪していたのだろう。
三枝さんを呪殺したと同時に、彼の未練も消えたらしく成仏していった。
私の胸に喪失感が迫った。卓さんも隣で絶句していた。
シュワシュワとサイダーの泡が弾け割れる音が、耳の奥でまだ鳴っているような気がした。
私は気づいた。
あ、人が亡くなったら、悲しいんだ。
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